第121話 ユリウスの悲しみ

 チーム・ゼフォンの試合を、闘技場の上階に設けられた個室、いわゆるVIP席から見ていた者がいる。

 VIP席とはその名の通り、各国の王侯貴族や富裕層向けに設置されている特別な席で、建物の3階ほどの高さの客席部分をぶち抜いて個室に作り変えたものである。

 通常の客席は、一部を除いて板を渡しただけのベンチ席だが、VIP席には立派な革張りの椅子と飲み物などを乗せるテーブルが備え付けられている。

 日よけの天幕が張られていて、プライバシーも守られている。

 闘技場の中が良く見えるように、部屋の前にはバルコニーが設置されている。


 個室の中央に置かれた椅子に、つばの広い帽子を深くかぶった黒衣の人物が、長い脚を組んで座っていた。


「どうだ?サレオス」

「はい、トワ様に間違いありません」

「私も昨日、直接お会いして来ました。髪の色が違いましたが、あの方を見間違えるはずがありません。それに、魔王様が贈られた指輪をしていました」

「…そうか」


 椅子に座った人物は黒髪の美丈夫、魔王その人だった。

 隣にはサレオス、アスタリス、ユリウスが立っていた。


 魔王のお目当ての人物は、闘技場の中央で愛想よく観客に手を振っている。

 彼はその様子を見ながら、隣に立つユリウスに向かって不機嫌そうに云った。


「…一体どういう状況だ、これは」

「御覧の通りです。トワ様が闘士として闘技場に立っています」

「まさかこんなものを見せられるとは思ってもみなかった」

「人を傷つけない武器を使用しているのは、トワ様らしいですがね」


 数日前、クシテフォンがマサラと共にスレイプニールの馬車でグリンブルの魔王の元へ戻ってきた。

 そこでもたらされた情報は、闘技場に出場している闘士の中にトワとそっくりな者がいる、というものだった。


 偶然にも、その報告を受けている最中、メトラからの使者が治安維持本部にやってきた。

 その使者の報告によると、アザドーはアルネラ村でのある出来事に関係した者の行方を追って、ペルケレ共和国の首都セウレキアへ入ったところ、目的の人物と共に、捜索願の出ている「トワ」と同名の少女がいることを突き止めたという。


 どちらも、その時点では本人かどうか確定はできていない状況だったが、魔王は自分の目で確かめるため、スレイプニールを飛ばして直接乗り込んできたのだ。


 目の前にいるのがトワ本人だとして、なぜこんなところで闘士などをしているのか、なぜ自分の元へ戻って来ないのか、今までどこで何をしていたのかなど、いろいろと不可解なことが多すぎる。

 そこで重要になってくるのが、アザドーからの情報である。


 アザドーが追っていた人物は、他人を操る精神スキルを持っているということだった。

 ここで考えられることは1つ。

 トワはその人物に精神スキルで操られているのではないか、という疑惑だ。

 だがそれを否定したのは、ユリウスの証言だった。


「トワ様は、いつもどおりの様子で、操られているようには見えませんでした。ただ…、私を見ても何の反応も示しませんでした。それどころか、私のことを覚えていないとおっしゃって…ショックでした」


 ユリウスは悲しそうに唇を噛みしめた。


「覚えていない?おまえのことを知らないと言ったのか?」


 魔王は驚きを隠せなかった。


「はい。私を見て、『どこかでお会いしたことありましたっけ?』などとおっしゃって…」

「…ふむ。やはりあの時、<記憶消去>が作動してしまったのか…」


 魔王はふと過去の苦い記憶を思い出してポツリと呟いた。


「また、ユミールのスキルが我を苦しめるのか…」


 魔王が口にした言葉の意味を唯一わかっているサレオスは、腰をかがめて魔王の耳元でそっと囁いた。


「魔王様、<記憶消去>を使われているのだとして、それを解除する方法はないのでしょうか?」

「ユミールが亡くなってしまった今となってはわからぬ。トワが何を覚えていて何を忘れているのか、本人に確かめるしかない」

「でしたら、一刻も早く保護された方が良いのでは」

「だが、あのトワの顔を見る限り、嫌々やらされている感じではない。今行動を起こすのは時期尚早というものだ」

『私をトワに会わせろ。会えばきっと思い出すに違いない』


 ネックレスからカイザーが口を出した。


『私はおまえたちよりもトワとの付き合いが長いのだぞ!』

「パニックになるからおまえはしばらく出てくるな。そのうち会わせてやる」

『絶対だぞ!』

「ああ、それまではおとなしくしていろ」


 魔王の言葉に納得したのか、カイザーはおとなしくなった。


「ともかく今の状況を把握する必要がある。まずは情報収集だ。トワの周囲にいるあの者たちの素性を探れ」

「はい」


 ユリウスは俯いたままで、アスタリスだけが返事をした。

 アスタリスはそっとユリウスの顔を覗き込んだ。

 美しい顔は、青ざめていた。

 魔王がそんな彼に声を掛けた。


「どうしたユリウス?」


 ユリウスは自分の胸を押えて苦しそうにしていた。


「トワ様に忘れられてしまっていることが、こんなに辛いとは思わなかったのです。トワ様にとって私はその程度の者だったのかと、自分が情けなくて…」

「それはおまえだけの話ではない。おそらくは我のことも、いやおまえたち聖魔騎士団全員のことも忘れている可能性がある。これは優秀なスキルのせいであって、誰のせいでもない。おまえが情けなく思う必要はないのだぞ」


 魔王は淡々と云った。


「我だとて、トワがあのようなどこの者とも知らぬ者たちと行動を共にしていることに苛立ちを覚えておるのだ」

「…魔王様…」

「ともかく、トワ様が今どういう状況にあるのかを確かめようよ、ユリウス。悲しんでばかりじゃ先に進めないよ」


 アスタリスはユリウスの肩に手を置いて、優しく語り掛けた。


「アスタリス…」

「…そうだな。ユリウス、もう一度トワに会って来い」

「はい、そう致します」


 ユリウスは今にも泣きだしそうな表情のまま、頷いた。

 彼は自分にとってトワの存在がこんなに大きいものだったということを改めて認識したのだった。

 焦る心を押し殺して、彼は顔を上げた。



 試合が終わって、私たちは宿舎に引き上げて来た。


「おい、トワ。また来てるってよ」

「え?」

「例の花束の美人さん」


 マルティスからの伝言を聞いて宿舎の入口に行くと、花束を持った彼が待っていた。

 やっぱり綺麗な人だ。

 それだけじゃなくて、なんというか清潔感があるっていうか、爽やかというか。


「次はいよいよ決勝ですね」

「はい。頑張ります」

「あの、あなたのお名前を聞いてもいいですか?」

「私はユリウスと言います」

「ユリウス…さん」


 その時、彼の後ろから見知らぬ女性が突然割り込んできた。


「ねえちょっと!あなたゼフォンのチームの人よね。ねえ、ゼフォンに会わせてくれない?私をチームに入れて欲しいの」

「あなた、誰ですか?」

「2回戦で負けたチームの魔法士よ、覚えてない?そっちをやめてゼフォンのチームに入りたいの。あなたのチーム、魔法士がいないでしょ?こう見えても私上級魔法士なのよ?」

「急にそんなこと言われても、困ります。それに、あなた人間でしょ?うちは魔族のチームなんですよ?」

「あなたに許可は求めてないわ。ゼフォンに直接交渉したいの!少なくともあなたよりは私の方が役に立つと思うわよ?」


 その女は白いローブを着崩して、中に着ている黒いキャミソールをわざとチラチラと見せている。化粧が濃くて、香水の匂いがキツイ。

 そして全然人の話を聞かない人だ。

 人間の女性なのに、魔族のチームに入りたいなんて、どういうつもりなんだろう。

 確かに、うちのチームは今のところ全勝だし、掛け率もトップで、懸賞金も出ている。もしかして賞金ねらいなのかな?

 ギャーギャーと自分の良さをアピールし続けているその女に、正直うんざりした。

 私がムッとしていると、ユリウスが私に花束を渡してくれた。


「気にする必要はありませんよ。あなたの方がずっと活躍しています」


 ユリウスはそう云って、優しく微笑んだ。

 受け取った花からは、その女の香水の匂いを打ち消すかのような、とてもいい香りがした。

 目を閉じて胸いっぱいに花の香りを吸い込んだら、嫌な臭いも消えた。

 花束から顔を上げると、先ほどまで目の前にいた女性がいなくなっていた。


「あれ?今の人は?」


 私がきょろきょろと周りを見回していると、ユリウスが答えた。


「帰ったんじゃないですか」

「え?嘘、だってたった今までここにいたのに。帰るの早っ…!」

「ずいぶん無礼な人でしたから、去る時も挨拶しない人なのでしょう」

「え~?急に来て、その態度はないわよねえ。それにあの香水の匂い。あれはちょっとないわ~」


 プリプリ怒る私の横顔を、ユリウスは笑って見ていた。


「私も苦手です。まだお酒の方がマシですよ」

「お酒?」

「いえ、なんでもありません」


 私は受け取った花束に顔を埋もれさせながら、微笑むユリウスをこっそり見上げた。

 どの角度から見ても美しい人だ。


「次の試合は3日後でしたね。明日は差し入れをお持ちしても?」

「あ…ごめんなさい。試合前の闘士は外から何も受け取ってはいけない決まりなの。貰っても没収されちゃうわ」

「そう…ですか」


 ユリウスは残念そうな表情をした。

 なんだかとっても申し訳ない。


「闘士というのは厳重に管理されているものなのですね」

「ええ。賭けの対象だから、危ない組織の人とかが接触してくることもあって、厳しく制限されているの。本当は、あなたとこうして面会してお花を受け取るのもいけないのよ」

「花に何か仕込んであるかもしれないから、ですか」

「うん。でもコンチェイさんが、特別に許可してくれたの。フフッ。きっとあなたのことを気に入ったのね」

「…では、また来ます。試合、頑張ってくださいね」


 そう云ってユリウスは去って行った。


「はぁ…やっぱり素敵な人だなあ…」



 闘士の宿舎を出たユリウスは、足早に街中を歩いていた。

 その途中、人だかりができている場所に通りかかった。

 ユリウスはそれをチラ、と一瞥して通り過ぎた。

 人だかりが出来ていたのは酒場の店先に置かれた大きな酒樽の前だった。

 先程の無礼な魔法士の女が、酒樽の中に首まで浸かっていたのだ。

 酒樽の前で店主の男がカンカンに怒っている。

 それはいうまでもなく、ユリウスの仕業だった。

 彼はトワに無礼を働いた女を許してはおけなかったのだ。

 トワが花束の香りを嗅いでいるわずかな間に、彼は<光速行動>を使って、彼女を酒樽の中に押し込んだのである。

 彼女はもちろん何が起こったのかまったくわかっておらず、気付けば酒樽の中に全身浸かりながら酒場の店主に怒鳴られていた。

 女の全身からはもう香水の匂いではなく、酒の匂いしかしなかった。


 彼の足は闘技場からそれほど遠くはない場所に建つ高級ホテルに向かった。

 ホテルのロビーにはジュスターがいた。

 首都セウレキアには魔族の観光客も多くいたが、そのほとんどはいずれかの魔貴族の縁者が多く、このホテルの宿泊客も富裕層ばかりだった。


 銀髪の美丈夫ジュスターがロビーに立っているだけでも人目を惹くことこの上ないのに、そこへユリウスが合流したものだから、ロビーは彼らに見惚れて足を止める客で急に混雑し始めた。

 そんな周囲の目などまるで気にした様子もなく、2人はロビーから客室へのエレベーターに移動して行った。

 高級ホテルにはグリンブルで開発された魔法具を動力源にしたエレベーターが設置されているのだ。


 2人きりでエレベーターに乗り込むと、ジュスターが語り掛けた。


「…で、トワ様の様子はどうだった?」

「今日、トワ様に名前を聞かれました。忘れられているというのに、なんだかちょっと嬉しかったです」

「…そうか」

「先ほどトワ様と話した感じでは、やはり精神支配を受けている様子はありませんでした。いつも通りのトワ様で、少し安心しました」

「…そうか。闘士などという環境で、トワ様が酷い扱いを受けていないか心配だったが、何よりだ」

「意外に闘士というのはきちんと管理されているようです。仲間とも上手くやっているようでした」

「そうか。私はこれから他の任務で別行動になるが、明日には地方に散っていた騎士団全員が揃う。皆と協力してトワ様をお守りしてくれ」

「はい、お任せください。団長はどちらへ?」

「大司教公国にいるテスカと合流するつもりだ」

「わかりました。お気をつけて」


 ユリウスはジュスターに礼を取った。

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