第92話 RE:スタート

「ハッ!」


 誰かが耳元で囁いた気がして目が覚めた。

 周りを見てみると、誰もおらず、知らない場所にいた。


 ここはどこなんだろう?

 私は軋むベッドの上で、ゆっくりと体を起こした。


 ちょうどその時だった。

 目の前の扉が開いたのは。

 そこには、見たことのない金髪の男の人が立っていた。


「…よう…眠り姫。随分とお寝坊さんじゃねえか」


 その人が云った。


 眠り姫?

 何云ってんのこの人?

 っていうか誰?


 だけど、その人はそのまま壁にもたれかかって、床にずり落ちた。


 え?

 この人、怪我してんの?


 見ると、床には血だまりができていた。


「ちょっと!大丈夫?」


 私はベッドから飛び降りて、その人の傍に駆け寄った。

 気を失っているようだ。

 血のついた服をめくって腹部を見た。

 出血はそこからだった。

 刃物で刺されたような深い傷があった。

 そこから酷い出血が続いており、このまま止血しないと、出血性ショックで死ぬかもしれない。


 私のショボイ回復魔法で治せるかどうか不安だけど、止血だけでもできれば助かるかもしれない。

 私はその人の腹部に手を当てた。


「回復」


 自分の掌から光が出ているような気がした。

 すると男の腹部の傷は、血を止めるどころか傷自体が奇麗に消えてしまった。


「おろ?…なんか上手く行ったみたい。こんなに上手く行ったの初めて…」


 間もなく男が目を覚ました。


「…っ」

「良かった。気が付いた?」

「…」


 男は私の顔をじっと見た。


「あ、あの…?大丈夫ですか?話せる?」


 彼は思い出したように自分の腹部を慌てて確認し、私の顔と交互に見た。


「傷が、消えてる」

「あ、それ今、私が回復魔法をかけたんです。上手く行って良かったわ。今までこんなに上手くいったことなかったからビックリしちゃって…」

「…嘘だろ」

「ホントですってば」

「いや、ありえない」

「もー頑固だなあ。回復士って見たことないんですか?」

「ああ、ないね。俺を癒せる回復士なんざ、この世界には存在しねえ」

「だってちゃんと治ってるでしょ?」


 彼は血のついた手を見てから、もう一度自分の腹部を見た。


「…治ってるんだよなあ…。それも跡形もなく。ポーションだってこうはいかないもんな」

「だからぁ…。なんで人の言うこと信じないんですか?」

「わかった、わかった。事実は事実だ、認めよう」

「頑固な人ねえ…。っていうか、あなた、誰ですか?」

「おっ…。あんた目が黒いんだな。ふーん、やっぱ起きてるとずいぶん印象が違うんだな…」


 何なのこの男。

 人の話全然効かない人だ。


「ん?なにこれ」


 私は自分の髪色が栗色なことに気付いた。

 ウィッグ?

 こんなのいつ被ったっけ…?

 私は頭に被っていたウィッグを取った。

 首を振って、結わえていた自分の黒髪を下した。


 目の前の男が、めちゃくちゃビックリした顔をしている。


「お…おまえ、その髪!なんだ、魔族だったのか?いや、でも…違うよな…?」

「ああ、この髪?あ、そっか、ビックリさせちゃった?元からこの色なの。実は私、異世界人なんです」

「い、異世界人?!いや、待てよ…たしか前にイドラがそんなこと言ってたな。2年前に勇者召喚に成功したとか…そうか、異世界人なら、なんでもアリなのか…」


 彼はなにやら一人で納得したようだった。


「俺はマルティス。ここは俺んち。あんたの名前は?」

「私はタカドウ・トワ、トワでいいです」

「トワ、か」


 そう云ってから自分の姿に気が付いた。

 なにこれ。バスローブ…?

 しかも中は…裸!!?


「キャ―――ッ!!」

「な、な、何だよ…?」

「来ないで!チカン!あっち行って!!」

「ち、痴漢!?」


 男はきょろきょろして周りを見ていた。


「痴漢はあなたよ!」

「お、俺が!?」


 この男が私を攫って、ここで何かしようとしてたに違いない。


「こんなカツラ付けさせて、人目に着かないようにしたのね!」

「待て、待て、落ち着け!」


 私は自分の体を抱きしめながら、男を睨んだ。


「わ、私を攫って、は、裸にして、やらしいことしようとしてたんでしょ!」

「俺は何もしてねえって!!」

「嘘よ!その傷だってきっと大聖堂の護衛兵にやられたんでしょ?」

「だから違うって!!」

「どこが違うのよ!あー!こんなことなら回復なんかしないで早く逃げればよかった!」

「ああもう!こら!ちっとは人の話を聞けよ!!」


 マルティスは大声で怒鳴った。

 私は驚いて、思わず口をつぐんだ。


「ちょっと、一回、落ち着こうか、な?」

「何よ。言い訳?」

「俺はあんたの体なんかに興味はないし、攫ってなんかもいない。いいか?よく聞けよ?あんたは突然ポータル・マシンに現れたんだ。俺はあんたを家に連れて帰ってベッドに寝かせた。そっから2年近く、あんたはずーっと俺のベッドを占領し続けたんだ」

「は?何言ってるの…?2年って何?私、こっちへ召喚されてまだ一か月くらいしか経ってなかったはずよ?」

「そりゃあ、あんたは寝てたからな。実際は2年以上経ってんだ」

「はぁ?嘘ばっかり…」


 マシンがどうたら、この人の話は、なんだかよくわからない。

 そうだ、エリアナたちは?


「他の勇者候補は?エリアナたちはどこ?」

「勇者候補?ああ、今は『大布教礼拝』の真っ最中じゃないか?」

「大布教…何?」

「『大布教礼拝』な。大司教やら回復士やらが全国を巡って病人を回復して回る旅だよ。お布施がすげー集まるって話だぜ」

「そんなの知らない…」


 知らない間に2年も経ってたって?

 そんなの信じられない…。

 私を置いて、皆それに行ってるの?

 どうしてそんなことに?

 その間私はずっとここで眠ってたってこと?


「…そういや以前イドラから、勇者候補が1人施設送りになったとか聞いたことがあるな。もしかして、それがおまえか?」

「施設送りって何?私、どうなったの?」

「あー…言いづらいんだが、要するにクビになったってことだ」

「ク、クビ―!??」

「施設送りになったってのは、まあ、処刑されたも同然ってことだな。それがなんであんなとこに転送されてきたのかはわからんが…」

「処刑!?マジで!?役立たずだから…?そんなの酷すぎる…!」


 あまりのことにショックを受けて涙が出てきた。


「うう…」

「ああ、泣くなって…。まあ、良かったんじゃねえの?これであんたは自由になったんだしさあ」

「自由…?私、大司教公国から出たことないんだよ?自由って言われても、何したらいいのかわかんないよ…」

「ここは大司教公国じゃない。アトルヘイム帝国だ」

「アトルヘイム?…ってどこだっけ?」


 マルティスって人は私にいろいろ説明してくれた。

 どうやら私がいるのは大司教公国ではなく、アトルヘイムっていう大帝国の首都らしい。

 なんでそんなところに私がいたのかは、彼にもわからなくて、なんか突然ふってわいたんだ、とかいい加減なことを云う。

 そんなわけないじゃん。


「たぶん、どこかのポータル・マシンから間違って転送されてきたんだと思うんだ」


 彼の云うポータル・マシンとは、転送装置のことらしい。

 説明してくれたけど、ピンとこない。

 首を傾げる私に、彼は1階にある実物を見せてくれた。

 SF映画に出てくるような機械がこの世界にあるというのが驚きだ。ここって剣と魔法の世界じゃないの?


「で、どうすんだ?」

「どうするって?」

「大司教公国に戻るのか?」

「連れて行ってくれるの?」

「悪いがポータル・マシンが故障中みたいでな。戻れねーんだよ」

「じゃあ馬車は?」

「はあ?なんで俺がわざわざあんたを送って行かなくちゃなんねーんだよ。だいたい俺はあの国には入れねーの!」

「なんで?」

「俺は魔族なんだよ」


 マルティスはニッ、と鋭い牙のような犬歯を見せて笑った。

 私は息を呑んだ。


「ま、魔族!?…嘘でしょ?だってどこからどう見ても人間じゃない!」

「俺はそういう種類の魔族なの!」

「信じられない…」


 云われなかったら絶対に魔族だなんて思わない。

 旧市街でゴブリンみたいな魔族しか見たことが無かった私は、こんな魔族もいるんだって驚いた。


「ね、さっきの話だけど、私が追放されたその施設ってどういうの?」

「噂によると、かなりヤバイとこみたいだぜ。魔族を使って人体実験してたとか」

「え…!?じ、人体実験…?!」


 マルティスが云うには、その施設は本来、大戦後に捕まった魔族の収容所で、施設送りになる人間は奴隷か罪人に落とされた者ばかりだそうだ。

 おそらく私は何かやらかして罪人か奴隷にされたのではないかと彼は云った。

 だとしたら、あの国に戻っちゃマズイってことになる。


「私、何をやらかしたんだろう…」

「たぶんだが、あんたの能力に関係してんじゃねーのかな」

「私の能力?」

「魔族を癒せる力さ。世界中どこ探したって、魔族を回復できる者なんていねえよ」


 回復士のデボラは、魔族には回復魔法というものが存在しないと云った。

 すべての魔族は生まれながらに魔属性を持っているため、対極にある聖属性の回復魔法が効かないということは、この世界の常識だった。

 なので今、私がしたことは、その常識を覆すことなのだ。


「今のなんて、単なるまぐれじゃない?」

「まぐれでこんな綺麗に治るかよ。俺、死にかけてたんだぜ?」

「だって…私の回復能力なんて、最低ランクなのよ?」


 私がそう云うと、マルティスはポケットからナイフを取り出し、自分の手の甲に傷をつけた。真っ赤な血が滴り落ちた。


「ちょっ…!何してるの!」

「いいから。試しに回復してみろよ」

「…もう!何で自分でそんなこと…」


 渋々、私は彼の手を取って、傷を回復させた。

 跡形もなく傷は見事に消えた。


「…すご…。今までこんなに綺麗に治せたことなかったのに」

「これでまぐれじゃないって証明されたな。こんなスゲー回復、見たことねーよ」

「あなた、本当に魔族?嘘ついてない?」

「嘘じゃねーよ。俺は200年以上生きてる魔族さ」

「なんで?どうして魔族に私の回復魔法が効くの?」

「俺に訊くなよ。あんた異世界人なんだろ?そういうこともあるんじゃねーの?」

「そんなテキトーな…」

「難しく考えんなって。あんたは異世界人だから魔族を回復することができる。それでいいじゃねーか。そんで、俺はラッキーだったってことで」


 マルティスは悪びれずに云う。


「ラッキーって…。魔族ってあなたみたいなチャラいのもいるのね」

「チャラくて悪かったな」

「…ねえ、私、本当に2年近くも眠ってたの?」

「ああ。ポータル・マシンに乗った記憶はないのか?」

「…ない。あんな機械初めて見たもん」

「あんた、大司教公国にいたんだろ?」

「うん。大聖堂にいたわ」

「地下には行ったか?」

「地下?地下のお風呂ならよく入ってたけど」

「…あー、それで風呂上りだったのか?けど、以前会った時、イドラはあんたのことは知らなかったっぽいんだよな…。うーん…わっかんね!降参!」


 マルティスは考えることを放棄したらしい。


「それで、これからどうするんだ?」

「どうするって…。クビになったんだとしたら、戻っても仕方ないし…」

「じゃあさ、俺と一緒に来ないか?ここを出て一儲けしようぜ」

「一儲け?」


 彼は私にウィンクして見せた。

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