第2話 勇者候補(1)

 夢だったらよかったのに。


 その日私は、朝から部屋に押しかけて来た侍女に無理矢理起こされ、しみじみとそう思った。

 やってきたのは侍女というか、メイドさんだ。


 ちなみに、ここのメイドはガチのメイドさんであって間違っても『萌え萌えキュ~ン』とかするタイプではない。

 彼女たちが着ているメイド服は修道院のシスターみたいな紺色のロングワンピースで、胸元に白いレースのついた、いわゆるクラシカルメイド服というやつだ。髪は皆おくれ毛一つなくきっちりとアップにまとめ上げられていて、清潔感がある。

 彼女はコレットという名前の、私よりも背が低くて鼻のまわりのそばかすが愛らしい、私付きの専属メイドだ。おそらくは私より年下だろう。

 彼女は慣れた手つきで私に顔と口を洗わせ、ワンピースに着替えさせてくれた。


「他にご要望がありましたらお申し付けください」

「あ、えーと髪を結ぶゴムとかリボンとか欲しいです。あと化粧水とかお化粧用具があればありがたいです」

「それは他の勇者候補からも要望がありましたので用意してございます。後程お届けに上がります」

「え?」


 意外な言葉を聞いて、訊き返した。


「他の勇者候補って女性もいるの?」

「はい。後程、顔合わせがあるとレナルド様がおっしゃっておられましたので、ご自分で確認なさってください」

「あっ、そう…」


 コレットはビジネスライクで素っ気ない返事をした。

 気のせいか彼女の私を見る目つきに悪意のようなものを感じた。

 異世界人だから、怖がられているのかもしれない。

 

「朝食をお持ちしてよろしいでしょうか」

「あ、はい」


 コレットが運んできてくれた朝食は、ドロっとしたお粥みたいな主食に、カットされた果物の盛り合わせとお水だけという質素なものだった。

 果物はともかく、お粥はまったく味がしなかった。

 はっきりいって激マズ。

 でもお腹も空いていたし、とりあえず水で主食を流し込むようにして食べた。


 朝食を済ませた頃に、騎士レナルドがやってきた。

 他の勇者候補に会わせるというので、彼の後に付いていくことになった。


 私のいるこの建物のイメージはヨーロッパの古い寺院という感じだ。

 レナルドはこの建物のことを『大聖堂カテドラル』と呼んでいた。

 この国は『大司教公国』という宗教国家で、この建物は国の中心であり、大司教をはじめとする偉い人たちが住むシンボルなのだそうだ。


 レナルドに連れて来られた部屋は、ホテルの宴会場かと思う程に広かった。

 天上からぶら下がっているシャンデリアの真下に、大きな円形のテーブルが置かれていて、その周りの椅子に3人の若者が腰かけていた。

 彼らが勇者候補なのだろう。


「お待たせしました、皆様。勇者候補最後のお1人をお連れしました」


 部屋に入って来た私を見て、赤毛の少女が立ち上がった。


「あんたが4人目?あたしはエリアナ・ラーグレイ。16歳になったばかりよ」


 エリアナと名乗った少女は肩までの赤毛の髪をゆるふわカールにした美少女で、欧米人っぽい顔立ちをしていた。

 私は日本語を話しているつもりだけど、彼女と意思疎通ができることについては不思議と疑問に思わなかった。

 彼女はピンクの半袖短パンのセットアップを着て、スニーカーを履いていた。

 私に与えられた薄茶色の地味なロングワンピースとは大違いだ。

 元の世界にもありそうなこんなセットアップも、用意できるのだったら早く云って欲しかった。


 エリアナの自己紹介が済むと、その隣の青年が立ち上がってこちらを向いた。

 私はその容貌に、一瞬ドキッとした。


「僕は優星ユウセイアダルベルト。19歳だよ。よろしくね」


 優星と名乗った長身の青年は、鼻筋がスッと通ったハーフモデルみたいな美形だった。少し赤みがかった長髪の右片方を耳にかけている。その片耳にはダイヤのピアスが見えた。


 そして最後の1人が口を開いた。


「俺は入塚将イリヅカショウ。20歳の大学生で、日本人だ」


 将はちょっとチャラ男っぽい茶髪の、私大によくいるタイプの男に見えた。日本の大学生ってことは、同じ世界から来たのかもしれない。


「私は高堂永久タカドウトワ、22歳、日本人です。看護師をしていました」


 そう自己紹介すると、優星と将が目を丸くして驚いていた。


「日本人?ウソだろ?そうは見えないぞ?」

「ハーフの僕が言うのも変だけど、まったく日本人っぽくないよね。22にも見えないし」

「あたしも、同じ位の年かと思ったわ。アジア人の顔なんて全部同じに見えるからよくわかんないけど」


 すると、将は何かを思いついたように、私の傍にやって来た。


「そうか、もしかしてあんた、俺たちとは別の世界から来た人か?そっちだとこういうのが日本人の顔だとか」


 将は日本の有名ゲームのタイトルやアイドルの名前なんかを出して、「知っているか?」と確認してきた。

 私は迷うことなく「知っている」と答えた。

 どうやら間違いなく同じ世界の人間、しかも時間軸も同じらしいことがわかった。

 だけど彼らはなぜか納得できないといった表情をしていた。


「僕さ、ドイツ人と日本人のハーフなんだ。でも君は少なくともアジア系には見えないし、明らかに違う顔立ちだよね?なんていうか…綺麗すぎるっていうか」

「ああ。なんかゲームのCGみたいな顔だよな」

「そう!現実離れしてるんだよ」


 なんとなく彼らの云いたいことは分かる。

 昨夜鏡を見て、同じことを思ったからだ。


「そう言われても…。だってこれ私の体じゃないし」

「は?」

「こっちへ来たらこの姿になってたんだもの」

「え?この姿…って?どういうことだい?」


 優星が怪訝な顔をして尋ねた。


「この体、私じゃないの。この世界で目覚めたら、こうなってたのよ。みんなは違うの?」


 他の3人は顔を見合わせた。

 そして、彼らは召喚される前のことを語ってくれた。


「僕は乗ってたヨットが沈んでそのまま…気が付いたらびしょ濡れのままこっちに来てたんだよ」

「あたしはジョギング中に交通事故に遭ったみたい。でもケガもしてないし、この服もネイルもそのままだった。気が付いたらあのへんてこな衣装の集団に囲まれてたわ」

「俺は友人の車に乗ってる時事故に遭って、気付いたらここへ来てた。ケガもしてないし着ていた服もそのままだったぞ」


「嘘…!それじゃ皆は体も服装もそのまま?なんで私だけ違うの?」


 同じ世界から召喚されたはずなのに、どうして違うのだろう?

 レナルドに問い掛けたけど、彼は知らないと首を振った。

 

「ねえ、今の話聞いてるとさ、あたしたちの共通点て、事故に遭ってるってことじゃない?トワ、あんたもそうなんでしょ?」

「あ…うん。ここへ来る直前、頭の上に工事現場の鉄骨が落ちて来て…」

「うわー、痛そうだね」


 優星が顔をしかめた。


「ねえ、あたしが思うにさ、トワの体はそのときダメになっちゃったんじゃないかしら。それで、こっちに来るとき、新しい体に作り変えられたとか…」

「え…」

「なるほど、ありえる話だね」


 確かにあんな大きな鉄骨の下敷きになったらきっとペチャンコかバラバラになっていたかもしれない。


(う~!想像したくない。私の体、どうなっちゃったんだろう…)


「それだと召喚じゃなくて転生だね。無傷の体があって良かったじゃない?きっとこっちの世界の神様が新しい体を用意してくれたんだよ」


 優星が明るく笑って云った。

 ちっとも笑い事じゃない。

 他人事だと思って勝手なことを云う彼らに、少し腹が立った。


「それじゃあ、私の体は完全に死んでるってこと?元の世界にはもう戻れないの?」

「俺たちだって、戻れるかどうかなんてわからないぜ。なあ?騎士さんよ」


 将はレナルドの顔を見た。

 レナルドは胸に手を当てて、騎士らしく礼を取った。


「申し遅れました、私はこの大司教公国の聖騎士レナルド・ベルマーと申します。勇者候補の警護を申し付かっております。どうぞお見知りおきを」


 騎士レナルドは挨拶の後、将の質問に答えた。


「私が知る限りでは、これまで召喚された者が元の世界に戻ったという事例はありません」


 将は「ほらな」と両手を挙げるポーズを取った。


「そんな…」


 絶望の声を上げる私に、レナルドが話しかけてきた。


「トワさんは、元の世界でもその髪の色だったのですか?」

「え?そうだけど」

「俺も日本人だから本来は黒髪だぜ。染めてっから色が抜けて茶髪になっちまってるけど。髪の色が何か問題あるのか?」


 将がレナルドに訊き返した。


「こちらの世界の人間は黒い髪で生まれてくることは極めて稀です。黒い髪は魔族の色ですから」


 レナルドは思いがけないことを云った。


「魔族の色…?そんなのあるの?」

「ええ。属性には色があり、黒は魔属性の色です。黒は魔族を象徴する色なので、この国では忌み嫌われているのです」

「えー…そんなこと言われても…」


 見かねたエリアナが口を出した。


「姿は変わっても元の髪だけは残ったのね。女にとって髪は大事だもの。黒髪が魔族の色だからって、あたしたちには関係ないわよ。異世界人なんだから」

「そ…そうよね!」


 たぶん、エリアナの云う通りなのだろう。


「なるほど。ですが、こちらの人間は気にするかもしれません。外に出る時は髪を隠すことをお勧めします」


(…そうか、メイドが怪訝そうな目で見ていたのはそのせいだったんだ)


「だったら染めちゃえばいいじゃん。いっそ金髪とかにしちゃえば?」

「か、考えとく…」


 エリアナの提案はありがたいけど、金髪はちょっと抵抗がある。

 看護学校や病院では髪を染めることは禁止されていたから、今まで染めた事がないのだ。

 金髪以外で、髪を染められるかどうか後でコレットに相談してみよう。


「レナルドさんよ、顔合わせが済んだところで、もう少し説明して欲しいんだが」

「どうぞ。私の知る範囲でお答えします」

「俺たちは魔王を倒すために呼ばれたらしいけど、具体的に何をどうすりゃいいのか教えてくれよ」


 将の問いはこの場に居る全員が知りたいことだった。


「先日、皆さんには大司教様の鑑定を受けていただきましたが、勇者のレベルに達していた方は誰もおりませんでした」

「…だから、僕たちは扱いなんだね」

「ええ。あなた方には、これから勇者としての修行と鍛錬を積んでいただき、まずは規定の能力値に達して勇者認定されることを目指してもらいます。その間、演習として各地の魔物や魔族討伐に出かけていただくことになります」

「フッ、モンスターハンターかよ」


 将は悪戯っぽく笑った。


「まあ、俺も毎日退屈してたから別に構わねーけどな」

「でもさ、そもそもなんで異世界から勇者なんか召喚するわけ?この世界にはそれっぽい人いないの?」


 優星のいうことはもっともだ。

 レナルドはひとつ咳ばらいをして、それに答えた。


「おっしゃる通り、この世界の人間にも強く優秀な者は多いです。しかし、こちらの世界の人間にはどうにもならないことがあります。それは異世界人だけが持つ耐性です」

「耐性?」

「魔族の国には『カブラの木』という毒の木が自生しており、その花粉を人間が吸うと、最悪の場合死んでしまうのです。ですが、あなた方異世界人は、どういうわけかはじめからその花粉に対する耐性を備えている。それはこれまで召喚した異世界人全てで確認しています」


 レナルドの説明はこうだ。

 その毒の木は魔族の大陸全土に点在する魔の森に自生していて、不定期に花粉を飛ばすという。

 人間は魔族の大陸に足を踏み入れた途端に体調を崩し、花粉を大量に吸い続ければ一週間もしないうちに死に至るという。

 ところが異世界から召喚した者は例外なくこの花粉に対する耐性を持っていた。

 花粉の中でも魔族同様に自由に動ける異世界人は、魔族との闘いにはなくてはならない存在なのだ。


「この花粉による毒のダメージには、回復魔法が効きません。時間をかけて毒を薄めていくしか治癒方法がないのです」

「要するに、こちらの世界の人間は、花粉症に苦しんでいるってわけだ」


 将の少し茶化したような物言いを気にした様子もなく、レナルドは話を続けた。


「聖騎士たちは全身鎧とマスクでガードして花粉から身を守る対策をしています。少量ならば凌ぐこともできますが、魔族の大陸へ行くにあたっては細心の注意が必要です」

「ふ~ん?命懸けなのね」


 花粉症とは無縁の土地に住んでるエリアナにはピンときていなかったようだ。


 人間の国がある西大陸と、魔族の住む東大陸は、海、あるいは険しい山脈によって分断されていて、歩いて行き来できる場所が北、中央、南の3か所だけある。

 この花粉は人間の国まで飛んでくると、徐々に毒素が抜けて、無害になることが確認されている。そのため、花粉が無害になるギリギリのラインに国境が設定されていて、人間はそこに砦を築いて魔族の侵入を防いでいるのだ。


 3つの国境の砦には各国が軍や物資等を出し合って防衛に当たっている。

 大司教公国から最も近い北の国境砦には、アトルヘイム帝国の兵が駐留しており、大司教公国も回復士や魔法士を派遣している。

 勇者候補もいずれは北国境へ派遣されるとのことだった。


「だけど、こっちはたったの4人よ?それでどうやって魔王を倒せって言うの?」


 文句を云うエリアナに、さらに将が続けた。


「確かにな。ゲームじゃないんだから、4人と言わずもっと大勢の勇者を召喚できなかったのか?」


 レナルドは首を振った。


「勇者召喚は特別な儀式です。あなた方を召喚したのは、あの場にいた約100人の魔法士たちです。彼らはあの場所で魔法陣を囲んで1年以上詠唱を続けてきました。今回立て続けに4人も召喚できたことは正に奇跡でした。しかし4人目のトワ様が召喚された後、魔法士たちが次々と力尽きて倒れてしまい、召喚の儀式は中止になりました」

「1年ってマジかよ…」

「大変なのね、召喚って」

「ええ。現在、異世界召喚は魔法士の多いこの国でのみで行われています。この100年の間に召喚された者は十数人いますが、そのうち勇者に認定されたのは1人だけです」

「たったの1人!?」


 全員が異口同音に声を上げた。


「それだけ基準が厳しいってことか…」


 優星がため息をついた。

 私も不安になって聞いてみた。


「勇者になれなかったらどうなるんですか?」

「なれるよう努力をしていただきます」


 レナルドはそう云って明言を避けた。


「そのような不毛なことを考えるのはおやめください。現在のところ、国境付近にある魔族の前線基地へ赴き、1人でも多くの魔族を撃退することを大司教様は望んでいらっしゃいます」

「魔王を倒すんじゃないのかよ?」

「その必要はありません。魔王は100年前の人魔大戦で、唯一認定された勇者によって倒されました」

「は?」


 一同は首を傾げた。


「どういうことだよ?」

「さっきと言ってることが違うけど?」


 皆のツッコミにも動じず、レナルドは平然と答えた。


「魔王は不老不死、殺しても殺しても蘇ると言われています。ですが勇者は、いかようにしてか魔王を倒し、その力を封印したそうです。おかげで100年たった今でも魔王は復活していません」

「それじゃ魔王はいないの?」

「ええ。ですから魔族を追い払うだけで良いのです」

「いや、それ先に云えよ!」


 将は苛立ったように声を荒げた。

 どうも、このレナルドという騎士は話がまだるっこしい。


「ですがいつ復活するやもしれません。その日のために備えることが重要です」

「その勇者ってのはどうしたんだ?子孫とかいねえの?」

「魔王を倒した勇者は、妻子を持たぬまま行方不明になってしまいました」

「は?なんでだ?魔王を倒した英雄なのに?」

「彼は強くなり過ぎたんです。周囲から孤立してしまい、居づらくなったのでしょう。100年も前のことですから、もう生きてはいないと思いますが」

「そんな…」

「我々もそれから学び、それ以降、勇者を複数人で召喚するようにしたのです」

「そうだったんですか…」


 魔王を倒した英雄なのに、その強さ故に疎まれ、孤立してしまうなんて、あんまりな話だ。

 私たちは自分たちの将来のことを思い、無言になった。

 沈黙を破ったのはエリアナだった。


「ね、魔族って人間を食べたりしないの?」


 すると、なぜかレナルドは少しムッとして答えた。


「有史以来、そのような事例は聞いたことがありません。魔族が使役する魔物や魔獣の中には、人間を襲ってエサにする個体もあるようですが、魔族自身は人間を食糧にしたりはしません」

「じゃあ、魔族も人間と同じようなものを食べているの?」

「ええ。ですから彼らは人間の土地の実りや家畜を奪うために侵略してくるのです」

「だったらこっちで作った農作物とかを魔族に売ったりすればいいのに」


 私の言葉に、レナルドは表情を変えた。


「魔族と慣れ合う必要はありません。彼らは敵です。この世界から魔王とすべての魔族を滅すべし、というのがこの国の掟であり教義です。この国のすべての人間は魔族を心から憎んでいるんです」


 レナルドの強い口調に、私たちは違和感を覚えた。

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