読書してる人ほど「本読んでない」っていう話①
カクヨムでエッセイを読み始めてから、というわけではなく、割と常日頃感じていることなのだが、「この人めっちゃ思慮深くて色々な知識があって、理解力も高く、さぞかし沢山のご本を読まれてきたんだろうな~」と思う人に限って、「自分は全然本を読んでこなかった」と主張してくる。
そして話をよくよく聞いてみたら、案の定そういう方に限って、沢山の本を読まれているか、あるいは、幅広いジャンルの本を深く読まれていたりする。
ここであえて言うが、私は全然読書をしない方だ。
これは流れをふまえて「実は読書してるんですよ~」アピールではなく、本当に本気で読書をしてこなかったのだ。
否、それは語弊があるかもしれない。恐らく、読んできた本に偏りがありすぎて、創作者なら読了していて然るべき「定番どころ」をまるっとスルーしてきてしまったのだ。
簡単に言えば、日本に限らず世界の名作・古典に殆ど触れたことがない。誤解ないよう明記しておくと、学校の授業や講義などで学んだ経験はあるが、趣味の範囲として一読したことがない、という意味だ。
で、何が言いたいかというと、こういう、「本読んでないです」と言いつつ「実は読書してきた」人達、大抵この「定番どころ」をある程度大体網羅されている。
知識の地力というか、思考の基盤というか、言葉のセンスというか、そういうふとした瞬間に表れるものについて、彼らの方が「上手だ」「才能がある」と感じるのは、そうした「定番どころ」の読書体験によるからでは、と思っている。
勿論彼ら自身の才能や人格、環境も要因の一つだが、「定番どころ」の読書体験の有無はやはり大きいのではないだろうか。
つまりその人の中の「基準」がすでに「定番どころ」=世界に認められている名作、なのだ。そりゃ基準が違えば地力も違う。基礎からして高みにあるのは最もだ。
そういう人たちの文章は、ひとつひとつに奥行きがあるように感じられるし、飾らず伝えれば「非常に上手い」。
難点があるとすれば、昨今の風潮に則したライトな文体(読書が趣味ではない層でも気軽に読んでもらえる文体)が苦手そうだな、ということ。
でも、ライトな文体で書かれている人の中にも、ふとした語句の選択に知識の深さを感じることがあるし、大いにしてライトノベル、キャラクター文芸で出版にまで至り、アニメ化等まで進む方々というのは、その辺の地力がしっかりしている。
こう、地力の「上手い」人の文章を読む度、私は自分の文章の稚拙さに恥ずかしくなるのだけど(といっても現状の自分の最善なので、恥ずかしく思ってもイコール消すべき作品とは思わない)、中々今の自分でその地力を高める訓練、というのが難航している。
そこで繰り返し言うが、私、読書、してない方なのだ。
(②に続く)
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