飼育員は新たな恋をしたくない

いつきのひと

飼育員は新たな恋をしたくない

 生まれつき顔にそばかすがある私は、家を出るのが夢だった。

 顔が悪く、貰い手など無いといつも指をさされていたからだ。

 このような顔を与えてくれた両親を恨んだ日は無い。自分の努力ではない、産まれつき持っている物が足枷になるのは許せなかった。



 家は貧乏というものを体現したものだった。

 綿などではない、何かがさがさと音を立て、時折とげをこの身に突き立てる草の実の入った布団で毎日寝起きした。

 家の壁は隙間だらけ。屋根も雨漏りが酷く、雨垂れによって床も畳も腐っていた。


 夏は暑く冬は寒い。毎年のように春を迎えられぬ者達が多い村だ。国を治めるのがお殿様からチジ様に変わって幾ばくか楽にはなったというが、税の取り立てで稼いだ金も収穫物も取り上げられる地獄のような村だった。



 そんな村で一生を過ごすしかないと生きていたある日、若い娘を働き手として貰いたいと言う男衆が現れた。

 既に乗り気だった親達が言うには、ショウヤ様と呼ばれるお家に居る一人娘の世話役をさせたいという。

 今居る家よりも良い場所で、良い服を着られて、良い生活ができる。

 顔の悪い娘にも良い環境を与えられるうえに、食い扶持が減らせると両親は喜んだ。


 夢は叶った。私は家を出る事ができた。




 ショウヤ様の家はたいそう立派だった。隙間風もなければ雨漏りも無い。強い風で揺すられることもない。今までの家が家ではないと知らしめられた。

 みすぼらしい恰好の私は裏口から通されて、髪と身体を洗われて、服を着替えて、よくわからない粉を吹き出物だらけの顔にまぶされた。話に聞いた「てんぷら」なる料理の準備のようだと思った。


 準備が終わると、私は家族と思われる人達が集まってる部屋に通された。

 本人以外の全員が出揃う中で私の仕事が言い渡された。


 私がお世話するのは、このトゥロモニの家が産んでしまった災厄である。鬼の子である。

 心を通わせようなどと考えるな。あれを人と思うな。日々の勤めのみに注力せよ。

 まるで獰猛な獣の世話をするかのような指図に身が震えた。待遇の良さに釣られてとんでもないところに来てしまった。こんな事なら家を出ようなどと夢を持たなければよかった。酷く後悔したけれど、涙も声も出なかった。




 母屋から離れた土蔵のような建物に、今日から私が世話をする獣は居た。

 小さな窓からの明かりしかない薄暗い蔵の中で、それは可憐な花のようだった。


 非常に大きな赤子で産まれたが、病気が続いて大きく育たなかった。その言葉通り、聞いていた齢よりも幼く感じられた。朝焼けか、夕焼けか、それともよく熟れた柿か。今まで見た事のない髪の色の娘がそこにいる。


「本日からお嬢様お付となります。名を……」

「あ、今いいとこなので黙っててください。」


 そう言うようにと命じられたので、その通りに口にしたのだけど、言葉は遮られた。

 いったい何をしているのかと思ったけれど、お嬢様のする行為に関わることは命じられていない。


 黙って見ていると、うずくまる可憐な花が床に敷いていた黒い紙が燻りだし、焦げた紙の香りが土蔵に充満した。何の火種も無いのに火が点いた。何が起きたのか全く分からないけれど、目の前の花が近寄ることさえ危険な毒であると感じるには十分だった。


「それで、なんでしたっけ?」


 紙を燃やして満足したのだろう。燃え始めた紙をそのままに、可憐な毒の花は私に目を向けた。

 その瞳はよく晴れた夜明け前か日の入り後のわずかな間だけ見ることのできる空の色。


 髪も目も知らぬ色。いつか見せられた外国の人形のようだった。それが生きている人間の姿をしているのが驚きだった。紙芝居で見せられた奇怪な生き物が実在していると知った時以来、久しぶりに胸が高鳴った。


 私はその獣に、一目で見惚れてしまったのだ。





 私の仕事はお嬢様、名をアサヒという幼い娘の身の回りの世話だけで、他には何も与えられなかった。

 ほぼ一日暇していても賃金は出たし、着る物も寝る場所も食べる物も困らなかった。たまに家に帰れば、隙間風の入る家はそのままだったが、以前よりも両親に泣いて喜ばれた。


 不満があるとすれば、この家のアサヒの待遇。

 良家のお嬢様は良い服を着て、良い物を食べ、良い教育を与えられるものとばかり考えていた。

 空いた土蔵に押し込まれ、碌に外にも出れぬ生活などするはずがない。今目の前にある扱いが正しいとは思いたくなかった。


 私はそのお嬢様にソバという名を与えられた。本当の名に掠りもしないあだ名。

 そう言うように命じられた「傍にお仕えする」という台詞と、顔のそばかすを由来としていて、これはあまりいい気分ではない。人の名を覚えるつもりがない傲慢さが垣間見えた気がした。



 彼女の悪戯には枚挙にいとまが無い。

 何故そんなことを仕出かすのかは分からないけれど、好奇心が旺盛すぎた。


 悪戯の発覚後、書庫に閉じ込められる罰を受けた際、外から食事を運ぶのも私の仕事だった。

 暗くて狭くて寒い場所に独りで居るのは心細いだろうと思っていた。私も家で留守番をしているときはそうだった。


 だから驚いた。こんな暗い部屋にずっと居たいと言い出すのだから。

 私よりも幼い身でありながら文字を読める事よりも、妖怪が出そうな場所に居たいと願う気持ちがわからない。

もっと長く本を読んでいたいと言い出すアサヒを説得するのも骨が折れた。






 悪戯はときに取り返しのつかない大事になる。客人に対し泥水を飲ませようとする等、まさに怖いもの知らず。

 それらを未然に防ぐためにも、その行動から結果まで、全て記憶し報告することを命じられた。

 私はあるがままを全て記憶し、報告する。それが仕事だから。


 その日、烈火の如く怒り、庭へと飛び出した主人の背中を追いながら、私は後悔した。


「庭に勝手なものを作りおって!」


 いつもの定期連絡で、アサヒが庭の隅に花の球根を植えた事を報告した。積もり積もった不満もあったのだろうけど、私の報告が引き金となってしまったのは間違いない。


 実の娘の制止も聞かず、父は、彼女の手元から背丈のある草を雑巾のようにねじ切って、小さな花壇を踏み荒らした。小さなスコップを蹴り飛ばし、誰も立ち入らぬようにと立てていた手作りの柵も放り投げた。

 そして堰を切ったかのように言葉を並べる。呂律も回らぬほどの怒りようで言葉をはっきりと聞き取れなかったけれど、淑やかであれ、名家の娘の規範に収まれと当たり前の叱りつけだったように思える。



 いつもは水が切れた植物のように萎れる娘が、この日ばかりは石のように動かなくなった。

 

「そうですか、わかりました。」


 突然の冷たい風と、アサヒの抑揚のない声に、背筋が震えた。目の前に居る可憐な人形のような娘が、今はまるで別人のようだった。

 何が分かったというのだとさらに問い詰めようとする父親に、娘の形をした化け物は行動で答えを示す。


 地震のような地響きが起きた。間を置いて、土の香りが辺りに漂い始める。

 一瞬の揺れで木々がざわめき、木陰で休んでいた鳥たちが一気に飛び立った。


 私達のすぐ横に生えていた立派な杉の木が大きな音をたてながら捻じれ、地面から引き抜かれたのはその後のことだった。

 樹齢数百年とも、家の守り神とも言われ、しめ縄を結われ大事に扱われていた巨木が、大人が数十人も数珠つなぎになって囲うよりも太い杉の木が、その一瞬で粉々に爆ぜた。


「掃除、しないとですね。」


 アサヒが右手を空に向けてかざす。すると今度は強い風が起きて、砕け散った杉の残骸が瞬く間に巻き上がった。

 巨大な木の欠片だからそれぞれが大きく重いのに、それが軽々と舞い上げられていた。


 怒りが驚きに変わった主人とともに、懸命に柱にしがみ付く。そんな滑稽な私達の姿を、アサヒは朝の空色の双眸で、ただ見つめていた。

 天変地異に為す術もない私達を、ざまあみろと嘲笑するわけではない。今のアサヒは、私達に対して何の感情も持っていない。

 父親の制止の声は、悲鳴にも似た懇願だった。


「はい、わかりました。」


 娘は止まらない。アサヒが振り返ると強風が突然止んで、舞い上がっていた木の破片が雨となって降り注いだ。高い位置から物が落ちれば、落ちる物も落ちた地面も無事では済まない。


 それから、中庭にある全ての物が、まるで何か大きなものに踏み潰されたかのように、地面にめり込んだ。

 職人によって立派に造られていた庭が轟音と共に瞬く間に壊されていく様を、この屋敷に住まう皆がただ眺める事しかできなかった。

 仕上げと言わんばかりに土が壁のようにせり上がって、メチャクチャになった庭を、土砂崩れのように全て飲み込んだ。贅を極めた作品は無と消えた。



 大事にしていた木が捻じられて、蹴飛ばされて、踏みにじられる。

 この天変地異はアサヒの意思で起きた。彼女が起こした。


 これは父にやられた行為への意趣返し。

 広大な中庭は、草一本生えぬ荒地に早変わり。




 アサヒはその花が芽吹き、咲き誇るのを楽しみにしていた。

 傍目で見ても、その期待は大きかった。母性など芽生えぬであろう年頃でも、子を育てる親のような温かさを感じてしまう程だった。

 それを私が壊してしまったのだ。後で私諸共怒られる事になっても、すぐに報告するべきではなかったんだ。


 私の目で日頃から監視していたことも、父親の口から告げられた。

 賢い娘だから、大切な花壇や娯楽だった書庫を処分された遠因が私にあると気付いたのだろう。


 それから別れの日まで、アサヒは一度たりとも感情を見せてはくれなかった。

 彼女の信頼を、私は失ってしまった。どんなに悔やんで謝罪しても、元の関係にはもう戻れない。


 冷たくあしらわれても、見惚れた時の感情は残っていた。だからこそ、無関係の他人のような接し方をされるのは辛かった。




 もはやこの屋敷では誰も手が付けられぬ怪物と化したアサヒを、私はどうすることもできなかった。

 学園都市なる隔離施設へ入学することになったと聞いたのはそれから間もなくのことだ。既に手筈は整えていて、本人を送り出すのと同時に縁切りとなるという。


 今まで良家の娘として育てられた子供が、いきなり放り出され独り立ちなどできるはずがない。

 そうは思ったけれど、同行は許されなかった。元より私は雇われの身で、雇い主の決定に物申すことなど許されぬ立場。



 年端もゆかぬ子供であっても、好きになった相手を手放したくなかった。

 一緒に逃げようと提案もしたけれど、断られてしまった。


 逃げるのはいい。だがどこへ行く。路銀はどうする。寝る場所は。頼る者はあるのか。追っ手を撒く方法は考えているのか。連れ戻された時にどう弁明する。この親共を説得できるのか。


 提案を全て冷淡に否定されて、私は枕に顔を押し付けて泣くしかなかった。




 出立の朝、わたしは少なくない見送りの列から飛び出して謝罪した。

 この屋敷をクビになってもいい。最後まで侍従として付き従いたいと願ったけれど、アサヒは首を横に振った。


「わたしのやること全部が気に入らない人達の命令に従わないと生きていけないアナタを今更咎めたりしません。そういう人だったとガッカリしただけです。」


 彼女は、かつて親しみを込めて付けてくれたあだ名で呼んでさえくれなかった。感情に身を任せ、中庭を破壊してしまう程の悲しみは想像できぬほど深いのだと今一度痛感した。

 最後ならば言いたい事を全て言うべきだと他の使用人達に助言を受けていたので、初めて会った日に一目惚れした事、今も好きだという事を告げる。


 私は、化け物に恋をした。

 これは私のワガママだ。わかっているけれど、嫌われたままでは居たくない。


「それはつまり、仲直りしたいと?」


 大勢が見守る中での告白に対しての返事は、最後まで取りつく島がなかった。


「お断りします。それじゃ。」


 仲直りでお別れをしたかったし、どうして突き放すのかの理由を尋ねたかった。

 私がそれを口にする前に、アサヒは自分から車の戸を閉めてしまった。




 アサヒには、トゥロモニの家に対して修復できない大きな傷ができてしまった。上辺だけでも取り繕うこともできぬほどの深い傷だ。

 私がどんなに後悔しようと、アサヒが感じた痛みはそれ以上だったのだ。対価は等価にならず、関係修復は成せなかった。

 彼女が大人になれば戻ってきてくれると慰めの言葉を貰うけれど、親族が追い出す決定を下したのだ。絶対にありえないだろう。そう思えば思う程、嗚咽が止まらなかった。




 私の初めての恋はこうして散った。けれど、思い焦がれる感情は捨てきれず。

 明け方の空を見る度、彼女の容姿を思い出す。


 学園に入らず途中下車していると聞いて、思わず飛び出しそうになった。

 どこかで出会えるかもしれない。トゥロモニの家から離れた私なら、話を聞いてくれるかもしれない。そんな想いから持ち上がる縁談は全て断ってしまった。


 新しい出会いは、まだない。

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