望みを叶える
N村の子守歌
マリカの行きたい庭園は、とある県に属する離島にあった。
観光地でもなんでもない島の、小さな村にある古い神社に管理されている庭園らしい。
何故そんな僻地の庭園がマリカの持つ図鑑に載っていたかと言うと、そこでしか咲かない四季咲きの薔薇があるのだという。
マリカはその薔薇が見たいのだろう。
しかし、いくら珍しい薔薇だとはいえ、「そこまでして見に行くか?」と言いたくなる様な僻地だ。
僻地住みの僕が言うのも気が引けるが、離島な分N村より僻地な気がする。
まったく、何が楽しくて僻地から僻地へ行かなければならないのか。
どうせ村を出るなら、もっと都会の観光地へ行きたかった、と、改めてマリカを恨めしく思った。
そんなガッカリな日帰り旅行の準備が整ったのは、盆前の事だった。
*
飛行機が陸から離れた時、僕はようやく深い安堵の息を吐いた。
「疲れた……」
「えー、まだ出発したばかりじゃない」
小さな窓に張り付いたまま、マリカが振り向きもせずに言った。
僕は、マリカの姿を見れない周囲の人達から怪しまれぬよう、注意しながら小声で反論した。
「準備がたいへんだったんだ。航空券用意したり、叔父さんの飯の手配したり、マリカの母さんだって説得大変だったろ」
「私の航空券用意してなかったじゃん!」
コイツが座っているこの窓際の座席は、本来なら別の人間に用意された席だ。
その人は僕たちより先に着席していたが、マリカがヒョイとその人ごしに席に座ると、身体を震わせて席を立ったきり戻ってこなくなってしまった。
夏休みの混雑シーズンに残っていた高額席だったから、こんな事になって申し訳なく思う。
だけど、
「幽霊の席なんてどうやって取るんだよ……」
「なんとでもなったでしょうに」
「名前を聞かれたんだ」
「鮎川の名前でも言っとけば良かったでしょ。私のママにもお出掛けの許可とか取りに来ちゃうし……納得したから良かったけど」
僕はマリカの母親に、日帰り旅行の許可を取りに行った。
マリカの姿を見る事が出来ないのだから、勝手に連れ出しても分かりはしないだろう。しかし、マリカの母親が、マリカを大切に想っている事を知っていてそんな事は出来なかった。
マリカの母親は、娘が遠方へ出掛ける事に一瞬不安定になったが、責任を持って必ず家へ帰す約束をしたら許してくれた。いるかいないか分からない状態だった事に比べれば、帰宅を約束された外出はずっと心持ちがいいのだろう。
「ママも月子さんも、ミヤビの事信頼してるみたいよー」
僕もそれは感じていた。
多分、怪しい能力者達への依存が、僕へ移っただけだと思う。
僕はマリカの母親と月子さんに対し、罪悪感しかなかった。
だって僕は、マリカを成仏させようとしているのだ。
そうしたら彼女達は、今度こそ本当にマリカを失ってしまう……。
そしてそうなった時、今度はどうやって納得しろと言えばいいのだろう。
「見えないのに居る」と、信じさせられた後に「本当に居ない」などと、信じられるのだろうか。
―――酷く恨まれるだろうか。
僕は深い息を吐いて、席の背もたれに深くもたれた。
「そう言えば、ミヤビのとこのオッサンは大丈夫だったの?」
「ああ……うん」
叔父さんには、外出理由を授業に関する調べ物兼、学生最後の一人旅とか、色々並べ立てて説明した。
マリカと出掛ける事は、絶対に言わない様に気を付けた。
しかしヤツは、外出理由など聞いちゃいなかった。
「飯の心配しかしてなかったよ。作り置きを提案したら、『誰が温めて器によそうんだ?』だと」
「あー、アイツらしい」
マリカが叔父さんの事をそう言うのを、僕は用心深く横目で見た。
マリカは備え付けの雑誌を興味なさそうに捲っている。
「アイツらしい」なんて、叔父さんという人物を知っていないと出て来ない台詞だ。
駄目人間エピソードで「らしい」と言う事は、マリカの中の「早乙女清良」は、僕のあの叔父さんなのだろうか?
しかし、あの叔父さんと、村の景色を綴った「早乙女清良」が僕の中では結びつかない。マリカの中では結びついているのだろうか?
「結局、どうしたの? 無視して来たんか?」
「鮎川先生のお世話になることにした」
「鮎川? 鮎川も暇だねぇ~」
「鮎川先生だろ。この外出は先生のお陰でもあるんだからな」
僕はウッカリ口を滑らせた。
マリカが顔を歪めて僕の方を見る。
「なんそれ?」
「マ、マリカに悔いの無い思い出作りをって……」
僕は、先生がマリカの成仏を望んでいる事を、咄嗟に隠した。
本人の目の前で成仏を望む事に、妙に罪悪感を覚えたのだ。
『マリカの成仏』は、僕の罪悪感につきまとう幽霊みたいだ。
「悔いの無い思い出作り? は~? 私が近々死ぬみたいな事言うじゃん!」
「そういう訳じゃ……いや、もう死んでるだろ?」
「そうだけどさ」
マリカが唇をツンと尖らせた時、客室乗務員が飲み物を運んできた。
客室乗務員は、ずっと独り言を呟いている僕に対し、瞳から奇異の光をうまく消し、飲み物のメニューをにこやかに紹介してくれた。
マリカが横から「オレンジジュース!」と言ったので、僕はアイスコーヒーを頼んだ。
「おい!」
マリカの声を無視して、僕は洒落たプラスチックカップに注がれたアイスコーヒーを半分程飲むと、柔らかい背もたれにもたれて目を閉じる。
席に備え付けられていたアイマスクが、良い仕事をしてくれそうだ。
「なんだよー、寝ちゃうの?」
「着いたら動き回るからな。体力温存」
飛行機を降りたら、海を目指して県を横断し、数時間に一本の船に飛び乗って島歩きをしなくてはならない。帰りの船の時間、飛行機の時間を考えると、かなりハードなスケジュールだった。
マリカとハードスケジュール。
必ず何度か全力疾走する事になるだろう、と、僕は予感していた。
だから、休める時に休まなければいけない。
マリカは体力馬鹿幽霊だから大丈夫だろうが、僕は人間なのだ。
僕はマリカから顔を背けて、呼吸を深くした。
目的地の空港まであと二時間を切っている。体力温存の為に寝るには短か過ぎ、マリカの相手をするには長すぎる時間だ。
僕は断然寝る方を選びたい。
マリカは僕に息を吹きかけたり、指でつついたりと嫌がらせをし始めた。
僕はかなりイラついて、頬をつねる手を乱暴に払いのけた。
「やめろ。次やったら……」
「やったら?」
挑発的なマリカの背後に、「ほらね。やれやれ……」と呆れ顔をしている門守さんの幻影が浮かんだ。
まだ出発したばかりなのに、こんな事で喧嘩するのは避けなければならない。
「クソッ」
「フフフ、どうするのだね。ン?」
「へ、へそを曲げる」
「は? ……なに?」
「へそ曲がり同士が旅をしたらどうなるか分かるか」
「私はへそ曲がりじゃ……」
「黙れ。へそ曲がり同士の旅はおそらく最悪だ。へそ曲がりは地図を読まないしな。庭園にたどり着けないぞ。今日という日が滅茶苦茶になるな。それでもいいのか?」
へそ曲がりが地図を読まないなど自分でも初耳だったが、僕はマリカを牽制した。
その本気度は、ちゃんと伝わった様だ。
マリカは今日を台無しにしたくはなかったのだろう。
「わかった」と、神妙に頷いた。
「僕を寝かせてくれよな」
「んむ。子守歌を歌ったげるよ」
「いらん」
「いいからいいから」
「勝手にしろ、聞かんぞ」
僕はマリカから完全に背を向けて、耳を手で覆って目を閉じる。
そんな僕の背を、ポンポンとあやすように軽く叩きながら、マリカは勝手に歌い出した。
僕以外には聞こえないから、遠慮無しの音量だ。
「おかをのぼり~♪」
〽
おかをのぼり やまをこえ
かわをわたり うみをもわたり
おまえをさがしだすよ
マリカの歌った歌は、N村で歌われる子守歌だった。
幼い頃、母親に毎夜歌ってもらった歌だ。
切ない懐かしさに、ついつい耳を傾けてしまった。
〽
どんなにとおくにいても
かならず さがしだすよ
まっていなさいね
僕はこの歌が好きだった。
「もしも親と離ればなれになってしまったら」という漠然とした不安を持っていた幼い頃の僕は、この子守歌を聞くと「もしも離ればなれになっても、親は必ず自分を探し出してくれるんだ」と安心して眠りについたものだった。
しかし、死別の前では無意味な歌だ。
この歌を実現させるには、幽霊になるしかないのだから。
マリカは子守歌を歌い続けていた。
僕は耳と心を閉ざした。
だけど心の中で母親の声が歌っていた。
〽
おまえが わたしをわからなくても
わたしは ちゃんと おまえのことが
わかるからね
さあ ころりころころ
どこに ころがしましょ……
閉じた瞼の裏に歌う母親の顔が浮かんできて、パッと目を開けた。
アイスコーヒーなんぞ、飲むんじゃなかった。
僕は結局、飛行機が着陸するまで寝る事が出来ず、マリカとトランプをして過ごすはめになってしまったのだった。
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