②
た、た、楽しかったんでしょ?
ただ、そ、それだけでしょ?
うわああああ……。
私がなにかしたの、と、とか、どうして、とか、一生懸命ぐるぐるぐるぐるぐるぐる考えたんだよ。
だけど結局のところ、たたた、楽しかっただけでしょ?
どうしたらいいんだろうって、か、考える価値もなかった、なかったんだよね。ね。
うううううわあああああ……!
ああもう、うわああああっ!!
本当に、くだらない事に付き合わされちゃったよ。
悲しさも、悔しさも、途方のない冷たさも、感じた分だけ許せない。
――――タヤタヤタヤ……タヤ……ス……タヤタヤス……。
泣き声がして振り返ると、早乙女家のお化けが泣いてた。恨んでた。
暗がりから、ずっと私の事見てるの。
猫が怒った時みたいにフーフーって息をして、四つん這いで震えてる。誰かに酷い事されたんだ。振り乱した髪をブチブチ抜いているのは、強いストレスに晒されたからだね。かわいそう。
私はあなたの気持ちが分かるよ。って、呼びかけてみた。
あの子達が楽しそうにしていて、私はすごく腹が立った。
さっさと立ち去ればいいのに、私は確認したかったんだ。あの子達がどんな状況で今を生きているのかを。
マニキュアなんて選んでた。店で見かけた男の人に、ときめいたりしながら。
見ちゃったら、今まではどんな風に楽しく過ごしていたんだろう、とか、これからはどんな風に楽しく過ごすんだろうってすごく気になって仕方がなくなっちゃった。
その時私は、あの子達の事をずっと気にかけて知りたがる自分の未来が見えた気がしたんだ。あの子達の幸せなんてみたくないのに、見たらきっとたまらない気持ちになるのに。悔しさで膨れ上がってしまうって分かっているのに。
ねぇ、あなたってコレの塊なんじゃない?
辛いね、悲しいね、こんな感情を心の中でずっと煮込んでいるなんて。
こんなに煮詰まった厭なモノ、誰も受け止めてくれやしないから、きっと寂しいね。
大丈夫、私は苛めたりしないよ……。
ねぇどうして私から逃げるの?
ああ、そんなに怯えて……。指を噛んじゃダメ。ほら、小指と中指が千切れちゃったよ。真っ赤な口も拭いてあげるから。爪が落ちてるじゃない。今度マリカとお揃いのヤツ買って来てあげようか?
安心して。あなたみたいに悲しいモノを追い詰めるヤツなんか、人間じゃない。悪魔だよ、化け物だよ。
ほら、お話しよう。早乙女家にどうして怒っているのかとか、どうしたら許してくれるのかとか、私のお兄ちゃんをどうしちゃったの、とか、たくさんお話する事があるでしょ?
待って、何処へ行くの?
……待ってよ。
私はあなたの気持ちが分かるのに……。
*
「はっ……!」
正気じゃない怖い夢を見た。
目を見開くと、目の前いっぱいに大きな鈴がたくさんぶら下がっている。そのどれかが、私の目覚めと一緒にガランと鳴って、ざわざわと音の余韻を残してた。
鈴たちを見て、自分のいる場所が村の神社だとすぐにわかった。
早乙女一家で、因縁の話を聞いた部屋だ。
私はそこで敷かれた布団の上に、寝かされてた。
「環……!」
お母さんが私の顔を覗き込んで声を上げた。
「良かった。気分はどう?」
「……私……買出しに……」
「うん、あなた途中で具合が悪くなったのよ」
「そうなんだ……でも、どうしてお寺で寝てるの?」
ショッピングモールのエレベーターで意識が無くなった事は、覚えてた。だけど、目覚めた場所が病院でも家でもないのはおかしいでしょ?
「それは……もしかしたら、その……」
お母さんは、いつもはハキハキした人なの。
「あれは〇〇よ」とか「それはこうこうこうで、ああなるからこうなるの」みたいに理論でシッカリ答える人。そのお母さんが村ではこうしてよく口ごもる。
お母さんは結局、後ろの大きな襖へ声を上げた。
「澪さん、環が目を覚ましました」
すぐに襖が開いて、澪さんが現れた。
澪さんは冷たいお茶を用意してくれていて、私に差し出してくれた。
「この度は大変でしたね」
「え、あの、はい……お茶いただきます」
冷たいお茶を飲むと、それまで口の中がカラカラだった事に気づいた。
お茶はなんだか土みたいな独特な匂いがして普通のお茶じゃなかったんだけど、喉が渇いてたのかな、ゴクゴク飲んじゃった。
「ゆっくり飲んでね。二日ほど眠っていたのよ」
お母さんが言った。
「二日? 私、そんなに体調がどこか悪いんですか」
ちょっと貧血みたいにクラリとなった覚えしかなかったから、私はビックリしてしまった。その拍子に、お茶が喉の変な所に入ってしまったみたい。
私はゲホゲホむせてしまった。
そうしたらね、思い切り咳き込んだ後で、口の中に何か硬いものを感じたの。慌てて吐き出したら、それは爪だった。一枚じゃなくて、二枚。血がこびりついていて、お布団に滲んだ。
「ヒッ!?」
のけぞる私の背を、澪さんが強く叩いた。驚く間もなく、澪さんは何度か私の背を叩く。
「キャッ!? ヒッ、ゲホッ!?」
私はパニックになりつつも、また一枚爪を口から吐き出した。
「もう出ませんか?」
「ゲホッ……ゲホゲホ……」
私は声が出なかった。その代わり、澪さんの手を逃れて布団からお母さんの元へ飛び出した。
「環……大丈夫?」
お母さんは私を抱きとめ、震える背中を撫でてくれた。
「なになになにどうなっているの?」
澪さんは冷静で、布団に落ちた三枚の爪を拾いしげしげと眺めてる。
「環さん、早乙女家の因縁をまた見たのですか?」
「え、え、わかんないわかんない。なんですか?」
「落ち着いてください。この前見たモノを何処かで見ましたか?」
「み、見てません。いや……えっと、夢で、さっき夢では見ました」
「そう。ではこの爪はその障りでしょう」
お母さんが私の身体をギュッと強く抱きしめた。痛いくらいの強さだった。
私は「障り」と呟いて、ちょっとガッカリしたんだ。だって私……夢の中であのお化けと仲良くなれるかな、なんて思っていたから……でも多分これは拒否の印だろうな。お化けにも拒否られてしまうなんて、と、落ち込んじゃう。
「環に何かされるのですか? 環は女です」
「大丈夫です。この位しか影響できないハズです」
「でも」
「環ちゃん、目が覚めて良かった」
お母さんが何か言うのと同時に、門守さんがやって来た。
門守さんは、お母さんに抱きかかえられている私に静かな声で尋ねた。
「気を失う前に、何か覚えている事はあるかな?」
「……」
私は前の中学の同級生に偶然会ってしまった事を、言いたくなかった。
あの子たちに会ってしまったから、気分が悪くなってしまったんだって分かってた。でも、もう前の中学の事でお母さんに迷惑をかけたくなかったんだ。引っ越しまでしてもらって、それでもクヨクヨメソメソしていたら申し訳ないと思ってた。
「大丈夫? 覚えていないかな? 同級生に会わなかった?」
「……えっ」
私は驚いて門守さんを見上げた。
門守さんは眼鏡の奥でどうしてだか残念そうに目を細めてた。
「会ったよね?」
「……はい」
お母さんが何故か息を飲むのを、身体伝いに感じた。
門守さんは澪さんと顔を見合わせて、小さく頷き合ってた。
お母さんは「やっぱり……」と、誰にでもなく呟いている。
「お母さん……?」
私がお母さんから身体を離し、顔を覗き込むのを無視して、お母さんは門守さんへ身を乗り出して何かを尋ねた。
「どうなりました?」
門守さんはちょっとだけ指先で眼鏡を触りながら、
「亡くなりました」
と短く答えた。
私は訳が分からなかったけれど、お母さんが「ふは、」と息を吐いたのが聞こえた。
どうしたのだろうと顔を見ると、お母さんは少し笑ってた。
その笑い顔はとっても暗くって、怖かった。知らない人みたいだった。
*
しばらく経ったある日、門守さんが、その事件の書いてある小さな記事を見せてくれた。
その日は週末で、ショッピングモールはちょっと混んでた。
華やかで良い匂いの漂うコスメショップで悲鳴が上がったのは、お昼前のこと。
悲鳴の元は、中学二年生の女の子五人グループ。
その中の一人の女の子が、腕が痛いって蹲っちゃって、仲間の子たちが心配して様子を見たら、腕を痛がってた子の腕、ボトンと落ちちゃったんだって。
混乱する仲間の女の子の証言を繋ぎ合わせると、こんな感じ。
コスメショップのネイルコーナーは血の海。
腕が落ちちゃった子の血は、病院で止血処置をしても全然止まらなかったそう。
近くに刃物を持った不審者などはいなかったって。
それから、刃物で切ったというよりも、鋭い物を突き立てて抉り取った様な痛ましい傷口だったみたい。
仲間の女の子達は最初疑われていたみたいなんだけど、それは無茶だよね。
そして女の子は……ミキちゃんは、亡くなってしまったんだって。
ああああああああ、やだな。
私きっと、さっきのお母さんみたいな顔をしてる。
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