幽霊マリカは薔薇を噛む
梨鳥 ふるり
幽霊マリカは薔薇を噛む
序
N村出身の子
「あの子、N村から来たらしいよ」
その一言で、中学一年生の一学期に苦労して築いた
一体誰が嗅ぎつけたのだろう。
N村から来た。
それは子供達にとって、ゾクゾクする響きだった。
「さーおとーめさーん」
猫なで声で呼ばれて、環はゾッとしながら顔を上げた。
入学してから興味を持たれた事も話しかけられた事もない華やかな女の子達が、環の机の周りを囲い、教室中に聞こえる声でたずねた。
「ねーねー、N村に住んでたってホント? あそこって水道ないんでしょ?」
机で一緒にノートを纏めていた友達の山下さんが、環と彼女達の顔をオロオロと見比べ、俯いた。
席を離れないところを見ると、一緒に耐えてくれるのか。それとも、すくんでしまって動けないだけなのか。
どちらにしても、環は嬉しかった。でも反面、山下さんにはすぐに立ち去って欲しいような気もしていた。
華やかな女の子達は、遠巻きに見ているヤンチャそうな男子グループへチラチラ視線を投げながら、悪びれずに声を上げる。
「井戸だったの?」
「川じゃない?」
環はシャープペンシルを縋る様に握って、なんとか笑って見せた。
「うーん、どうだったかな。幼稚園に入る前に住んでいただけだから……」
だから、ね?
私はあなたたちとほとんど違いがないんですよ、という顔をして見せても、女の子達は端からそんな事認めていない様子だ。
そもそも、出身地が云々前からそうだったのだから。
「N村の高校に行った人が、トイレが水洗じゃないって言ってたよ」
「へー、そうだったかな、覚えてないなぁ」
環は顔が引きつらない様に気を付けながら、小さな頃、家の外の小屋にあるトイレ――汲み取り式便所―――へ、夜に行くのがとても怖かった事を思い出す。
女の子の一人が、高い声で笑った。
「N村の高校って、県でどこにも受からなかった奴が行く超バカ高校じゃん!」
「ここから二時間電車乗りついで山の中の無人駅降りて、めちゃくちゃ長い坂道登るんでしょ?」
「げー、無理無理、中卒の方がマシ」
「でもさ、その高校、小中高のエスカレーター式なんだって、ほら、村の子供少ないから!」
「マジでー? ねぇ環、本当?」
「ごめん、小さかったから、本当に知らない。覚えてない」
環が頑なに「覚えていない」しか答えない事に、女の子達はそっと目くばせし合う。バレない様に目くばせしている風にも見えるけれど、本当はバレてたって構わない、という余裕を感じて環の胸の中が冷たくなった。
一人が甘い声を出す。
「忘れちゃったって、そんな事ないでしょ? 幼稚園前の記憶なら、私、結構あるよ。ねぇ、みんなもあるよねぇ?」
「あるある。結構覚えてるものだけどなぁ。おかしくない?」
「えっと、川で遊んだりした事とかは……覚えてたりするかな」
「ふーん、じゃあさ、親に聞いてきてよ」
「え……」
「トイレが水洗だったかとか、電気は使っていたのかとかさ」
「……なにそれ、知ってどうするの」
思わず言ってしまってから、環はハッとして女の子達の顔を見上げた。
彼女達はニヤニヤしていた。
「え、えー? なんで隠すの?」
「……」
授業開始のチャイムが鳴った。
誰かが小さく舌打ちして、尋問が終わった。
けれど授業中、チラチラと視線を感じた。
それから、小さく折られた手紙がクラスメイトの手から手へコッソリと渡るのを環は見た。
その手紙は、環にだけ回って来なかった。
次の休憩時間に、華やかグループは環へ近寄ってこなかった。
それから、山下さんも。
自分から山下さんへ近づいて、いつも通りのお喋りをしたり、お手洗いへ誘ったりする事も出来たけれど、環は机に俯いてジッとしていた。
「N村から」
いろんな方向から、コソコソ声がしていた。
それからというもの、環はクラスで孤立してしまった。
孤立だけなら良かったが、お手洗いへ行った後や移動教室の後に、ノートや教科書の名前の所に『N村出身』と書かれたり、下校時にクスクス笑いながら家までついて来られたりした。
最初に環に絡んできた女の子達は、色々な所からN村の噂を集めてきては、クラス中に聞こえる声で環にその噂が本当か聞いてきた。
「たまに山から降りてきて、スーパーやドラッグストアで色んなもの大量買いしてるって本当?」
「あー、私見た事あるかもー! 軽トラで来るんだよねー」
「嘘、この辺りにも来てるの!?」
「その人達さ、皆刃物を持っているんだって。だから、近づかない方がいいって」
「え、なんで刃物を? 逮捕じゃん!」
「動物を解体する用なんだって」
「こえー!! ねえ、早乙女さん、本当?」
環はジッと俯いてそれに耐えていたが、その態度が余計に女の子達を煽ってしまったみたいだ。
―――どうして教えてくれないの? 何を隠しているの?
環には答えられない。
だって本当に少ししか覚えていないから。
それに、こうなる事を分かっていたのであろう両親からは「N村出身である事は周りに言わない方がいい」と言い聞かせられていた。「田舎者だって酷く馬鹿にされるから」と。
環は、両親の正しさを身をもって感じていた。恐らく環がN村について何か教えてあげられる事があったとしても、結局孤立は免れない事も分かっていた。だったら、せめて自分から馬鹿にされたくない。優越感のオモチャにされるのも嫌だった。
環にはN村に親戚のお兄さんがいる。優しくていつも環の面倒を見てくれた。
村の記憶と共に薄れてしまっているけれど、そのお兄さんを大好きだった気持ちは忘れていない。
そのお兄さんは今もN村に住んでいる。
だから余計に、馬鹿にされたくなかった。
その内飽きてくれる。
だって、ただ山奥の村ってだけだもん。
環の周囲の様子に気づいた教師や学校側も、女の子達を注意してくれた。
校長先生まで出て来て女の子達の親へ注意の電話をし、環と環の親へ謝罪してくれた。
そうして嫌がらせは収まったものの、逆恨みという怒りの中で結局、環は孤立していた。
女の子達は思い通りのオモチャにならない環を完全に敵扱いして、何かもっと貶められる様な事を探し続けた。
そうして三学期の始まりに、胸のすくような話を見つけてきた。
正月に祖母から聞いたというその話は、彼女達を大いに喜ばせた。
彼女達は、教師達の目が届かない帰宅途中の環を取り囲んだ。
寒い日だった。端に少し大きな溝がある道だった。
溝には冷たい水が勢いよく流れていた。
彼女達のリーダー格が、猫なで声で環に近寄って言った。
「聞いたんだけど、N村ってお葬式で死んだ人を生き返らせる儀式をするんだって?」
「ヤバくない?」
「儀式とかやってるのコワー」
「ねー、古代じゃん!」
「ねぇホント?」
環は村にいる頃、葬式を見た事がなかった。
六年程前に親戚のお葬式があったけれど、その時は両親だけが出向いた。
でも、両親からそんな話を聞いた事がなかった。
「お葬式に出た事がないから、わからない」
「ふーん、ね、土葬なの?」
「……」
土葬の何がいけないんだろう、と、環は溝の水流を眺める。
この子達なんか、火葬中に棺桶の中で息を吹き返しちゃえばいいのに。
「なんか言いなよ。ちょっと聞いてるだけじゃん。それなのにウチらがイジメしてるみたいになってさー」
「急いでるから……」
その場から離れようとした環の袖を、リーダー格の子が掴んで押した。
「マジむかつく。N村のお葬式見たいから死んでよ」
「キャハハ、ミキちゃん言い過ぎー!」
「離して!」
「N村にいたくせに、山から降りてくんな!」
「やめて、溝がある。押さないで!」
ミキと呼ばれた女の子が、笑い声を上げて環を押す。
環の足下から、溝を勢いよく流れる水の音がしている。
落ちたところで溺れる程の深さじゃないけれど、冬の水は冷たいに違いない。
「ほらー、ミキちゃんもうやめなよ。またチクられるよ」
「チクったら、二年になっても三年になっても、高校になってもあんたの新しい友達や知り合いにN村の事バラしてやる。大人になっても、バイト先や就職先にも言ってやる」
「……そんな事……」
そんな事を脅しに使うなんて、と、環は笑いたくなったが、脅しに使う価値はあるのかも知れない。だって、クラスで孤立して「死ね」とまで言われている。
なんだか果てしない罠にハマってしまった様な気がして、環はクラリとよろめいた。
「―――あっ!」
ボチャン、と水しぶきが上がった。
とうとう溝に落ちてしまった。落ちた勢いで、水中で尻餅もつく。
水がゾッとするほど冷たくて、環は慌てて立ち上がった。
「あ、あーちょっと! キャハハハハ!?」
「マジで落ちた!」
「写メ撮ろう!」
女の子達の笑い声を見上げて、環は震え上がった。
よっぽど悲壮感漂う顔をして見上げたのだろう、女の子達は少し顔色を変えて後退った。
「勝手に落ちたんだし」
「ウチらのせいじゃないから」
「行こ!」
「ばいばーい」
口々にそう言って去って行く女の子達に構わず、環はのろのろと溝から這い上がった。制服のスカートに染みこんだ水は汚くて、臭かった。
「ひぃ、ひっく……」
泣き震えながら歩く度、靴からジャブジャブ水が溢れた。
環の後に、小さな水たまりの足跡がたくさん出来ていた。
家に帰ると、環は熱を出してしばらく寝込んでしまった。
身体だけなら耐えられたかもしれないけれど、環は心も弱っていたから、随分長いこと寝込み、とてもしんどくて苦しかった。
環はうなされてうなされて、うなされ続けた。
ようやく起き上がれるようになる頃には、春がやって来ていた。
すっかり身体が楽になった頃、両親が環に言った。
「タマちゃん、N村の中学校に通ってみない?」
「N村の……?」
「うん。村には住んでいた家も残っているし、ハトコのミーちゃん覚えてる?」
環は久しぶりに表情をパアッと明るくさせてはにかんだ。
「覚えてる。たくさん遊んでくれたお兄さんでしょ?」
「そう。ミーちゃん。ミーちゃんもいれば、心細くないでしょ? 六年前にお父さんとお母さんが事故で亡くなってしまったから、今は叔父さんと暮らしているんだけど……あまり良い叔父さんじゃないのよ。だから私達が村に帰って来てくれたら嬉しいってミーちゃんも言っているの」
ああ、そうか。あの時両親が行ったお葬式は、ミーちゃんのお父さんとお母さんのお葬式だった。と、環は思い出す。
環はまだ小学生に上がったばかりだったから、邪魔になるといけないってお留守番になったのだ。
「ふぅん―――?」
「どうかな。タマちゃんがあんな目に合うなら、場所を変えてみた方が良いと思って……お父さんは仕事があるから、村へはお母さんと二人で行って暮らす事になるけど」
環はシュンとして、両親へ頭を下げた。
「……心配かけてごめんなさい」
「何も問題ないよ。仕事の休みには、お父さんも環の顔を見に行くよ。好物やお土産たくさん持って行ってあげる」
「引っ越しの手配は整っているの。新しい家具や絨毯を週末に見に行こう。向こうの家は広いから、タマちゃんの欲しがっていた白い本棚も置けるわよ~」
両親が、まるで環がもう「N村の中学へ通います」と言った後みたいに、先の事を話し出した。
環はそれに逆らわなかった。
「N村なんかに行きたくない」と言いたくなかった。
それじゃあ、あの子達と同じになる気がした。
もちろん、N村出身の自分を笑いものにする中学校へ通いたくなんかない。
だから「ありがとう」と、両親へ微笑んで見せた。
「ただの山奥の村だったよ」って、いつか言えるといいなと思いながら。
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