野菜工場へ急ぐ人たち(夕喰に昏い百合を添えて31品目)
広河長綺
第1話
駅のホームは笑顔の人々で溢れかえっていた。
祝福ムードが充満したこの空間で、泣きそうになっているのなんて私だけかもしれない。
「なんで、美香はそんなに暗い顔をしているの?」
と、夕子が私の顔を覗き込みながら尋ねた。
「夕子が、東京を出ていくからに決まってるでしょ」
私は全力で抗議する。
農業従事プログラム。
それは全国民が農家になるべきだというアイデアによって生まれたキャンペーンで、みんなで郊外の野菜工場に行き、働こうと謳っている。
文化大革命と何も変わらない、狂った思想。
しかし夕子は、農業従事プログラムの何が問題かわからないと言いたそうな顔で「美香も私と一緒に来ればいいじゃない」と、言い放った。
だめだ。話が通じていない。
絶望感と無力感を感じながら、私は何度目かわからない説明を繰り返す。
「その農業従事プログラムに参加したら、今住む家も職も全て失うんでしょ?」
「うん」
「夕子はそれでいいの?」
「よくないけど……でも、仕方がないよ。SNSでは今、農業従事プログラムやらないとダサいし」
「だからって、何もそこまですることないじゃん!」
「うーん……」
夕子のリアクションは、はっきりしない。
わたしがおかしいのか?
ダサくならないために、自分の生活を捨てる方が普通なのか?
戸惑う私の目の前に、リニアモーターカーが静かに滑り込んできた。
おしくらまんじゅうみたいに、乗客が殺到していく。
このリニアに乗ったら、おしまいだ。
本当に会えなくなるんだ。
小学校の時からコミュ障で虐められていた私にとっての、唯一の親友。
このままじゃいけない。
そう思いながらも、私は動けなかった。
「どうしたの、美香」
「……行かないで」
「えっ?」
「私を一人にしないで! お願いだから、一緒にいてよぉ!!」
思わず叫んでしまった。
周りにいた人々が一斉にこちらを振り向く。
好奇と憐れみと嫌悪が入り混じった表情。
恥ずかしさでいっぱいになると同時に、後悔の念が押し寄せてきた。
どうして私はこうなんだ。
感情的になって、取り返しのつかないことをしてしまう。
私は視線から逃げるように、ホームから走り去った。
改札。
階段。
出口まで来て、外の冷気が私の肌を刺す。
そこでようやく足が止まった。
かと言って、行くあてなどない。動揺した状態で、あまり来たことない東京リニア駅内を走ったので、そもそもここがどこかわからない。
東京のどこにでもあるようなビルたちが無機質にそびえ建ち、私が駅に引き返すのを妨げる。
今さら駅に引き返しても、もうリニアモーターカーは発車しているだろう。
私は「私の友達でいてくれて、ありがとう」と夕子に感謝することさえ、できなかったことになる。
改めて自分の愚かさが、嫌になってきた。
そんな苦い後悔に胸を焼かれていた私は、しばらくしてからやっと、目の前のビル群の中にインステの本社ビルがあることに気づく。
…そっか、もとはと言えば、このSNSインステが「農業従事プログラム」を流行らせたのだった。
私は発作的に、インステ本社ビルの中に駆け込んだ。
白くて天井が高い、高級なオフィスビルだった。
警備員が来るかと思ったが、誰も来ない。
よく考えたら当たり前だ。
もう、街の人間のほとんどは、農業従事プログラムに吸い寄せられている。
私がここで何しようとも、止める人間がそもそもいない。
だから私は、ビル1階の受付窓口の横にある消化器を手に取り、受付係のデスクにたたきつけた。
強烈な打撃音が空っぽのビルの中で、反響する。
ロビーの中央に置かれた観葉植物が生えてるプランターを倒した。オフィス特有のツルツルの床が、土で汚れる。
私にとっての「全て」である夕子を、インステというSNSは奪った。
だから、私には壊す権利がある。
インステ社内のゴミ箱も。消化器も。LED照明も。
全部。全部。全部。
「すごい壊しっぷりだね」
背後から呆れ声が聞こえたのは、エレベーターのボタンを叩き割った時だった。
興奮で火照っていた背中に、冷たい物が這い上がる。
まだ、街に残っている人間がいたなんて。
意外に思いながら振り返った私の目に、銃を持っているスーツ姿の女が映った。
この日本で銃を持っているなんて、とても異常なはずなのに、なぜか現実感がある。
すらっと伸びた足がハリウッドの登場人物みたいだったから、だろうか。
知的な目つきの女に、銃がよく似合っていたからかもしれない。
「別に怒っているわけじゃないから、安心してね」その女は20代の見た目からは想像もできないほどの、落ち着いたトーンで語りかけてきた。「ただ、私は、あなたに友達になってほしいのよ」
…友達。
ちょうど私も、自分に友達がいないことを考えていた。
「どうして、私なんかに友達になってほしいんですか?」
私の愚直な質問にも、女は優しく微笑む。「あなたが、この街に残っているから。私はインステSNSに、私と異なる思考回路を持つ人間が街から出ていくような流行を放ったの。みんな街から出ていき、そして、あなただけが残った、というわけ」
あのSNSの狂騒が、全て仕組まれていただなんて。
しかも目的は友達テストであり、私が合格していた?
戸惑いで二の句が継げない私に、女は手を差し出して「私と、友達になってくれませんか」と訊いてきた。
私は(綺麗なまつげしてるなぁ)と女の顔に見惚れながら、「私の友人になってくれてありがとうございます」と、握手に応じながら、返答した。
女が嬉しそうに笑う。
そうだ、私はこの言葉が言いたかったのだ。
ずっと。
野菜工場へ急ぐ人たち(夕喰に昏い百合を添えて31品目) 広河長綺 @hirokawanagaki
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