第2話

八月二十五日・二日目

    ニュー・デリー~ 1


 目が覚めて、時計を見ると、四時だった。やばい!寝過ぎた!チェックアウトは十二時だったな、、、。超過料金を取られるのだろうか、という思いと、一日無駄にした悔しさがあった。慌てて荷物をまとめて、まだ寝ぼけたまま階段を降りて行った。

 

 しかし、どうもおかしい。外は真っ暗なのだ。四時に日が落ちるはずもない。だとすると、、、。まだ起きていない頭で考えていると下からボーイが登って来た。チェックアウトは十二時だ。私が起こしに行く、部屋に戻れ、と言う。

 

 今は朝の四時なのか?と聞くと、チェックアウトは十二時なんだよ、とボーイはもう一度言った。何だ、朝の四時なのか、、、ここに着いたのが十時半、寝たのが十二時だったから、四時間しか寝ていなかったのだ。部屋に入ったと思ったら荷物をまとめて慌てて出ようとする私を、ボーイは奇妙に思っただろう。


 これが時差ボケというやつなのだろうか?部屋には窓が無いから、朝なのか夜なのか分からなかったのだ。頭がすっきりしてきたので、そのまま起きていることにした。そして時々、廊下に出て窓から外を眺めた。黒っぽくすすけた石造りの民家がひしめいている。五時半に覗いてみると、ようやく明るくなり始めていた。暇つぶしにテレビを見たり、地図を見たりして、九時にチェックアウトした。

 

 宿の男にここはどこか聞いてみた。地図にマークしてもらったのを見ると、コンノート・プレイスの近くらしい。ガイドブックによれば、コンノート・プレイスは、銀行、郵便局、航空会社、オフィスなど重要な機関の揃う、ニュー・デリーのへそであるらしい。

 まずそこへ行こう。中心部には大きな公園があり、木陰でくつろげる、とも書いてあった。よし、そこで旅の計画を立てようではないか。そう思って宿の男に道を尋ねると、車で送ってやる、と言う。これはサービスだから、タダだと言った。

 

 車に乗り、コンノート・プレイスに向かったが、途中で車を止めて降ろされ、ここに入れ、と言う。見ると「Tourist Information」と書いてある。Govermentが頭に付かないところを見ると、民間の旅行代理店みたいなものなのか?連れられて中に入って腰掛けると、前に座っているオフィスの男に聞かれる。


どこから来た?

日本から。

どこへ行きたいんだ?

決めてない。

いつ帰るんだ?

三十日。

 

 と答えると、何だ、一週間しか無いじゃないか、でも大丈夫だ、ノープロブレム。一週間あると、アグラ、ジャイプール、色々行ける。と手元の紙に旅のプランを書き込み始めた。今日は二十五日で、お前は三十日に国に帰る。この日にアグラを見て、次にジャイプールへ行く、、、見てみろ、いいだろう、と言う。

 

 彼の紙の上で、私の一週間のスケジュールはまたたく間に決まってしまった。ちょっと待った。私はまだどこで何するか決めてないの。アイ・ドント・ディサイド・イエット。

 まだ決めてないって君、一週間しか無いんでしょ?と男は言う。私にとって一番痛い言葉は、一週間しか無い、だった。それは本当のことだ。一週間で何が出来るのか?三十日にはニュー・デリーにいて、午後には空港に向かわなければならない。動けるのは、正味あと五日しかないのだ。

 

 そんなことを考えていると、男は別のプランを作り始める。こういうのもある。今日はこれ、明日は、、、。

 いや、いい。自分で決める。とにかくまだ決めてないの。アイ・ドント・ディサイド・イエーット!

オフィスを出て、外で待っていた運転手に、とりあえずここまで運んでくれた礼を言って、足早に歩き始めた。方角など、まるで分らなかった。


 一人で歩くインドの道は恐ろしかった。薄汚れた通りに、大の男たちが暇そうにたむろしている。どこまで行くんだ?車を使えよと寄って来るオート・リクシャーの車夫。日本人はフレンドだと握手を求めて、次に旅行の斡旋をしようとする少年。路地の暗がりでは、こん棒で殴られて地面にうずくまり動かない男とそれを罵る男たち、、、。チェンジ・マネー?と闇両替えの勧誘、、、。バクシーシ(金をくれ)と寄って来る老女、子供、、、などが次々に襲い掛かって来る。インドは、好きか嫌いかの両極端に分かれると言う。私はダメな方の部類なのか、、、と早くも暗く沈んでくるが、一人思い悩む時間は長くは続かなかった。

 

 少年が近寄って来た。例によって旅行の斡旋だった。決めてないんだよ、とまた言って歩き出したが、色々言いながらいつまでも付いて来る。道はさっぱり分からなかったが、とにかく歩いた。

どこへ行くんだ?

分からない。汗が噴き出して来る。

アグラはどうだ?ジャイプールは?

決めてないんだ。


 めちゃくちゃに歩いているうちに、少年が立ち止まる。見るとそこは、Tourist Informationの前だった。さっきとは場所が違うが、この手のオフィスはそこら中にあるらしかった。入ればまた同じことになるのが分かったので、いいんだ。一人で歩きたい。一人にしてくれ。考えたいんだ。決めてないって言ってんだろ!最後は怒ってしまった。少年は、そうか、とムッとした顔で、サヨナラ!と日本語で言って去って行った。

 

 一人になってから、悪かったな、と思った。態度をはっきりさせなかった私のために、彼もまた時間を浪費したのだ。

ようやく一人になった。コンノート・プレイスにも着いたようだ。芝じきの大きな公園が見える。あそこで少し休もう、、、。そう考えたのは甘かった。次のアクシデントは、すぐに用意されていた。


 休む前に気掛かりなことを片付けておこうと思った。まずエア・インディアのオフィスへ行って、帰りの便のリコンフォーム(予約の再確認)をする必要があった。これを忘れると、予約が取り消され、席が無くなってしまうこともあるらしい。電話でも出来るということだが、そんな物は見当たらない。通りを挟んで向かいの大きなビルがそれだと分かった。しかし、どうやって渡ればいいのか。車が多くてとてもここからは無理のようだ。

 

 渡れそうな所を探して歩いていると、後ろから少年に呼び止められた。何だ、と聞くと、私の靴を指さす。その上には、巨大な泥の塊が乗っていた。あっ!と思っていると、少年は泥をぬぐい始める。いや、いいんだよ、と止めようとするが、なおも続ける。泥を払い終わると、白いクリームを塗り始めた。そこまで来て気が付いた。クツミガキ少年だったのだ。金を取るんだろうなと思っていると、やはり要求してきた。


 いくらなんだ?ルピーの価値が分からないから、クツミガキがいくらするのか、さっぱり分からない。いくらなんだ?と恐る恐る聞くと、三百だと言う。

三百ルピー!高いのは分かった。九百円! 高いよ、と言ってみた。もちろんビクビクしているから、口調としては、あの、僕これ、高いと思うんだけど、どんな感じ?というニュアンスに聞こえただろう。

 

 あたりを見回すと、コンクリの土手に座った男たち三人がじーっとこちらを見ている。グルなのかな、揉め始めたら飛んで来て加勢するとか、、、などと考え、二百ルピーで折れた。日本で七百円で買った安靴を六百円で磨いてしまった、、、。


 次に寄って来たのは、もっと小さい、十歳位の少年だった。手にはデリーの名所絵ハガキ二十枚セットを持っていた。買ってくれと言う。見ると、ずいぶん汚い。写真もどうってことない物だ。要らないよ、と言ってなおも歩くが、付いて来る。

 いくらならいいんだ?ついに聞くと、いくらならいい?と聞き返される。腹の探り合いだ。日本で絵ハガキはいくらだったか?めったに買わないのでさっぱり分からない。いくらなんだ、ともう一度聞くと、三百ルピーだと言う。


高いよ。

いくらならいい?

さあねえ、、、。

などと言っている所へ、もう一人少年がやって来る。またクツミガキ用具一式の入った箱を持った少年だ。いったいこの街には何人のクツミガキ少年がいるのだ?

 

 クツミガキ少年は絵ハガキ少年と何やらゴニョゴニョ話した後、私に、三百ルピーは高いかと聞いた。高いと答えると、いくらならいいんだ?と言う。分からない、と言うと、それでは交渉にならない。インドにはインディアン・プライスというのがあって、交渉ののち折り合った値段で売買するのだ。だからあなたの値段を言ってくれ、と言う。

 

 そうか、それなら、と二十ルピーと言ってみる。もちろんデタラメであったが、それを聞くとクツミガキ少年は、そんなに安くちゃ売れないよ、まあ、これなら六十ルピーが相場だ。これはインド人が買う値だ、と言った。

 六十ルピーか、、、友人にハガキを出すつもりだったから、必要な物ではあった。だが、それ以上に、早くどこかへ行って欲しかった。六十ルピー渡すと、絵ハガキ少年は去った。

 

 グッタリと疲れていた。クツミガキ少年はそこに座ろう、と木陰を指さす。日本語を知りたいんだ、と彼は言って、手帳を取り出した。日本人に声を掛けて、何らかの収入を得るための言葉が書いてある。こんにちは。どこへ行くのですか。さようなら。詳しくは見なかったが、そんな言葉が書いてあった。何が知りたいんだ?と尋ねると、今から言う言葉を日本語に訳してくれ、と言う。


 Why do you afraid?

何故怖がるのですか?直訳するとこうだろうか?ちょっと難しいかな、と思い「怖くないですよ」と教えた。私が少年の手帳にWhy do you afraid?と書き、その横にKOWAKU NAIDESUYOと書くと、少年はそれを読んだ。コワクナイデスヨ。うん、いい発音だ。その他いくつか教えた。


 今度は僕がヒンズー語を教えるよ。何が知りたい?

何がいいかな、と思ったが、じゃあ「ここはどこですか?」っていうのを教えてくれ、とWhere is here?と言うと、それはいい言い方じゃない。Please tell me where I amの方がいい。ヒンズー語では、ケルピア・アープ・バタイエ・メーン・カハーン・フンだ。

 

 私が片仮名で自分の手帳にメモすると、ヒンズー語で書いてくれた。言葉のレクチャーはそれで終わり、これからどこへ行くのだ?と聞かれ、また、決めてない、と答えた。少年は、デリーにいちゃだめだ。ここはビジネスマンと物売りの街だ。何も無い、と言った。

 

 私がう~ん、、、と唸ると、Why do you afraid?と聞く。朝からの一連の出来事に、すっかり臆病になっていた。何を恐れているんだろう、、、。分からないけど、何だか怖いんだ、と心の中で思っていると、怖がってちゃだめだ、怖がっていると、付け込まれる、と見透かしたように言う。

 

 凄いこと言うな、と思っていると、どこからともなく一人の男が現れた。男は私の前に腰を下ろし、何やらクチャクチャやって時々ツバをペッと吐いた。パーンを噛んでいるのだ。噛みたばこパーンは噛んでいるとツバが真っ赤になる。それを時々吐き捨てるのだ。


 男は、自分はアンマーつまりマッサージ師であると言い、私の足を揉み始めた。マッサージするかと聞かれ、要らないと言うと、そうか、と言って立ち上がった。自分はラマンジュールという名でこの公園にいる。マッサージする時は捜せ、十分五十ルピーだ、と言って去って行った。


 時計を見るともう一時を過ぎている。何もしないまま、どこにもたどり着けないまま四時間も過ぎていたのだ。朝から飲まず食わずで、疲労と焦燥があった。少年は、ツーリスト・インフォメーションに案内する、と言った。やはり最後はそう来るか、と思っていると、聞くだけならタダなんだから、と言った。


 このままではらちが明かない、この街から出られない、、、。行ってみることにした。そして少年に付いて行った。看板を見ると、さっきの少年が入れたがっていた所だった。どうやらここに着いちゃうみたいだな、、、と思い、入って行った。


 十畳位の部屋が厚いガラスで二つに仕切られていた。奥の部屋には木のテーブルに電話、地図などが雑然と置かれ、客だかオフィスの人間だか分からない五~六人のインド人と、学生らしい日本人の若者二人が座っていた。

どこから来た?学生か?何日いる?どこへ行きたい?

決めてない、としか答えられなかった。公園でゆっくりプランを立てるはずだったのに、一人でいる時間が一分と無かったのだ。一人旅に出て、一人になりたいと思うことになろうとは、、、。

 

 とりあえず気掛かりだったのは、ここがまともな会社かということだった。金だけ持っていかれるとか、、、。それは学生二人組もそうだったようだ。

 ここ、大丈夫なんでしょうか?そう聞くと一人が、分からないです、だから今知り合いに電話して聞いてみるところなんです、と言った。どこかへ電話を掛けていた。○○先輩のお土産、何がいいですかねぇ、などと話していたが、電話を置くと、よく分からないけど、大丈夫みたいです、と言った。私は、はあ、とだけ答えた。どっちなんだ?


 オフィスの男はインド全図を広げて、どこへ行きたい?と聞いた。

実は行きたい所が一つあった。バラナシである。

 そうだな、、、バラナシへ行きたい。口に出して言ってみた。でも、遠くてダメでしょ?と聞くと、いや、大丈夫だ、とスケジュールを組み始めた。長いドライブになるね、と言うと、男は、そうだ、だが問題無い、と言った。

 

 私の航空券は、デリーから入ってデリーから出ていくものだった。デリーから入って、バラナシに行って、カルカッタから出る方法もあった。だが旅は一週間しか無い。列車を使って行ったとして、途中トラブルでもあって足止めされたらアウト。デリー入りして、バラナシまで行ってまた戻って来るのも同様。インドの列車はルーズだと聞いていたので、全く信用していなかった。駅へ行ってチケットを取るのも、恐ろしく時間が掛かるとも、、、。

 

 飛行機を使う方法は、考えられなかった。デリーとバラナシ、点と点を往復するだけだ。車なら時間に縛られない。何かあっても、すっ飛ばせば帰って来られるだろう。安全策だった。


 いくらなんだ?と聞くと、二百五十ドルだと言う。千六百キロを車で往復すると、そんなものか、、、。ガイドブックをめくってみると、飛行機でバラナシ往復で百五十ドルだった。

 男は、どうだ、悪くないだろう、と言った。あと途中で寄りたい所は無いかと聞かれ、欲を出した。そうだな、アグラでタージ・マハルを見たい、と言うとスケジュールに追加した。

 

 今日、二十五日の二時にアグラへ発つ。二十六日タージ・マハルその他を見て中間地点のラクノウへ、一泊して二十七日にバラナシへ着く。二十八日の午後までバラナシにいてラクノウまで戻り一泊。二十九日、デリーまですっ飛ばすとデリーに夜八時頃着く。そして次の日、日本へ帰るのだ、と男は説明した。


 バラナシに一日半位居られるのか、、、。今日の二時出発?あと三十分も無いではないか、、、。確かにアグラまで二百キロあるから今出ないと間に合わないだろう。

決めかねていた。しばし沈黙した。

どうするんだ?

どうしようか、、、?


 リコンフォームをしてないんだよ、と言って外に出ようとすると、何?ここで出来るよ、電話一本だ、航空券を見せてみろ、、、うむ、やってやる。で?どうするのだ?

 時間は空しく過ぎて行く、、、。奥で話していた学生二人が出て来た。アグラ、ジャイプールなど回ったのち、ボンベイまで行く航空券を手配してもらったという。料金をガイドブックで照らし合わせても法外な物とも思えない。では、お元気でとか何とか挨拶して二人は外へ出て行った。


 行くことに決めた。もう時間を無駄に出来ない。オーケー、行くよ、と言った。二百五十ドルだったよね、と聞くと、二百九十五ドルであると言う。何故だと聞くと、アグラ観光が入ったからだと答える。確かに二百五十ドルのプランは、バラナシまでまっすぐ行って帰って来るだけの物だった。そして、この料金には宿代は入っていないこと、運転手の食う、寝る分は関与しないことを確認してオーケーした。

 

 小声で、負けてよ、と言うと男は五の所に斜線を引いた。アグラ観光付きバラナシ往復タクシーの旅三泊四日二百九十ドルが決まった。

 リコンフォームを済ませた男が航空券を返しに来た。大丈夫なんでしょうね?と聞くと、もちろんだ、と言う。なおも、じ~っと券を見つめていると、男は、三十日のフライト、お前の名前、便名、、、などと説明を始めた。よくわからないけど、たぶん大丈夫でしょう、と思うことにした。

 

 ホッとひと息ついた所で、のどが渇いてないか?と聞かれる。カラカラである。そう言うと、ペプシコーラが出てきた。一口飲みながら疑い始めるのだ。睡眠薬入りのジュースを飲ませて身ぐるみをはぐという話はガイドブックに頻繁に登場する。フタを開けて持って来た所など大いに怪しい。私が飲むのをじっと見つめている。そう考えると、味も何となくおかしいような気がしてくる。

 

 車の準備が出来たので出発することになった。まだ数口しか飲んでいないコーラを机に置き、さりげなく外に出ようとすると、背後から、持って行けよと声が掛かる。怪しい。コイツラアヤシイ。と思いつつ照れ笑いを作りながらサンキューと言ってしまうのだった。

 

 写真を撮って欲しいと言うので一枚撮る。証拠にもなるしな、と思いながら。握手などして、用意されたライトバンに向かう。運転手に、助手席と後ろ、どっちがいい?と聞かれ、助手席にします、と言い乗り込んだ。そして車は一路バラナシへ向かって発進するのだった。


       

                 ~続く~


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