第8話 わがままの原因


「——んで、葉夏妃を失落させたのか」


 全てが黄金色に染め上げられ、金糸がきらめくしとねの上、この房室へやの主のような顔で寝そべった男は楽しげに笑う。


「失落はさせていないけどね。とても不安だったから、縋るしかないのでしょう」


 顔は作り物だが、その大柄な態度は幼馴染そのもので紫苑は椅子に座ったまま、冷たく言い放つ。そして、思い出したように向かい側に座る天凱を見た。


「葉夏妃及び、季妃全員に護衛をつけさせてもよろしいですか?」

「季妃全員にか?」


 茶を啜りながら天凱は首を傾げる。


「別にいいと思うが、その方が彼女達も安心するだろうし。ただ、謝秋妃はどうする?」

「砂族から連れてくるとなると時間もかかりますからね。司馬冬妃の故郷も少し離れた場所ですし、彼女達には本人が望むなら私の家から人を送らせます」

「崔家のつてを頼れるなら百人力だな」


 ふっと天凱は相合を崩す。


「崔大将軍には後で御礼をしなければ」

「私達のを許してくださるのであれば、御礼は十分です」

「君は英峰に騙された被害者だろ」


 天凱の言葉に「酷いな!」と英峰は声を荒げた。


「俺が紫苑こいつを引き込んだおかげでこうやって後宮に忍び込むことができたんだろ!」

「だからって紫翠も巻き込まないでよ」

「いいじゃないか。本人は働きたがっていたし、今も生き生きしてるぞ」


 弟が働きたがっていたのは知っている。過保護な母達に要らぬ心配をかけさせないために屋敷に籠りっぱなしだったことも。

 英峰は普通に嘘をつくのでその言葉は信用できないが、天凱からはよく紫翠が楽しそうだと聞いていた。


「紫翠くんは本当に働き者だな。このまま私の護衛官として雇いたいぐらいだ」

「雇えばいいだろ。あいつ喜んで尻尾ふるぞ」

「英峰、紫翠くんは崔家の人間で、君の兄弟じゃない」

「知っているが?」


 それはなにか? と英峰は心底不思議そうに目を丸くさせる。天凱と紫苑はそろって嘆息した。常識をいても本人が理解しなければ意味がないことを痛感する。


「俺は紫苑も紫翠も自分の兄弟のように思っているぞ」

「駒の間違いでしょ」

「まあ、そうともいうな。でも俺がお前たちが小さな頃から教育したおかげで葉夏妃を落とせたんだろ」

「落とせてはいない、と思うけど。他人の考えなんて分からないし、私に取り入るための可能性もある。しばらくは注意を払ってみるつもり」


 人の心とは深く、誰にも読む事はできない。泣いて、膝に縋りついてきた姿を疑いたくはないが、豪族の出自で、欺瞞ぎまん陰謀いんぼう渦巻く後宮で生きていく上で磨かれた処世術の可能性がある。


「まあ、あれだよな」


 英峰がひらりと手を持ち上げる。


「姫春妃の死が見せしめの場合は葉夏妃に対してが一番、濃厚だし、その女もそれ分かってて怯えてるんだろ。紫苑の庇護下に入れば助かると考え、すり寄った。自業自得なのに、今更、後悔するとか笑えるよな」


 なにが楽しいのか英峰はけたけたと笑う。


「紫苑はそのまま葉夏妃と仲良くしなよ。もしかしたらなにか分かるかもしれないし」

「紫苑さんにつついてもらうつもりか? さすがに早急に動くと危険すぎる」

「いいじゃん。少しでも早く解決するには紫苑こいつを犠牲にしなくちゃ」


 犠牲という言葉に天凱はぎょっとし、紫苑は呆れた。


「犠牲なんて、君はなにを言っているんだ?!」


 声を荒げる天凱に対して、


「なにをすればいいの?」


 紫苑は気にしていないといった様子で問いかける。英峰が大袈裟に言うのは今に始まったことではないし、いざという時、紫苑を犠牲にするわけがないと分かっている。


「葉夏妃が言ってたんだろ? 〝姫春妃は時折、殿舎を抜け出しては誰かに会いに行っていた。それは司馬冬妃ではない〟って。その誰かを探れ」


 葉夏妃は歴史ある一族の姫として生まれ、育てられてきたから規律を乱す者がいたら我慢できず、厳しく接してしまう。姫春妃はかねてから許可なく殿舎を抜け出すと夜警を務める宦官から報告があり、その都度、叱りつけていたそうだ。

 結局、そのを止めなかったため、積もった苛立ちを解消すべく、葉夏妃は侍女や宦官に対して八つ当たりをしていた。


「また難題を突きつける」


 姫春妃は抜け出す際は侍女一人つけずに単独だったらしい。それも窓やへいを乗り越えて、隠れながら行っていたため、彼女が誰に会いに行ったのか誰も分からない。


「もし仮に知っている人間がいたとして、私が聞いても教えてくれるわけないでしょ。あなたほど、駆け引きが得意ではないし、失敗しそう」

「まあ、まずは残った季妃と話し合いしてからだな」


 明日は謝秋妃、明後日は司馬冬妃と茶会を開くことになっている。三人はまた徹夜で作戦を練ることにした。




***




 とたとた、と回廊から足音が聞こえ、紫苑は長椅子から身を起こすと寝ぼけたまなこを擦り、あくびをしつつ、周囲を見渡した。

 質の良い臥台には英峰が仰向けで寝ており、絨毯には天凱が丸まって寝ている。どう考えても寝る場所が逆である。


(英峰のわがままってもしや慶王様も原因では?)


 自分を含む崔家と鬼家がその根性を叩き直してやろうと今まで色々な策を練ってきたが、英峰には全くもって意味がなかった。根性叩き直すのは無理だ、これは生来のものだと周囲が諦めて放置していたが英峰と天凱の会話などを見るからに、立場が上の天凱が甘やかすからではないかと紫苑は睨んだ。後で天凱に英峰を甘やかすなと注意しよう、そう心に決めた時、扉が控えめに叩かれた。


「おはようございます、紫苑様」


 雨蓉の声だ。

 しかし、先ほどの足音は複数にあった。他の人間もいると踏んだ紫苑はわざといつもよりも高い声を発した。


「起きてるわ」

「至急、お耳に入れたいことがございます。入室してもよろしいでしょうか?」

「いいえ、天凱様ったらまだ眠っていらっしゃるの。このお姿をあなた達に見せたくないわ」


 入ってこられたら臥台で眠る英峰の姿が見られてしまう。宦官が主人らを差し置いて、臥台で眠るなんて前代未聞だ。どうしても避けなければならないため、恥じるように断ると扉越しで事情を知らない者達が色めき立つ気配がした。


「なにか緊急かしら」

「いえ。司馬冬妃様がお見えになっておられます」

「こんな朝早くから?」

「用件を伺いましたところ、茶会をしに来た、と」


 紫苑は眉を寄せた。外出は危険なので紫苑が直々に各殿舎まで向かうと茶会を開くむねと共に伝えたはず。


「まさか、お一人で来たの? 司馬冬妃は明日のはずだけれど」


 つい口調が強くなる。その声が聞こえたのか、視界の端で天凱が起き上がるのが見えた。唇に指先を当てて、扉を指差し、侍女が来ていることを伝えると寝ぼけまなこで頷き、耳を傾ける。


「ええ、外は危ないのでわたくしの判断で正堂ひろまにお通しいたしました」

「それでいいわ。すぐ支度するからお茶でも出してあげて」

「承知いたしました。失礼致します」


 裾が擦れる音が聞こえなくなると紫苑と天凱は顔を見合わせた。


「司馬冬妃が来たのか?」

「はい。お茶会をしに、お一人で来たようです。今すぐ着替えて正堂に向かいますね」

「私もいこう」

政務おしごとは?」

「〝皇后を愛する慶王〟ならこう行動するはずだ」


 乱れた衣服を整えつつ、天凱はにっと笑う。出会った当初よりも柔らかくなった表情に、紫苑も無意識に笑みを返した。


「あまり、いじめないであげてください」

「もちろんさ」


 さてと、と天凱はまだ眠続けている英峰を見た。


「向かう前にはまず英峰を起こさなければ」

「この騒ぎで起きなければ、けっこう眠りは深めですよ」


 英峰の寝起きは二つある。眠りが浅く、ほんの些細な物音にも反応して目覚める場合と揺すっても目覚めない場合。今回は後者だと睨んだ二人は揃って肩を落とすのだった。


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