第2話 作戦準備
鬼家の三兄弟と言えば、色んな意味で有名だ。武芸に優れ、勇猛に戦場を駆ける長男。穏やかで他者の心の機微に
そんな彼らの両親は両方がおっとりしていて、次男はともかく、血の気の多い長男と性格破綻者である三男がどうやって生まれ出るのかと地元では囁かれていた。
しかし、紫苑は昔っからこの三兄弟、そしてその両親は同類だと感じていた。
「「この度は愚息が大変なご迷惑をおかけしました」」
そっと指先を揃えて地面に額を擦り付ける中年夫婦の姿は、いつぞやの三兄弟の型を思い出させた。立ちすくむ紫苑からは彼らのつむじしか見えないが久しぶりに聞く声とそのお手本のような型から英峰の両親であると分かった。
「……これは何かの行事か?」
背後に控えていた天凱がそっと耳打ちする。戸惑いに満ちたその声に紫苑は「英峰のご両親です」と返した。
押し黙る天凱を疑問に思い、横目で様子を見ると彼は驚いた表情で夫婦を見下ろしていた。
「本当に英峰の両親か? まともそうだ」
「英峰とお祖父様が曲者なだけで、他の人は普通です。一緒にしてはいけません」
「……なるほど」
身分を隠すために文官の格好をした天凱は物珍しいものを見るように英峰の両親を観察した。確かにあの奇想天外な変人を近くで見ていたら、この二人が血の繋がった両親だと信じられない気持ちは分かる。
「……とりあえず、お二人ともお顔をあげてください」
そっと声をかけると二人はおずおずと顔を持ち上げた。顔色はそろって悪く、目の下にははっきりと色濃い
「紫お、翠さん……」
じわりと目尻に涙を溜めた奥方は悲痛な面持ちでまた俯いた。
妻の肩を労わるように抱きながら鬼家現当主である
「紫翠くん、こちらの方は?」
「こちらは英峰の部下です。猫が好きらしく、うちにいる
李は紫苑が子供の頃に屋敷に住み着いた白猫だ。もう十六才の高齢だが、食欲もあり、毎日日向ぼっこをして過ごしている。
連れて登城するには負担が大きいため、たまたま休日が重なったこともあり、部下を伴い帰宅した。
——と言うのが建前である。
愚王と名高いが天凱は慶王。いくら紫苑の生家が名門とはいえ、軽率に連れて来れるわけがなく、変装をしてもらった。
「初めまして。
天凱がそっと声をかけると途端に二人は泣き崩れた。
「英峰の部下ですって? ごめんなさいね。きっと、あなたにすごい迷惑をおかけしたでしょう」
「あやつは口で言っても分かりません。人の心がないのですから、もし無理難題を言うならぶん殴ってやってください」
両親から英峰への評価を耳にした天凱は唇を引き
どう返せばいいのか分からず、天凱が困っていると屋敷の奥から柔和な面差しをした男女が歩いてきた。
「まあまあ、騒がしいと思ったらどうしたのです?」
女は袖で口元を隠して、小首を傾げる。
「紫翠、なんの騒ぎだ?」
地面に膝をついて泣く鬼家の夫婦から紫苑に視線を移した男は、両の眉毛を下げた。
「父さん、母さん、ただいま帰りました」
「ええ、おかえりなさい。お勤め、ご苦労さま」
「帰ってくるなら一筆よこしなさい」
「もう、あなたったらそんなこと言わないで、紫翠は疲れているのよ」
「そうだな。さあ、屋敷に入りなさい。そこの御客人と翔峰どの達も」
して、と紫苑の父——
「英峰も一緒かい?」
彼らだけではなく崔家の人間は、紫苑以外、英峰が嫌いだ。大嫌いと言ってもいい。
「いいえ、英峰は仕事が立て込んでいるそうなので来ていません」
「そうか、それは仕方ない」
ほっと息を吐くと紫廉は翔峰達の元へ行き、立ち上がらせた。元凶の親であれ、二人は幼なじみ。気心知れた友が妻と揃って地面に伏せて、さめざめと泣く姿は見たくないと立つように促した。
「しかし」
「悪いのは英峰であって、お二人は悪くない。それに、本当に嫌だったら紫翠も断っているだろう」
やっと英峰の両親が立ち上がった、と紫苑はほっと息を吐き、周囲を見渡した。
「ところで紫苑はどこにいるんですか?」
すると紫廉と彩媚は困ったように眉を下げた。
「紫苑なら庭園にいるのだけれど……」
「ああ、いるんだが……」
歯切れの悪い言葉に紫苑は片眉を持ち上げた。
実際に見に行った方が早い、と言われ紫苑は天凱を連れて花庭へ向かうことにした。
***
「どうか私の妻になってください!」
「君のためなら僕はこの命も惜しくありません!」
「あなたに苦労はかけません。地位も名誉もあなたに捧げます!」
花庭の中央では三人の男が叫んでいた。彼らが求愛するのは青葉揺れる花海棠の下に立つ一人の女人である。女性にしては身長は高く、長い手足をしている。宝玉のように輝く紫瞳は長い睫毛によって、隠されているが困惑しているのは遠くからでもよく分かった。
「し、おん?」
庭園の入り口で仁王立ちした紫苑は声を震えさせた。
か細い声は女性——紫翠にも届いたようで、ぱっと顔をあげる。紫苑の姿を視界に入れると安堵のため息をついた。
「ねえ、あっ……。し、紫翠、おかえり」
「ただいま。えっと、この方達は?」
紫苑は紫翠の下へ駆け寄ると男達に一瞥を投げた。
そして、小首を傾げた。三人とも、そこまで親しくはないが見知った顔だ。染物屋の若頭に文官を目指す青年、商人の
「その、私を
気まずそうに紫翠はまつげを伏せる。
「そ、そう」
「……ごめん。今日、紫苑が帰ってくるとは思わなくて、迎えに行けなくて」
「いや、それはいいんだけれど」
帰宅が決まったのは昨夜だ。帰宅を伝える手紙を出す暇はなかった。落ち度は自分にあるため、謝らないで欲しい。
「あー、すまないが、今日は帰ってくれないかな?」
紫苑は男達を見下ろしながら門の方角を指差した。これからする話は部外者に聞かれるわけにはいかない。
男達は顔を見合わせると紫苑の側に詰め寄り、その手をとった。
「紫翠くんだよね! 君に言いたいことがあるんだ!」
急に顔を近づけられ、紫苑は動転する。顔だちは似通っているとはいえ、性別の壁は誤魔化せない。喉仏、輪郭、体の厚み——。どうにか衣裳で誤魔化してはいるが近距離で観察されたらバレてしまう。
特に目の色は見られてはいけない。赤みが強い紫苑と違い、紫翠の瞳は青みがかっている。紫苑は不自然ではない動きで視線を慌てふためく両親へ向けた。こうすれば、垂れた髪が横顔を隠してくれるので男達に顔を見られる心配はない。
「誰です? この方達は」
えっとね、と彩媚が困ったように頬に手を添える。
「英峰くんがお城で寝泊まりするようになったじゃない? そのおかげで紫苑と結婚したい方達が多く訪れるようになったのよ。男性も女性も、子供も」
「意味がわからないんですけど」
本当に意味がわからない。紫苑が白んだ目で両親を見つめていると袖を誰かに引っ張られた。
「なあ、紫苑さん」
天凱だ。紫苑の耳元に唇を寄せると小声で「どうする?」と囁いた。
「時間がない。戻るのが遅れたら英峰が切れ散らかすぞ。ここは私が慶王だと告白するのはどうだ?」
「騒ぎになるのは避けたいんですけど」
「騒ぎにはなるだろうが私は愚王らしく仕事をサボってるし、なにより目撃情報もあっていいだろう?」
ううん、と紫苑は考える。慶王の登場に騒ぎになることと作戦を有利に進めることを天秤にかけた。崔家の人間として後者を選びたいが、今の紫苑は慶王の護衛。つまり、選ぶべきなのは——。
「……お願いします」
紫苑が承諾すると同時に天凱の方向から鋭い舌打ちが聞こえた。
この場にいた——紫苑以外——全員が一斉に天凱を振りむく。
「おい、紫翠。いつまで予を待たせるつもりだ?」
明らかに怒っていると分かる重低音に、鋭い眼光。がしがしと後頭部を掻き、胸を逸らす姿は一介の文官には見えない。居丈高な態度だけで十分伝わりそうだが、天凱の正体を確実に知らせるべく、紫苑は恐る恐ると口を開いた。
「申し訳ございません。しばらくお待ちくださいませ、慶王様」
小声だが周囲に聞こえるよう言えば全員が「慶王様」という言葉に反応した。空気が嫌な意味で張り詰める。
(慶王様、本当に演技がお上手だな)
短期間だが天凱の気性が優しいことを知っている紫苑は場の空気を理解せず、ほのぼのとした感想を抱いた。
天凱は周囲の視線が自分に向いたのを自覚すると次に紫苑の手を掴む男を睨みつけた。
「……おい、お前」
「は、はいっ!」
「いつまで我が護衛の手を握っているつもりだ?」
静かに、重く、怒りの感情を声に乗せると男は可哀想なほど震え上がる。
「予はこの女に用がある。邪魔をするな」
この女と指さされた紫翠がさっと顔を青くさせる。
「もう一度言う。出ていけ、今、すぐに」
言葉が終わると同時に三人は門に向かい走り出した。お互いの体がぶつかっても、足がもつれ転がっても、他者を痛ぶると定評のある愚王の前から一刻でも早く消え去るために。
「小うるさいやつらだ」
この場に崔家と鬼家の人間だけが取り残されると、天凱は腕を組み、心底面倒くさそうに近くにあった大岩に腰掛けた。
「すみません。今から大切な話があるので、紫苑以外は離れてくれますか?」
「しかし、紫苑は……」
ぐっと紫廉は言葉を飲み込むと小さく頷いた。
「先ほどは失礼いたしました。何かあれば、紫翠にお申し付けください」
まだ混乱している妻と親友夫婦の背を押して、庭園からでていいった。
紫廉達の姿が見えなくなると同時に天凱は怒るふりをやめた。掻いたことで乱れた髪や衣服を整えながら紫苑の隣に立ち、にっと口角を持ち上げる。
「どうだ? うまいだろう」
「はい。うまく人払いできましたね。さすがです」
「ずっと演じ続けていたからな。でも、あそこまで怖がらせるつもりはなかったんだ……」
「落ち込まないでくださいよ。あれぐらいで怖がるわけないですって」
「それは君だからだ。普通の感性の人間なら慶王が怒っている時点で恐れるだろう。特に私のような人をいたぶる愚王なら家族に害が及ぶかもしれないのだから」
その言い方だと紫苑が家族の安全を
「慶王様がそんなこと言うわけないって分かっていますからね」
「どうだか。思えば会った当初から君は恐れず、冷静だった。私の嫌がらせも
「そんなことありませんよ」
図星を指された紫苑は視線を逸らす。
「ほら、この話は終わりにして本題に入りましょうよ」
「分かりやすく話を変えようとするな」
「英峰が怒りますよ。あの人、吏部の仕事と色んな手続きをしなくちゃいけないので、怒りの沸点が非常に低くなっているだろうし」
英峰が怒り狂っても紫苑の方が力が強いため、分配があがる。
しかし、悔しいことに英峰は頭がいい。非常に厄介で、人の心はないのかと問いたくなるような嫌がらせを得意としていた。
「あの人、本当に嫌がらせに命賭けてるところあるんで早く済ませて帰りましょう」
「ああ、あれはな……」
心当たりがあるのか天凱は乾いた笑い声を出すと、混乱したままの紫翠に視線を向けた。
紫翠は名門、崔家の次男として生を受けた。
生まれた時から病弱な紫翠は、両親や
紫翠としては祖父のような武人となり、家族や国を守るために戦いたかったが家族が反対した。彼らにとって紫翠はいくつになっても病弱な末っ子でしかない。祖父に頼み込んで武芸を叩き込んでもらっても「危ないから」と争い事から遠ざけられた。
ある日、姉が慶王の護衛となることが決まった。あのぼんくらな最低人間が紫翠と偽って紹介したせいだ。
これは絶好の機会だと紫翠は自分が行くことを提案したが心配性な家族は決して首を縦には振らない。紫翠よりも運動神経が良い姉が護衛をする方がいいと言い、姉は男装をして登城した。
代わりに紫翠は女装をすることになった。姉のふりをして朝から晩まで生活し、困った
そんな生活が身に沁みてきたある日、姉が戻ってきた。傍らに控える目元が優しげな青年が大の猫好きで、飼い猫である李に会いにきたようだ。
(でも、すぅちゃん目当てではなさそう)
先ほどまでの怒りはどこへやら、楽しげに姉と談笑をする青年を伺い見ながら紫翠は己が置かれた立場を理解すべく、頭を動かした。姉と周囲の反応から青年が慶王であることは間違いない。そんな男が「紫苑と話がある」といって、残るように言ってきたことから
「やあ、紫翠くん」
ぱちり、と瞬きをする。青年——天凱が口にしたのは紫翠の本名だ。
これはどういうことだ、と紫翠は姉に視線を送る。自画自賛するが自分の女装は完璧だ。姉そっくりな容貌、その性格を演じた紫翠は家族以外からみたら姉そのものに映っているらしく、一片たりとも疑われなかった。
「紫苑さんから君のお話は聞いているよ」
姉は肩をすくめると「事情を話したんだよ」とのうのうとのたまう。
はあ?! と紫翠は素で驚いた。
「話したって、入れ替わりのことを?!」
「うん」
「うんって姉さん、どうして」
「英峰が言った」
やはり、予想していた人物の名前に紫翠は鋭い舌打ちを打つ。慶王の御前でも怒りが勝った。
「あの男、本当に、いい加減、どうにかしないと。姉さんを危険に晒して、また晒した? ふざけきってる」
「……話には聞いていたが、
ドン引きした天凱の声が聞こえて、紫翠ははっと正気にかえる。英峰をタコ殴りにしてやりが、それは後だ。
「慶王様、先ほどは不適切な姿をお見せしてしまい、申し訳ございません。このような格好でご挨拶することをお許しください。私は崔大将軍の孫、紫翠と申します」
ドン引きした表情で口角を引き攣らせる天凱の前に膝をつき、祖父の教え通りの口調で言葉を紡ぐ。
事の発端を説明し、あの悪名高い三男に騙され、片棒をかつぐことになった事を説明しようとするが天凱が慌てて止めてきた。
「顔をあげてくれ。別に罰したりはしないさ。君達も、どうせ彼に騙された口だろう?」
呆気からんと笑う天凱とその後ろで額に手を当てうなだれる姉を交互に見ながら紫翠は首をひねる。
「では、どのようなご要件でしょうか」
「君には私の護衛を頼みたいんだ」
はて、と更に首をひねる。
「慶王様の護衛は姉である紫苑が務めていますが、更に私もということですか?」
「いいや、紫苑には私の
「……え」
「紫苑は本来の名前と性別に戻って、後宮に入ってほしい。すると、私の護衛を務める崔紫翠はどうなる?」
「その空いた席に私が座るということですね」
ああ、と天凱は頷き、ぽつりぽつりと話し始めた。天凱が愚王を演じる理由は、失踪した長公主を探すためだった。長公主はおそらく後宮に囚われているため、偵察として紫苑が後宮に潜り込み、その間の護衛を紫翠が務めて欲しい。どこに敵が潜んでいるか分からないため、危険が伴うこと、その分の報酬ははずむこと。その話を聞いているうちに、裏で手を引く三男の姿が脳裏をよぎったが、紫翠はこれが絶好の機会だと考えた。
「私でよろしければ、慶王様の
自分はいつまでも甘えん坊な病弱な小僧ではない。天凱の護衛となり、それを証明する。姉が嫌そうな顔をしていることに気が付きながらも紫翠は深く
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