『小休憩』17番目の物語

利糸(Yoriito)

楽園

 遠い昔か遥か未来か、妖精が身近な時代。妖精に愛されたひとりの青年がいた。

人間に生まれながら人間に馴染むことのできなかった青年は妖精達と共にひとつの楽園を造り上げる。それは正しく、青年と妖精達だけの、不安なことも怖いことも悲しいことも一切のない楽園だった。

 青年が楽園で人間としての寿命を全うすると楽園は静寂に包まれる。それから幾ばくの時が流れ、青年の喪失から妖精達が少しずつ立ち直り始めた頃。不思議な力を持つ妖精を目当てに人間が楽園を踏み荒らすようになった。妖精達は青年と共に造り上げた愛しい楽園を土足で踏み荒らされ、仲間を連れ去られたことに怒り、悲しみ、固く固く心を閉ざす。それ即ち、楽園の扉が閉ざされるということ。

 誰も彼もの侵入を拒むようになった楽園の存在は長い時を掛けて世界から忘れ去られていく。妖精の存在さえ伝説となる程の時が流れると、妖精達はずっと目を背けてきた事実と向き合わなければならなくなった。

 悠久に続くと思われた楽園の終わり。

 人間と共に造り上げた楽園を、自分達だけで維持していくことが不可能であることを妖精達は最初から分かっていた。分かっていたがこの瞬間が訪れるまで、妖精達は青年以外の主人を迎えることを考えられなかった。

 妖精達は選択を迫られる。このまま青年の思い出と共に朽ち果てるか、新たな人間の主人を迎えて楽園を存続させるか。

 妖精達は結論に至る。青年と造り上げた楽園は妖精達にとって掛け替えのないものだった。青年が居ないからこそ守り抜きたいものだった。

 妖精達は決意する。新たな人間の主人を迎えることを。けれど、妖精達には青年以外の人間を崇め敬うつもりが毛頭ない。妖精達はほくそ笑む。楽園が維持されればそれで良い。新たな主人は傀儡かいらいで良い。

 そして、楽園の扉は再び開かれる。僅かに開かれた扉に迷い込んで来る人間達を妖精達はふるいに掛けていく。傀儡とはいえ仮にも楽園の主人になる者を妖精達は適当には選ぶことができなかった。あれでもないこれでもない、あれは駄目だこれは駄目だと、そうこうしている内にタイムリミットは近付いてくる。焦る妖精達の前に楽園へと迷い込んで来たのは年端もいかぬ少年だった。妖精達は覚悟を決める。この少年を傀儡にして楽園の主人に立て、再び楽園の扉を閉じるのだと。けれど、

「ああ、理想的な楽園だ」

 驚くべきことにその少年は、洗脳しようと試みる妖精達の手を掻い潜り、楽園の奥に設けられた主人の席に辿り着く。

「ふん」

 石を無機質に削り出しただけの冷たい椅子を少年は撫でる。

「あまり座られた形跡のない椅子だな。殆どお飾りだったか」

 少年の言う通りだった。その椅子は、作ったはいいがあまりの重々しさに使われることの殆どなかった形ばかりの椅子だった。妖精達が愛した青年は地べたに座り、近しい場所で妖精達と接することを好んだ。主人など名ばかりで、決して奢ることのない人間だった。それでも、その椅子が楽園の主人の椅子であることに変わりはない。

「まあ、なんでもいいさ」

 少年はそう言うと片方の肘置きに頭を乗せ、もう片方の肘置きに足を乗せて椅子の上に横になる。その様子にひとりの妖精が飛び出して行こうとするが、その妖精を別の妖精が引き留める。

『どうして止めるの!』

 引き止めた妖精の視線が落ちる。

『……もう、疲れた』

 怒っていた妖精が驚いて周囲に目をやると、他の妖精達も皆同じような顔をしていて、身体から力が抜けてしまう。一様に諦めたような顔の妖精達に声が掛かる。妖精達が愛した青年の穏やかな声とは程遠い、それは愛想の欠片もない声だった。

「お疲れ様。僕は休む。君達も休めばいい」

 そう言うと少年は妖精達になどまるで関心がないと言わんばかりに目を閉じる。悪意も邪念も見えない少年に、妖精達はお互いの顔を見合わせた。


 少年の存在が楽園の綻びを修復していく。あまりにも早い修復に妖精達は勘繰ってしまう。あの少年は本当に人間なのかと。けれど、この楽園は人間と妖精達の手によって在り続ける楽園。壊れ掛けていた楽園が存続している今、それが、少年が人間であることの証明に他ならない。

『でも、なんかおかしいわよ』

 妖精達は一先ず少年への対応を保留にして、監視と観察を続ける。

少年は大半の時間を楽園の主人の椅子の上で寝て過ごす。時々目覚めては再び眠りにつく。そんなことを繰り返す少年に大半の妖精が見飽きてしまった頃、微睡んでいた少年の深い青色の瞳が開く。

「……」

 何度か瞬きを繰り返し、椅子から降りるとやおら歩き出す。少年を見続けていた僅かな妖精達が慌ててその後を追って行く。それに気付いた他の妖精達がなんだなんだと次々に続く。少年は木々の間を縫って行くと、腕を組んで立ち止まった。一点を見つめる少年に妖精達は首を傾げる。

 妖精達はそこに何も見出すことができない。けれどそこには少年にだけ見える姿があった。

「             」

「ああ。まあ」

「                       」

 死して尚、残された妖精達を心配して去ることのできなかった青年は力なく笑う。

「                                」

 少年は大きなため息をつく。

「マヌケ。僕はもう、一度閉じたこの楽園を開くつもりはない。ああ、そうだ」

 少年が振り返ると、木の陰から少年のことを窺っていた妖精達がビクリと身構える。

「いつまでも視線がうざったいんだ。あんたがご機嫌取りしてくれよ」

 少年が指を鳴らすと何もなかったその場所に、妖精達にとっては酷く懐かしく愛しい者の姿が現れる。その姿に言葉を失くした妖精達は次の瞬間には声にならない雄叫びを上げて次々に青年に飛び付いていた。

「管理人でもやれば」

 少年は妖精達にもみくちゃにされる前楽園の主人に背を向けた。

 青年は視界を遮る妖精をちょっと退かしながら遠ざかる小さな背に問い掛ける。

「妖精達にすら感知することのできなかった僕を見つけた君は、一体何者なんだろう?」

「さあね」

 少年はつっけんどんに言って歩き去る。


   :::


「マスター、マスター。僕の可愛いご主人様。お茶が入りましたよ」

「その呼び方ヤメロ」

 少年はいつものように惰眠を貪っていた石の椅子から声の主を睨め付ける。前楽園の主人、現楽園の管理人となった青年が琥珀色の瞳を細めて笑う。

「あなたが僕に役職をくれたんじゃないですか。僕が楽園の管理人で、あなたは楽園の主人。つまりあなたは僕の上司。妥当な呼び方だと思うのですが」

「……」

『アキマ。頼まれたハーブ持って来たわよ』

「ありがとう」

 青年が戻ってからというもの、妖精達の様子は明らかに明るく元気になっていた。今も手の平大の妖精が羽をキラキラと輝かせながら青年に纏わり付いている。

 少年にとってはその光景すべてがどうでもいいことだった。けれど、どうしても訂正しなければ気が済まない。

「僕はあんたに管理人になればとは言った。確かに言った。けど、お茶汲み係になれなんて言ってない。って、おい」

 上司と言う割に青年の少年への態度には遠慮がない。現に今も少年を無視して手際よく、妖精達が地面から生やした机の上にてきぱきと、見目も麗しい華やかで煌びやかな菓子類、軽食類を並べている。

 少年はふてくされて椅子に身体を埋める。

「僕のことは放って置いてくれ。やっと理想的な静かな場所に辿り着いたんだ。僕はもう誰とも関わり合うつもりは」

「はい」

 口の中にふかふかの香り高い何かが放り込まれた。思わず少年は咀嚼する。

「おいしい……」

 それは衝撃的なおいしさだった。我に返った時には既に遅く、青年が満面の笑顔で「机へどうぞ」と身振りで誘っていた。少年は苦虫を噛み潰したような顔になる。そんな少年を見て青年は少し困ったように微笑む。

「僕だって人間と関わり合いになるのは御免です。かつて僕も人間に生まれましたが。どうにも人間社会には馴染めなかった」

「だったら……」

「ですが、あなたは特別です!」

「……」

「あなたは僕に、置いてきてしまった妖精達へ再び相まみえる機会をくれました。お別れも、ひとりで逝くことも覚悟していた筈なのに。未練がましく留まり続けた愚かな僕は、悲しみ、苦しむ妖精達を見ていることしかできなかった。あなたが妖精達を救ってくれて、この楽園の新たな主人になってくれて、これでやっと思い残すことはないと思った時には既に遅く。間抜けにもここに閉じ込められた僕をあなたは見つけてくれた上に役割までくれた。そうでしょう?」

 瞳を輝かせる青年に、少年は顔を顰める。突っぱねることはできた筈なのだが甘味への誘惑に負けた。石の椅子から降りて、机同様地面から生える木の椅子へと座り直す。

「はあ。こんな筈じゃなかった」

「ハーブティーをどうぞ」

「くそ。ここでは何も食べなくても平気な筈なのに」

「娯楽は必要ですよ。特にこういう半永久的に続く場所では」


 新たな主人に新たな管理人を迎えた楽園の穏やかな日々は続く。


                                  了

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