第46話 忘れたはずの恐怖心

「タイミングはケーキ入刀の直前でいいのか?」


「はい、それで大丈夫です」


「よし、じゃあこれでひとまず終了だ。あとは式を待つだけだ」


「あの、ありがとうございます!」


「礼はいらないよ。アンタみたいに真正面から評価してくるやつなんてそうそういなくてな、この歳になってちとムキになっちまっただけさ」


「あの時は...すいませんでした。協力してもらおうと必死で...」


「いや、逆に礼を言うよ。ありがとう。おかげでやる気になったよ。ただ、これで盛り上がらないのなら簡単には許さないよ」


「はい!」


牽制し合っている様なこのラリーには互いへの感謝や尊敬がちらほら窺える。


お爺さんはきっと私に対して悪くは思っていないだろう。


自分勝手だが、私はそう解釈した。その解釈は苦しいものではなかった。


もし、少しでも不平不満があるのならここには来させてもらえないだろう。


私はひとまず城を後にし、サルバドールさんの元へ戻った。


「何していたんですか?」


「いや、少し話したい人がいまして。その辺を歩いてました」


戻って来て早々、サルバドールさんにとっては空白の時間を確かめられた。


その口ぶりはまるで今朝告白という2人の関係のターニングポイントがあったとは思えないほど軽々しく、至って普通であった。


「もうすぐですね。結婚式」


私はそっと、サルバドールさんが座るベンチの隣に腰掛けながら話しかける。


「そうですね。マルク王子の結婚式なんだから、クゴンカ中が大騒ぎですよ」


少し舞い上がり気味にサルバドールが言う。


「.........そうですね」


私は納得していない感じを存分に表した。


「やはり、マリアのことですか?」


そんな私の様子に気づき、重苦しく聞いてくる。


「ええ。サルバドールさんだって知ってるでしょ。マリアの裏の顔。ここの人たちには随分とよく見られてるみたいだけど」


「そうですね」


「納得いかないと思わないんですか?国の王子があんな人と結婚するなんて」


「けど、マリアは国民には本当に慕われていまして、彼女が裏ではあんなことをしているなんて言っても誰も信じないですよ。それほど国民からしたら違和感のない結婚なんですよ」


確かにそうだ。裏の顔は誰にも見られていないから裏の顔なんだ。


逆にあんな強烈な性格を隠しもちながら優等生を演じれるなんてどんな神経しているんだ。


マリアのうちに秘めた狂気が恐ろしい。


俯き顔で私は水面を見つめた。


そこに浮かぶ蓮の葉に一匹の虫が止まる。


しかし、葉が湿っているのか足がとられて水に落ちてしまった。


その虫をずっと見続けているが、自ら上がってくる気配はない。


私もこんな感じでまた地に落ちてしまうのだろうか。


これから起こることを考えたら忘れたはずの恐怖で心臓の鼓動が早まった。


だめだ。あのことを考えると身震いがしてくる。足がガクガクし、体が落ち着かない。途端に呼吸が荒くなって来てしまう。


私はそれを死以上のものと捉えてしまっているのかもしれない。


私はひとまず深呼吸をし、その時を待った。

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