第45話「妹は兄に食事を奢りたい」
「お兄ちゃん! 私とサシで食べに行きませんか?」
「別にいいけどこの辺にお前の言う雰囲気のいい店ってあったか?」
妹は割とムードにこだわるので場末のラーメン屋などにはあまり行きたくないようだが。
「お兄ちゃんに奢って恩を売っておこうと思いまして、近所の定食屋でもいいかなと思いまして」
「恩を売るって……何かリターンが欲しいのか?」
「それについては考え中ですが、十八禁な要求はしないのでご安心を」
茜は真面目な目をしてそう言うので俺も断りづらく、ついつい了承してしまった。
しかし俺の予算はそれほど無い。どうしても妹に集ってしまう形になるのだが、兄として少々情けなくはないだろうか? そんな顔をしているであろう俺に茜は笑いながら言う。
「そうやって大したことでなくても重めに考えちゃうお兄ちゃんのことは嫌いじゃないです! でも今日くらいは素直にお世話になって欲しいところですね」
胸を張ってそう言う。俺の面子より自分のしたいことを優先する。茜らしい発想だが俺は少し自分が情けないような人間に感じてしまう。茜の気遣いはうれしいし、それを否定したくはないのだが……
「まあまあ、お兄ちゃんも深く考えず行きましょう! 案外行ってしまえば気にならないものですよ?」
「そういうものかな?」
「ええ、私が奢りたいんだからいいじゃないですか! 妹の言うことを聞くのも甲斐性ですよ?」
ニヤリと笑う茜に俺は反論の材料がないのでそれを受け入れ昼食を食べに行った。玄関を出て茜にどこに行くのかを聞く。そもそもこのあたりに茜の望むような店舗がないことは知っている。電車で一時間ほどかければショッピングモールで食事もできるが、この町の中に高校生が喜々として食事をするような店舗は無い。
「ところでどこに行くんだ? この辺に雰囲気のいい店ってあったっけ?」
「いえ、普通に流行っているラーメン屋さんです。少女一人では入りづらいのでお兄ちゃんについて来てもらおうかと」
なんだ、一人で行くのが恥ずかしいだけか。ラーメンならそれほど高くないだろうし、俺の乏しい財布の残高でも支払うことができるだろう。茜についていくのだって別に特別なことでもない、全然普通の事じゃないか。
「よし、この辺で人気のラーメン屋か……東北屋になるのか?」
「当たりです! お兄ちゃんは妹の好みがよく分かってますね! いいですよ、いい感じに以心伝心になってます!」
いや、ここら辺にはラーメン屋自体が少ないから選択肢も少ないだけなんだが……
「じゃあ行くか」
「まだ十一時ですよ?」
「あそこはいつ見ても行列してるからな、行列の先頭になるために早めに行った方がいい」
お昼を少し過ぎただけで行列ができる店なので大急ぎで言った方がいいだろう。行列に並ぶのが好きじゃないというのもあるが、一番乗りというのに魅力を感じるんだ。
何事も先んじる方が好ましいと思っているので俺は即行こうというのだが茜は少し困った顔をしていた。
「お兄ちゃんとのデートであまり色気のない格好をするのは好きじゃないので着替えさせてもらえますか?」
「やめとけ」
「え!?」
茜はポカンとしているが、根本的にその発想には問題がある。
「お気に入りの服をニンニク臭くしてスープの染みをつけたくはないだろう?」
茜は少し考えてからそれもそうだという顔をした。
「確かにあそこはニンニクがキツいですもんね……」
「そういうことだ。納得したなら行くぞ」
「はーい!」
こうして俺たちはラーメン屋に向かったのだが、そこは少し遅れたらしく数人が開店前に並んでいた。
「後れを取りましたね……」
「数人くらいなら開店したときにまとめて呼ばれるよ、気にすんな」
茜は納得したらしく行列に俺と共に並んだ。そして一〇分くらいしたところで先頭から住人が店内に入れるということで俺たちは二人とも無事食事にありつけた。
「辛さ激辛、麺はハリガネで」
「私は辛さ普通、麺も普通で」
俺たちはそれぞれ注文をした。ニンニクの匂いが開店直後だというのに漂っている。やはりニンニクで有名な店だけのことはある。
「茜、ニンニクも普通でよかったのか?」
この店では辛さを指定するときニンニクの量に比例している。ニンニクが名物なのだからそれをたっぷり頼むものかと思ったら茜からすればそうでもないらしい。
「お兄ちゃんとキスすることがあるとき困るじゃないですか!」
とは妹の談だが、そもそもキスしたとして俺の方のニンニク臭は何も解決しないと思うのだが深く考えると負けらしい。そして少し待つと俺たちの前にどんぶりが置かれた。俺の方にはニンニクおろしがたっぷり乗っており、茜の方には控えめにどんぶりの端に盛り塩のごとく盛られていた。
「頂きます」
「いただきます!」
こうして俺たちはラーメンを食べたのだが、結構な量があることは確かだった。安くて量が多い、しかもそこそこ美味しい、人気店としての条件は完全に満たしていた。安くて美味い以上に何を求めるというのか? もちろん写真を撮って映える店でないのは確かだが、そもそも客層がまるで違うのでラーメンの写真を撮っている人は一人もいない。
茜はラーメンをすすって顔を紅潮させる。
「いやー、やっぱり美味しいですね! 評判が良いだけのことはあります!」
俺もニンニクを麺と共に口に入れ、ピリッとした辛さと匂い、そして固めの麺を味わった。
「美味いな、行列ができるだけはある」
茜はとても嬉しそうにラーメンを食べ続けていった。俺は口臭の心配もせずニンニク付の麺をかき込んでいた。健康には良くないであろう味だが、その分脳が幸福感を覚える味だった。健康に悪いものだから美味しいのかもしれない。アルコールがその代表格だろう。
そして麺を食べ終わったところで茜の方を見るとスープまでしっかり飲み干していた。「健康に悪いぞ」と言ってやろうかとも思ったのだが、健康を気にするならそもそもこんなラーメン屋に行こうという発想にならないだろう。覚悟の上で丸ごと食べているのなら自由にすればいい。
少ししてスープを飲みきった茜が席を立つタイミングで俺も席を立った。伝票は茜が持って行き、QRコード決済で会計をしていた。
「どうです! 美味しいでしょう?」
俺は返答を少し考えて『美味かった』と答えた。実際美味しかったし、毎日食べるような店ではないが時々行きたくなるような店だった。
「お兄ちゃんは借り一つですね!」
茜がとても嬉しそうにそう言う。どうやら昼飯一食で結構な対価を払わされるらしい。ただより高いものはないということを反芻して、俺は食べ物は高くつくんだと思い知った。
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