第43話「妹とキーロガー」

『int main(int argc, char *argv[])』


 久しぶりに書いたがこれでいいんだっけ? Cなんて久しく書いてないんだよなあ……


 俺はコンピュータを前に唸っていた。暇つぶしにプログラミングをしようと思ったのだが、すっかり頭の中から情報が抜け落ちていた。


『printf(“こんにちは世界”);』


 ハローワールドはこれであっているはず……こんな初歩のことまで忘れるなんて重症だな……そんなことを思っているとスマホに通知が入った。


『お兄ちゃん、『世界』って誰ですか?』


 そう表示されていた。どう言っていいのか分からないがどう考えてもこのメッセージを送ってきた他ならぬ妹は何らかの方法でPCを監視しているのだろう。背筋がゾクリと冷えた。


 タスクマネージャを開いて怪しげなプロセスを探す。明らかに監視されていると思うのだがそれらしいものが見つからない。


 しょうがないので茜の部屋に行くことにした。この隠蔽力の高さはいにしえのツールバーのごときしつこさを思い起こさせる。


 コンコン


「茜、ちょっといいか?」


 聞くなりそうそうバタンとドアが開いて茜が飛び出してきた。


「お兄ちゃんならいつでもウェルカムですよ!」


 そう言って部屋に通してくれた。ワクワクしているのが傍目に見ても分かるのが少し腹が立つ。俺は不安だから来てるんだよ。


「で、お兄ちゃん! 何のご用でしょう?」


「これ」


 俺はさっき届いたメッセージを開いて見せる。茜は涼しい顔をして俺に微笑む。


「お兄ちゃんが私以外の誰かと連絡を取っているとしたら大問題ですからね、確認を取っただけですけどそれが何か?」


「何か? じゃねえよ! お前、俺の部屋を盗撮でもしてんのか?」


「今はやってないですね、それはお兄ちゃんのタイピングのログを辿って見つけたものです」


 堂々と俺のPCにキーロガーを入れていると宣言する茜。俺はもう呆れて何を言っていいのか分からない。普通そういうところは誤魔化すものじゃないのか? 目の前の妹は『良いことをしました』といった雰囲気を出している。自分が悪いことをしているなど微塵も思っていないような涼しい顔だ。


「とりあえずメッセージに答えておくとあれはプログラミングで例文として書いただけだよ、世界なんて名前の人間は知り合いにいない」


 茜は明るい顔をして俺に声をかける。


「そうですか! 私はお兄ちゃんを信じていましたよ!」


 だったら盗聴とか盗撮とかキーロガーを仕込むような発想には至らないはずなんだよなあ……


「でさあ、キーロガーなんだけど、削除してくれない? プロセス一覧に出てこないとか凶悪すぎるんだけど」


「えー……お兄ちゃんのことを知りたいだけじゃないですか! それが悪いことだとでも言うんですか? 妹の愛を否定するんですか?」


「愛情じゃなくて独占欲なんだよなあ……」


 最悪PCの初期化も視野に入れているが、正直面倒くさいのでやりたくない。合意の上で監視ソフトを削除してくれるならそれが一番だ。


「でも、お兄ちゃんが知らない相手と連絡を取るのは私が心配になりますし……」


「消してくれないんなら初期化するぞ」


「それは……貴重なお兄ちゃんのデータが失われますね……」


 まず人のデータを覗かないで欲しいのだが、それについていくら言っても無駄で有ろう事は理解しているのでそこはゴネないことにした。そして茜は自分の机の引き出しからUSBフラッシュメモリを一本取りだして俺に渡してきた。


「これのバッチファイルを実行すれば全部消えちゃいますよ、残念ですがね」


 俺はそれが真実なのかどうかについて少し悩んだが、妹を信じることにしてそれを受け取った。そして気になっていることを茜に聞いた。


「なあ、どうやってキーロガーを仕込んだんだ?」


「お兄ちゃん、離席するときはスクリーンロックをしないといけませんよ。たまたま見つけたのが私だったから良かったようなものの知らない人にデータを持って行かれる可能性もあるんですからね」


 怖い……自宅内のさらに自室内で席を立つときに毎回ロックしないといけないとかプライバシーの概念どうなってるんだよ……安息の地はどこにもないのか……


「じゃあこれで本当に全部消えるんだな?」


「ええ、嘘ではないですよ」


 俺はそうして部屋に帰り、PCにUSBフラッシュを差し込み中に入っているバッチファイルを実行した。コマンドプロンプトが開きdelコマンドがどんどん実行されていく。恐ろしいことに削除していく様が目でゆっくりと追うことができた。対象が一つのファイル程度なら実行してすぐにウインドウが閉じるのだが、動作が目で見えるほど多くのファイルが入っていると言うことだ。俺は妹の執念に背筋に冷たいものを感じた。

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