藁人形の呪いの秘密

青水

藁人形の呪いの秘密

 生きていれば、殺したいくらいに憎い相手の一人や二人、誰だってできるものだろう。だが、いくら憎いから――あるいは嫌いだから――といって、実際にその相手を殺す者は稀だろう。

 人を殺し、その所業が露呈すれば逮捕される。当たり前のことだ。現代の科学技術及び警察の捜査能力は非常に高いだろうから、完全犯罪なんてそうそうなしえない。


 理性的に考えれば考えるほど、殺人はリスクが高すぎると感じる。殺人を犯して、それに釣り合うリターンを得られるとは到底思えない。

 いや、だがしかし、殺人を犯した者の大半は、リスクとリターンの釣り合い云々など、きっと考えてないだろう。それは、衝動的な――刹那的な犯行に違いない。やってしまってから、犯行がバレないように取り繕おうとするのだ――。


 ふむ。やはり、殺人を犯すのはリスクが高すぎる。

 ふう、と息を吐き出すと、僕は刃を畳んで、折り畳み式のナイフを机の引き出しにしまった。傍から見れば、今の僕はただの痛々しい男子高校生でしかない。思春期にありがちなやつである。

 溜息をつきながら立ち上がると、今度はベッドにダイブした。


 僕が衝動的になったところで、小心者の僕には殺人なんて大罪、到底犯せないだろう。考えるまでもなくわかりきったことだ。

 でも、だったらどうする? 罪を犯すことはためらわれるが、だからといって何もしないのは嫌だ。無駄に思えるようなことであっても、何らかの行動を起こしたいものである。それはつまり、自分は最大限努力したんだ、と自らを納得させるようなもの。無意味であるが、無価値ではない。


 そこでふと、校内に流れているある噂話のことを思い出した。僕はその話を友人から聞いた。彼は噂話の類を集めるのが大好きな、きわめて俗っぽい奴なのだが、噂話の収集だけでは物足りず、それらの話をあちこちに吹聴してまわっている。

 彼曰く「インプットをしたら、その分だけアウトプットしなきゃ」とのことだ。意味がわからない。


 それはともかく、噂話だ。

 今、巷で話題なのは『藁人形の呪い』である。古典的な話だし、オーソドックスでもある。この手の話は古今東西どこにでもあるだろうし、地域によって微妙にディテールが異なっていたりする。大富豪のルールみたいなものだ。

 丑三つ時。殺したい人間の顔写真を藁人形に貼り、それをA神社の境内に生えている大木に五寸釘で打ち込む。すると、写真の相手は呪いによって死を遂げる――。


 チープな話だ。馬鹿馬鹿しい。

 そう思いつつも、数日後にはA神社へと向かっていた。丑三つ時――真っ暗な深夜の神社は不気味で、僕の足が砂利を踏むじゃりじゃりという音しかしなかった。

 家から持ってきた小さな懐中電灯の弱々しい光で件の大木を探す。大木なだけあって、すぐにそれを見つけることができた。

 ふう、と白い息を紫煙のように吐き出すと、顔写真のついたお手製藁人形と釘と金槌を、上着のポケットから取りだした。


 どう考えても馬鹿げている。

 そう、僕の行動は馬鹿げている――。

 けれど、このことを知っている者はいない。誰もいない。だから、誰も僕を馬鹿にしたりはしない。誰も知らない。知らないのだ。失敗したとしても、成功したとしても――いずれにしても、そのことは自分の胸の内に留めておけばいい。

 当然のことながら、僕は『藁人形の呪い』の話を信じているわけではない。きわめて馬鹿馬鹿しい噂話だと思っている。だが、この世のすべてが科学で解明できるとは限らないのだから、オカルティックな話を荒唐無稽だと安易に切り捨てるのはいかがなものかと思うだけなのだ。

 この場合、大切なのは結果ではなく、過程なのだ。行動を起こしたことにこそ意味があるのだ。


「よし……」


 僕は静かに呟くと、顔写真付きの藁人形を大木の幹にあてがった。

 写真に写っているのは、同じクラスの佐藤。今、僕がもっとも嫌いな男である。仮に、呪いで彼が死んだとしても、僕は決して悲しまないし、罪の意識を抱くこともない。実験には最適の人物である。

 緊張からか、寒さからか、震える口で大きく息を吸い込むと――。


「死ね、佐藤!」


 五寸釘を写真と藁人形に――佐藤に打ち込んだ。

 持ってきた釘は五本。せっかくなので、五本すべてを、憎しみを込めて佐藤に打ち込んだ。狂ったように、打ち込んだ。

 長距離走を終えた後のように、大粒の汗が額から流れ落ちた。不思議な爽快感と達成感が、僕の内からわき上がった。


「やったぞ……僕は成し遂げたんだ……」


 そう呟くと、僕は道具を回収して帰宅した。

 両親に外出したことがバレないようにそっと自室に戻ると、僕は布団の中に潜りこんだ。眠たいはずなのに、謎の興奮でうまく眠りにつくことができなかった。

 気がつくと、外が明るくなっていた。


 今日は平日なので、学校に行かなければならない。一睡もできなかったので、体力的には相当きつい。そして、今になってどうしようもない虚無感が襲い掛かってきた。どうせ、佐藤は死んじゃいない。教室のドアを開けると、あのどうしようもないくらいに不愉快なニヤついた顔が視界に入るのだ。夢から覚めて、現実を直視することになるのだ。

 嗚呼、憂鬱だ……。

 しかし、それでも学校に行かなくてはならない。なぜなら、僕はいたって健康な高校生なのだから――。


 ◇


 一年一組の教室の前までやってきた。ドアに手をかけると、一度ゆっくりと深呼吸をして覚悟を決めると、一気にドアをがらっと開けた。

 眼球をぎょろぎょろとせわしなく動かし、教室を一周させた。しかし、佐藤の姿はどこにもない。教室の時計を見てみるが、普段通りの登校時刻である。いつもなら、僕が登校するころには、奴はとっくに来ているはずなのだが……。


 休み、か……?

 まさか、僕のかけた呪いによって、佐藤は今ごろ死体に――。


「ははっ。そんな馬鹿な」


 自分の考えを一蹴すると、僕は自分の席へと向かった。

 僕の席の前には、一人の女子生徒が幽霊のようにぼんやりと突っ立っている。彼女は振り向き僕を見ると、にっこりと太陽のように微笑んだ。


「おはよう、里中くん」

「おはよう、山崎さん」


 彼女――山崎唯はクラスメイトで、時折こうして喋りかけてくる。我が家のすぐ隣の家に住んでいるけれど、さほど親しいわけではない。家族同士の交流はほとんどない。会えば挨拶をする程度だ。


「ねえ、里中くん――何かあったの?」

「……何かって?」

「目の下に隈ができてるし、教室に入ってきたときに、やたらときょろきょろしてたし」

「いや、なんでもないよ」


 僕は顔を引きつらせつつ、首を振った。


「ただちょっと寝不足でね」

「へえ。徹夜でゲームでもしてたの?」

「いや、まあちょっと……」


 言い淀んだ僕に対し、山崎さんは薄く笑って、


「もしかして、夜遅くにどこかに出かけてたとか?」


 僕は言葉を発することができず、緊張からかつばを飲み込んだ。


「いや、出かけては……ない」

「うーん、でも徹夜はよくないよね」


 どうして、彼女は僕に話しかけてくるんだろう?

 別に、僕はこのクラスの中心に位置するような人間じゃない。どちらかというと、端役みたいなものだ。主役に話しかけられ、スポットライトが当たるのは、正直ごめんである。スクールカーストのトップ連中から(悪い意味で)目をつけられかねない。

 けれど、僕から『話しかけてくるな』と強く拒絶することなんてできない。まったく、困ったものだ……。


「――くん。里中くん。聞いてる?」

「え、ああ……ごめん。なに?」

「佐藤くんさ。珍しく来るの遅いよね」


 佐藤の名前が出た瞬間、僕は凍り付いた。動揺を顔に出すまい、と気を引き締める。

 そういえば、佐藤もスクールカーストのトップに座していたな、なんて思い出す。彼は体が強く、風邪を引いたことがない、なんて話をしていたっけな。学校にはかなり早くに登校し、友達とわいわいと朝から騒ぐのである。殺意を抱いてしまうほどに、喧しいのだ。

 山崎さんも、佐藤のことを不審に思っているのだろうか……?


「へえ。まだ来てないんだ」


 僕は努めて冷静な口調で言った。


「うん。ついに風邪引いちゃったのかな?」

「さあ……。どうだろうね?」

「佐藤くんのこと、何か知らない?」

「知らないよ。親しくないし――」

「本当に?」


 ぞわり、と。

 謎の悪寒が、した。

 彼女は――山崎唯は、僕のことを疑っているのだろうか? いや、だがしかし、僕は法を犯したわけじゃない。後ろめたいことは何もしていない。あれは――『藁人形の呪い』は、ちょっとしたお遊びだ。あんなもので、人が死ぬはずがない。たとえ、呪いによって佐藤が死んだのだとしても、司法が僕を裁くことなんてできない。

 誰も、僕を裁くことなどできないのだ――。


「本当に……何も知らないよ」

「そっか。変なこと聞いてごめんね」


 山崎さんは優しく微笑むと、「じゃあね」と言って自分のグループへと去っていった。

 僕は腹痛に耐えている奴のように、脂汗を滴らせながら、机の木目をじっと見つめていた。俯いたまま、佐藤がどうなったのかをずっと考えていた。きっと、風邪を引いたか何かだろう。そうに決まっている。

 キーンコーンカーンコーン。始業のチャイムが不気味に鳴った。


 ◇


 その日、佐藤は学校に来なかった。

 次の日も、佐藤は学校に来なかった。佐藤の家族が警察に捜索願を出したという話を、僕は友人から聞いた。どうやら、佐藤は昨日の朝、家を出てから行方をくらましたらしい。

 ……昨日の朝? 

 もしも、僕のかけた呪いで佐藤が死んだのだとしたら、丑三つ時に死体になってなければおかしい。……いや、もしかしたら、呪いがかかるまでは、いくらか時間がかかるのかもしれない。タイムラグというかね。


 結局、佐藤の死体は三日後に見つかった。

 佐藤の死体は学校の使われていない教室で発見された。聞くところによると、佐藤は刃物で背中を刺されたらしい。そして、不思議なことに佐藤の胸には五寸釘が打ち込まれていただとか……。


 五寸釘?

 五寸釘だって……?

 それは……それはまるで、僕のかけた呪いが成就したみたいじゃないか。

 僕は戦慄した――と同時に、歓喜した。相反するであろう二つの感情が、同時にわき上がって混沌とする。

 呪いはあったんだ――と確信を持つことはできなかった。偶然の可能性もある。五寸釘だって、何らかの事情によって打ち込まれたのかもしれない。

 もう一回だ。もう一回呪いをかけて、それで同じように相手が死んだのならば、呪いの存在が実証される。


 いてもたってもいられなくなった僕は、その日の丑三つ時にA神社へと向かった。昨晩と同様の手順を踏む。今回のターゲットは鈴木である。

 鈴木は佐藤の友達で、不良である。タバコと飲酒がバレて停学になったり、いじめを日常的に行っているような、そんな男である。僕自身は彼にいじめられているわけではないが、僕の友人が一人、彼にいじめられて自殺した。中学のときのことである。それ以来、僕は鈴木のことを憎んでいる。佐藤の次に殺したい男だ。


「死ねっ、鈴木! 死ね死ね死ね死ね死ねえええっ!」


 五寸釘をこれでもかと打ち込むと、晴れやかな気分になった。

 撤収し帰宅すると、僕はベッドに潜りこむ。半信半疑であったが、鈴木も死んでくれるのではないか、と淡い期待を持っていた。

 興奮する気持ちをなんとか落ち着かせ、三時間ほど眠る。明らかに寝不足だったが、頭はすっきり爽快。鏡を見ても、隈はなかった。

 期待に胸を膨らませて学校へと向かった。もちろん、すぐに結果が出るとは限らない。佐藤のときと同じく、何日か行方不明となった後、死体が発見されるケースかもしれない。期待しすぎるのはよくない。


 教室に入ると、頭の悪そうな顔が目に入った。その瞬間の落胆といったら……。僕は席につくと、こっそりため息をついた。

 佐藤の死は、呪いとはなんら関係なかったのだろうか? いや、でも、胸に五寸釘が打ち込まれていたんだぞ? 無関係なはずがない。落胆するのはまだ早い。一週間しても、鈴木が死ななかったら、そのとき初めて落胆すべきなのだ。

 そう、結果が出るまでは時間がかかるんだ――。


「おはよう、里中くん」


 かわいらしい声が、僕の名を呼んだ。

 山崎唯。クラスで――いや、学年でもトップクラスにかわいい美少女。さして親しくもない隣人。ここ最近、こうやってちょくちょく話しかけてくるのだ。

 クラスメイトなのだから、話す機会が皆無というわけではない。だが、あの日――佐藤に呪いをかけた日から、彼女と会話する頻度が増えた。

 これははたして偶然か? ……偶然以外であるはずがない。

 それにしても、彼女の目的は何なのだろうか? さすがに、『毎日、里中に話しかけろ』などという罰ゲームではないだろう。そう思いたい。

 美少女に話しかけられて嬉しいかと言われると微妙なところだ。友人からはそのことをネタにされるし、クラスメイトからは訝しげな視線を浴びる。メリットよりもデメリットのほうが大きいと感じる。

 僕は別に山崎唯のことなどなんとも思っていない。好きでもないし、嫌いでもない。まったくの無関心というほどではないが、彼女が誰に恋をしていようと、誰と付き合おうと、どうでもいいのだ。


「里中くん、どうかしたの?」

「……え?」

「ため息、ついていたよね?」

「え、うん、まあ……」

「何かがっかりしたような顔をしていたような――」

「気のせいだよ」


 これ以上、会話をしたくなかったので、僕はリュックから教科書とノートを取り出した。机の上に置いて、「数学の宿題やってなかったな……」とこれ見よがしに呟いて見せた。実際、それは事実で、授業が始まるまでになんとか終わらせようと思っていたのだ。


「私、やってきたから、見せてあげよっか?」

「いや、いいよ。自分でやるから」

「遠慮なんかしなくていいんだよ」


 彼女は自分の席へ駆けると、ノートを手に戻ってきた。


「はい、どうぞっ!」

「……ありがとう」


 差し出されたノートには、かわいらしい丸みを帯びた字が丁寧に書かれている。ノートを写している間、山崎さんはじいっと僕のことを見ていた。鋭利な刃物のように突き刺さる視線が、僕の精神をごりごりと抉る。

 ノートを写し終えると、山崎さんに返す。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 これで会話が終わったものだと思っていたので、僕はリュックの中から文庫本を取り出して、適当にページを開いた。

 しかし、山崎さんはにこにこ笑顔で立ったままだった。


「あのさ、佐藤くんのことなんだけど……聞いた?」

「……いや?」


 じわり、と汗が流れる。

 佐藤を殺したのお前なの、なんて聞かれるんじゃないか、と震えた。そんなこと、聞かれるはずがないのに。


「呪いによって殺されたんじゃないか、って噂が流れてるの」

「へえ、呪いねえ……」

「そう、『藁人形の呪い』」彼女は言った。「里中くんは信じる、『藁人形の呪い』?」

「いや、そんな、呪いなんて……馬鹿馬鹿しい」

「あ、里中くんって、オカルトとかスピリチュアルとか信じないタイプなんだ?」

「まあ、どちらかというと懐疑的かな」

「ふうん、そう……」


 なぜ、そんなことを聞くのだろう? そもそも、僕と山崎さんはいつからこんな気軽に世間話をするような仲になったのだろう?

 なんだか、違和感のような悪寒のような、もやもやとした感情が胸にわき上がった。


「もしも」


 と、山崎さんは小さな声で言った。


「もしも、呪いがあるとしたら、次に殺されるのは一体誰なんだろうね?」

「次があるとは限らないんじゃないかな?」

「ううん。あるよ。きっとある。呪いをかけた人は、まだ半信半疑だろうから、次の呪いをきっとかける――いや、もう儀式は済ませて結果待ちかもね」


 僕は動揺を悟られないように、無表情を保つ。俯いて、できるだけ表情を見られないようにする。自然体でいるのが一番なのだろうが、自然でいることというのは案外難しいのだ。


「佐藤くんの次でしょ…………鈴木くんとか、どうだろう?」


 ひっ、と声を漏らしそうになるのを懸命に堪えた。

 ただの当てずっぽうだ。現場を見られたわけではない。それに、もし見られたとしても、僕は犯罪行為を何一つしていないのだから、堂々としていればいい。


「どうなるか、楽しみだね」


 山崎さんが顔を近づけて、耳元で囁いた。

 ぞっと悪寒がした。


 ◇


 それから三日後。

 鈴木は死体となって発見された。第一発見者は母親だったという。彼は自宅の自室のベッドで殺されていた。夜中に窓ガラスを割って忍び込んだ何者かに、やはり刃物で殺されたらしい。そして、胸には五寸釘。


 呪いは本当にあったんだ、と思った。しかし、冷静に考えてみると、なんだかおかしい。何がおかしいのか。

 佐藤と鈴木が、『藁人形の呪い』によって殺されたのだとしたら、死因が不明でなければおかしい。刃物で殺された、ということは、実体を持った人間による犯行であることに違いない。これは呪いなどでは、決してない。

 しかし、二人の死体には五寸釘が打ち込まれていた。これは、『藁人形の呪い』を示唆・彷彿させるものである。


 僕が『藁人形の呪い』をかけた相手が、まるで呪いが成就されたかのような死を遂げた。これは多分、僕の『犯行』を目撃した誰かが、僕のために殺人を行ったのだ――。

 一体、何のために? そもそも、犯人は誰なのか……? 

 確たる証拠はないものの、怪しい人物に一人心当たりがある。今晩、『藁人形の呪い』を行う振りをして、犯人を見つけ出そうではないか。

『藁人形の呪い』をかける相手は――。


 ◇


 丑三つ時にA神社に来た僕は、三度目ということもあって、手慣れた動作で一連の儀式を行った。藁人形に貼り付けた写真は、隠し撮りをした山崎唯だった。


「死ねっ、山崎唯!」


 ガンガン五寸釘を打ち付けながら、犯人が潜んでいそうな場所を探す。

 僕は対象の名前を叫んでいたので、顔写真を直接見る必要はない。僕の声さえ聞こえれば、ターゲットが誰かわかるはずだ。しかし、この大木の近くに隠れられそうな場所は見当たらない。


 大木の近くには。

 大木以外には。

 僕は大木の裏側へと素早くまわった。

 一人の少女が息を殺して大木に張り付いていた。ボロボロと涙を流す彼女は、僕を見て複雑な表情をしてみせた。


「やっぱり、君だったんだね、山崎さん」

「ひどい……ひどいよっ……里中くんっ。私を殺そうとするだなんて!」


 山崎さんは泣きながら、サバイバルナイフを取り出した。小柄でかわいらしい彼女には不釣り合いな凶器的なナイフ。でも、不思議とそれが似合ってもいる。

 刺されるのは嫌だったので、僕は慌てて、


「いや、ごめん……あれはちょっとした冗談だったんだ」

「冗談?」

「うん、冗談」

「そっか。冗談だったんだね」


 一瞬にして泣きやんだ山崎さんは一転してにっこり笑うと、


「今後はこんな質の悪い冗談言うの、やめてね」

「う、うん……」


 下手なことを言って、彼女を刺激させるのはまずい。そう思いつつも、一番聞きたかったことを思い切ってぶつける。


「ねえ、山崎さん、君が佐藤と鈴木を殺したの?」

「うん、そうだよ」

「どうして?」

「何言ってるの?」


 不思議そうに首を傾げた後、山崎さんはくすくすと笑った。


「里中くんが殺してほしいって願ったんじゃない。だから、私は殺したの」

「どうして、僕の願いを叶えてくれたの?」

「里中くんの喜ぶ顔が見たかったから。ただそれだけのことだよ」


 僕の喜ぶ顔が見たかった。ただそれだけの理由で、殺人なんて大罪を犯せるのだろうか? 僕には理解できないが、世の中には理解できない人間がわんさといるのだ。彼女がそこにカテゴライズされる人間だったとしても、別におかしくはない。


「ねえ、里中くん」

「……なに?」

「他に殺してほしい人間、いる?」


 いる――が、正直に答えるわけにはいかない。

 これ以上、罪を重ねられるのは困るし、もし仮に犯行が露呈されて、山崎さんが逮捕されてしまったら、僕までとばっちりを受けることになりかねない。

 だから――。


「いない」

「ふうん、そっか」


 山崎さんはサバイバルナイフをくるくると回しながら、


「ねえ、里中くん。恩を着せるってわけじゃないけどさ、里中くんの嫌いな人を二人も殺してあげたんだから、私の願いも一つくらい叶えてくれたっていいんじゃないかな?」


 等価交換、というやつだろうか。

 恩着せがましい。押しつけがましい。

 僕は閉口した。強く拒絶したかったが、そんなことをしたらどうなることか。月明かりに照らされキラキラと輝くサバイバルナイフが、脅迫するように威圧感を与えてくる。

 ――殺される。

 僕は、頷くことしかできなかった。


「私の願いはたった一つで、とってもシンプル。それはね――」


 山崎さんは僕の耳元で、そっと囁いた。


「――私と付き合って」


 あ、と声が漏れる。

 確かに、山崎唯は美少女である。こんな僕には不釣り合いな、学年でもトップクラスの美少女。しかし、僕は彼女のことを好きというわけではないし、いくら外見がよくても、僕の喜ぶ顔が見たかったから、なんて軽い理由で殺人を犯せるサイコパスと付き合いたくはない。付き合いたくないのだけど――。


「返事は?」


 拒否権はないようだ。

 唇と唇が触れ合うほどの至近距離で、返事を求められる。他人の笑顔がこんなにも恐ろしく見えるだなんて……。


「返事は?」


 もう一度、尋ねてくる。

 サバイバルナイフが、僕の胸をつうっと撫でる。


「わかった……」

「何が、わかったの?」

「山崎さんと――」

「唯」

「唯と付き合う、よ」


 口の中がからからに乾いて、ミイラみたいだった。全身から汗が噴き出して、服がびっしょり濡れて気持ち悪い。


「嬉しい」


 唯は頬を上気させた。

 官能的な表情に、思わずドキッとした。

 彼女は僕にキスをすると、


「これからはずっと一緒だよ、聡」


 この世には、呪いよりもずっと恐ろしいものがあるのだと僕は思った。あるいは、僕は呪いをかけられたのかもしれない。決して逃れられぬ、束縛の呪いを――。

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藁人形の呪いの秘密 青水 @Aomizu

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