俺だけが見えるモノ
未田不決
第1話 俺から見た君
茜色に染まる部屋。それは夕日の色ではなく、サーモンピンクのカーテンを貫く西日がつくる色である。
時刻は十六時を過ぎたところ。
大型のビーズクッション――通称『人を駄目にするソファ』で俺は駄目になっていた。最初は背中の重みを預けていただけだったが、クッションが沈み込むに連れて上半身がずり落ちていき、今では頭の重みと思考力まで手放している。
「ねぇ」
そんな俺の下へ、彼女は四つん這いで近寄って来て、俺の耳元で甘く囁く。
「ん?」
魅惑の囁き声も関係なく、既に眠気によって蕩けている俺は微睡の中で辛うじて返事をした。
彼女は四つん這いのまま、寝転ぶ俺の上に被さって来てゆっくり下半身の体重を乗せる。そして再び耳元で囁いた。
「シよ?」
目を開けると俺の眼前で、可愛い彼女が瞳にハートが浮かぶみたいなエロスを宿し、俺を真っ直ぐ見つめている。
上気したような頬、開いた胸元、ローアングルから見る彼女の首筋、下腹部に伝わる熱。何から何まで、それはもう俺の本能を刺激するのだが、いかんせん外野の邪魔が多い。
それは真っ黒の、例えるなら幾重にもなる陰の塊。彼女の背後には、はっきりと見えるだけでも五つの生首が浮かんでいて、眼球が抉れた真っ黒の眼窩から瞳もないのにこちらを恨めしく見ている。
――あああああああ。
更には、ただ見るだけでなく、無いはずの喉をカラカラと鳴らして呻いている。いや、喉がないからこそ恨み辛みを語れずに、ただ呻くみたいに悲嘆しているのかもしれない。
彼女が恍惚とした表情を浮かべ、徐々に顔の距離を詰めてくる。それは、紛れもないキス顔。そして間も無く目を閉じるが……。
「……いや、無理」
俺にはそれを受け入れることは出来なかった。
――だってとてもじゃないが集中出来ないだろ?
生首たちが俺の頭を取り囲み、脱力し切ったように口を開けて、キスする瞬間を今か今かと伺っているのだ。
――あああああああ。
***
俺の名前は
高校二年で転校生だ。
珍しい時期に転校すれば一躍学校の時の人となって、都合良く高校デビューも出来たのかもしれないが、俺が転入したのは今春の四月からであり、正直影が薄い。
周囲の人間からすれば俺は友人とか知人とか顔見知りに混じる知らない男であるのに対し、俺からすれば周囲の人間全員が知らない奴らなのだから、学校は言うまでもなく肩身が狭い。
そして「俺、実は転校生なんだぜ」なんて言えるほどの勇敢さやユーモアがあれば良かったのだが、結局、元から冴えなかった俺は知的な読書好きというキャラクターに甘んじている。
そして、俺はもう一つ秘密を持っている。
誰しも秘密の一つや二つというから、俺は別に特別な人間なわけでも何でもなく、誰しもというマジョリティに属している。
ここだけの話――俺にはこの世ならざるモノが見える。
誰に話すでもなく脳内で勝手に『ここだけの話』と銘打ったのには、俺が教室でボッチになっているのとか、もとより胡散臭い話であるから誰に話したところで信用されない、もしくは気色悪がられることが分かっている、という哀しい理由があった。
この世ならざるモノ――平たく言えば幽霊になり、それは大抵禍々しい黒いオーラを纏っている。そのオーラは可視化された気配とも言える。妖怪であれば妖気、幽霊であれば霊気、この世ならざるモノであるから
こんな言葉遊びはさて置いて。学校というのは案外真っ黒である。会社もブラックが多いと聞くから、この世は意外と真っ黒である。俺のお先も真っ暗であるから、せめて学校ぐらいは綺麗であって欲しいと思うと、また段々と話が逸れていくのだが、そういう不安の類いとか、単純に人の多さが幽霊を学校へ引き寄せ、幽霊の温床へとさせていると、俺は考えていた。
専門家ではないから本当のところは知らないし、そもそも俺だけに見える幽霊が実在するか否かさえ証明しようがないのだから、嘘か真かを論ずるだけ無駄である。
信じるか信じないかはアナタ次第であるし、信じれば救われる。
俺も幽霊は居ないと信じたいのだが、見えてしまうものだから今のところは救われていない。
学校の幽霊は不鮮明で形の無いものが多い。例えるなら漂う黒色の埃みたいな。不気味で生理的に受け付けないという恐怖のニュアンスを含むなら黒カビの胞子みたいな。
輪郭がはっきりしていて人形を取る幽霊は恐らく名のある幽霊とか、相当に執念深いヤツであり、基本的に人気に誘われるようなのは小さくて弱そうなものが多い。
そして幽霊であるから取り憑くなんてのも勿論あって、俗に霊媒体質という人間も少なくない。俺のクラスでも一人だけ、とんでもなく真っ黒の女が居る。
彼女の名前は
腰まで届きそうな黒の長髪に、血が通っていないみたいな白い肌、生気のないジト目。不健康そうだと言われればそうなのだが、一見すると深窓の令嬢というふうに形容される美少女だ。上背、胸、尻、色んな意味で発育が良く、物静かなのだが、彼女にはその存在感だけで教室の空気を牛耳るみたいな凄みがある。
とは言っても、他の生徒が何時も彼女の機嫌を伺っているだけで、彼女自身は無口だから、実際のところは何も干渉していない。
言うなればナチュラルボーン女王である。
教室の勢力図的にも俺には縁遠い存在であるし、いかにも縁起悪そうな黒さを見ても、出来ればこのまま関わり合いになりたくない、転入当初はそう思っていた。
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