第35話 月影

 ネフト王国首都、ネフトリア。大河と山脈に挟まれた平地に燦然と立つ城の周りには統一感のある色の屋根と壁の建物ばかりで成り立つ城下町が広がっている。城を中心に密度濃く立ち並ぶ建物は城から遠ざかるほどにその密度を薄め、住居がまばらになるにつれて畑が現れ、その肥沃な平原は農業を讃え、大きく育んでいる。


 そのネフト王国王城に程近い上級兵舎の廊下にユウコは佇んでいる。時刻は深夜。廊下の暗がりの中で、ユウコは自分たち転生者にそれぞれ与えられた部屋の扉の一つを見つめている。

 ゆっくりと扉が開き、中から出てきたのはシンノスケだ。シンノスケはその扉を閉め、静かに歩き出す。廊下を歩き、別の部屋に入ろうと扉に手をかけたところで後ろから声がした。

「シンノスケ、ちょっとツラ貸しな」その声はユウコのものだ。


 その兵舎には中庭があった。三方を二階建ての兵舎に囲まれたその中庭は、時には兵士の訓練の為の空間でもあり、時には憩いの空間でもあるのだろう。広いその空間には、中ほどに花壇やベンチが点在している。ただし、現時刻は深夜。辺りには誰もいない。たった二人、シンノスケとユウコを除いては。


「トーマが一人でよろけて勝手にあの円から出てしまった、っていうアンタの説明、私は納得してない」ユウコは言った。

 中庭の花壇の脇のベンチに二人は並んで座っている。ユウコは上半身を前に倒し、膝の上に肘を置いて軽く手を組んでいる。目線はシンノスケに向けず、真っすぐに目の前の地面を見つめている。

「そう言われてもなー。実際にそうだったんだから仕方がないじゃないか」シンノスケは感情を込めることなく淡々と言った。

「一度始めたら途中でやめる事が出来ない魔法だから?」

「そうそう。そういうこと」シンノスケの目線はユウコの身体に注がれている。シンノスケの少し大きめの鼻息が聞こえる。

「勝手によろけて出たヤツの面倒まで見てられない、そういう事?」ユウコは静かに尋ねる。

「そうだよ。僕だって初めての協力合体魔法だったんだから、イレギュラーに対応なんてできないよ」シンノスケは語気を強めてそう言った。

「シンノスケがさっき出てきたのはタカコの部屋だったね。何してたの?」

「え、あ、それは、その……。うるさいな。男女の仲の事に踏み込んでくることはないだろ!」

「まぁ、ね。『協力合体魔法を成功させる為には深い仲にならなくちゃならない』なんて言葉で、あの森の中でタカコを口説いたりしたのでなけりゃ、別にいいわ」

「た、タカコから聞いたのか!」シンノスケは狼狽え、そう言った。

「べつに……。タカコはそんなこと言わないわ。でも、あの魔法の最中のタカコはおかしかった」

「だ、だとしても。トーマの離脱とは関係のない話だろう!」

「そうね。関係ない話ね。ただ、背中から聞こえてくる詠唱に混じってタカコのエロい声が耳に入ってきたから私はあの時、後ろを振り返ったわ。私からはタカコの後ろ頭しか見えなかったからタカコの様子はよく分からなかったけど、あんたのゲスい表情はよく見えた」ユウコは静かにシンノスケに語りかける。

「げ、ゲスい、だと!」シンノスケは激昂する。しかし、すぐに「ま、まぁ、確かに、あの魔法は性的な興奮に似た快感がついて回るモノのようだったけども。でも、それとトーマは関係がない!」と冷静さを取り繕うように言った。

「あの時、下から霧みたいな白いモヤが上ってきていて。トーマの腰の辺りに何かがぶつかったように見えたけど、その白いモヤのせいで何が当たったのかまでは見えなかった」

「何かがぶつかった?そうか。たまたま近くを飛んでいた鳥か何かがトーマにぶつかったのかも知れないな。それでよろけて、トーマはあの円から出てしまったんだ。なるほど。そういうことか」シンノスケは一気にまくし立てた。

「シンノスケ、アンタはあの時私が振り返った事に気がつかなかったのね。タカコの背中越しに一瞬見えたアンタのゲスい顔はすぐにトーマの方に向いたわ。そして、右手に持っていた棒は立てていたけど、フッとモヤの中に消えてそれと同時にトーマがよろけた。そしてすぐにモヤはグンと上がって何も見えなくなって、気が付いたら、王宮の中の、あの召喚の儀式の間に立っていたわ」ユウコは努めてゆっくりと、静かな口調で話す。「そして、そこにトーマの姿はなかった」そう言って、そこで初めて、ユウコはシンノスケに顔を向ける。糾弾の睨みつける目、だ。


 が、すぐにその目はトロンとまどろみに落ちる直前のようにその力を失った。

「ふぅー。あぶないあぶない。中々こっちを見てくれないもんだから、魅了魔法チャームをかけるタイミングがなかったよ」シンノスケは言った。

「こんな時間に僕だけを呼び出したってことは、ユウコのスタンドプレーだな、これは。んー。どうしよう」シンノスケはしばし沈黙する。その横ではユウコが意思を持たない人形の様に表情をなくし、かすかに揺れている。

「しょうがない、ヤッてしまうか。……。あ、せっかくだから、ヤってしまう前にヤッておくか」


 月明かりの下の中庭の真ん中のその二つの影は動き出した。先に進む小さな影の足取りはしっかりと、後に続く女の影はゆらゆらと。月明かりが地面に落とすポニーテールの影はゆっくりと左右に揺れながら、先を進む小柄な男の影を追う。

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