第23話 シゲル

「シゲルがスレイ様に会いたいと言ってきているようです」

 朝一番に執務室に入ってきたバルバスは言った。スレイはやはり多くの書類を前にしていて、一言「ここに通してくれ」と言って目の前の仕事を続ける。


 シゲルが執務室に着いたのは日が中天に差し掛かった頃だった。

「会ってくれてありがとう、スレイさん」バルバスによって部屋に通されたシゲルは、まずそう言った。

「あぁ。それは構わないが、随分と遅かったな」

「すまない。城壁の門前でずっと許可を待っていて、許可が下りてすぐにここまで走ってやってきたんだが」

「そうか。それならば、随分と早い」

 スレイは少し微笑みを浮かべ、「そこに掛けてくれ」と目の前のソファを指した。

 スレイは手に持っていた書類を置き、シゲルの対面のソファに移動し座る。

「久しぶりに仲間たち全員と会えてどうだった? いや、全員ではないな。ハクヤくんは今も鉱山にいるからね」

「スレイさんのお気遣い、感謝する。全員ではないが、スレイさんを好意的に見ている仲間もいるし、異種族の生き方を尊重する機運もオレ達の中に育ちつつある」

「うむ。それはいい。ありがたい事だ」

「今回、オレがスレイさんに会いに来たのはハクヤの事と、武器、装備を都合してもらえるようお願いに、ってこの二点なんだ」

「ふむ……。言っている事と、その思いは理解できるが、交渉と呼ぶにはあまりにも一方的なお願い、だな」

 バルバスがスレイの前に淹れたての紅茶が入ったカップを置く。続いて、シゲルの前にも同じものを置く。

「あぁ。その通りだ。今オレが言った内容にイルゴル王国の利はまるでない。これでは交渉にならない。かと言って、オレ達に差し出せるものはない。差し出せるものと言えば……、この身、くらいだ」シゲルはそう言うと親指で自分の胸を指した。

 スレイの細い眉がピクリと動く。

「シゲルくんの身を、我が国に差し出す、と。キミ達八人の総意として、シゲルくんを生贄に差し出すという事ですか?」

「生贄っていうとアレなんだけど。いくらかの装備が無いとあの地図に載っていた、一番近くの人間族の集落までもおそらく辿り着けないだろう。かといって、この国がオレ達に武器を渡すのはリスクが高い。それなら、オレ達が武器を手にしてもこの国を襲わない担保として人質くらいは必要だ」

「ふふっ。そうですね。そのとおりです。でも、その人質がシゲルくん。あなたですか。人質としては屈強すぎる。素手でも強い者を人質にするのはこちらのリスクが上るだけじゃないですか」

 スレイは愉快そうに笑う。

「えぇ。いいでしょう。シゲルくん、あなたには人質としての価値はありません。素手で私を圧倒できそうなあなたは人質としては不適格です。ですが、私はあなたの事を気に入っています。そこにいる彼の名はバルバス。私の秘書です。彼の下で私の業務を手伝ってもらいます。それでどうですか?」

「ありがてえ。よろしく頼む。ってか、スレイさん、あんた、相当強いだろ?素手のオレが圧倒できる?そんな訳はない」

 シゲルは顎を引いて見上げるようにスレイを見る。スレイはシゲルのその目を真っすぐに見つめる。そして、数瞬の後、二人は同時に吹き出し、笑った。


「ハクヤくんについては、サマイグ鉱山への経路が分からないくらいのところまで連れて行き、そこで解放すればいいと思っていたのです。彼ならば、そこに魔法陣を描いてネフト王国に帰還できるでしょう」

「確かに。それであればハクヤは帰れるだろうし、イルゴル王国のリスクも低く抑えられる」

「まぁ、現在、彼には研究員として数名の魔導士をつけていますから、転移魔法の解析対象として帰還のその瞬間まで観察はされ続けると思いますが」

「まぁ、それくらいは仕方ねえ」

「ところで。キミ達に渡したあの地図に従ってしばらく進むと簡素な小屋が見つけられる手筈となっていました。その小屋の中には森を抜けるのに役立つ武器や防具が入っています。私の署名が入ったキミ達へのメッセージもそこにあります。ですから、あの地図に従って進めば、シゲルくん、あなたがここに残る必要はそもそも無かったのです」

「おぉ。そこまでお膳立てしてくれていたのか。オレ達はずっとスレイさんの手のひらの上なんだな」

「いえ。飽くまでも我々は敵対する間柄。その敵のお膳立て……、地図なりお仕着せの装備なりに信頼を寄せて進むというのは愚かに過ぎます。シゲルくん、あなたのこの行動はとても正しい。自らが勝ち取った何かで進む事はとても大切です」

「そうか。確かに。そうだな」

 シゲルはそう言うとニカっと笑った。

「そういう訳ですから、シゲルくん、あなたはここに残らずに地図の通りに装備の入った小屋を目指してもいいのです。今、私とこうやって話をする中で納得なり確信が得られたなら、手ぶらで帰って仲間と一緒にネフト王国を目指してもいいのですよ」

 湯気の立つティーカップに薄い唇を近づけながらスレイは言う。

「いや、男に二言はねえ。オレはここに残る。いや、オレにスレイさんの仕事を手伝わせてくれ。頼む」

 シゲルは開いた両ひざの上に腕を立てて頭を下げた。

「そうか。それならば、こちらからも。よろしく頼むよ、シゲルくん」

 スレイは右手をシゲルに差し出す。シゲルはその手を力強く握り、「あぁ。よろしくお願いします!」と言った。


「実は、オレ以外にもスレイさんの事を好きになっちゃったヤツがいるんだけどね。ユウコとトーマ。アイツらもここに残りたがっていたよ」頬を人差し指で掻きながらシゲルは言う。

「そうか。それは、光栄だ」

 そう言って、スレイは美味そうに紅茶をすする。

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