第26話

 目が覚めたとき、世界が輝いている感覚がセイジに満ちていた。世界中がこんなにも生命力を持って活き活きと輝いているものなのかと驚く。

 これまでカマルと何度も身体を交わした。カマルの鼓動を聞いて深く眠った。それが今になって大きく作用して来た気がしていた。

 先に起きていたカマルが母屋でイオと朝食を作っている。着替えてリビングに来たセイジは、キッチンに立つ二人をぼんやりと見つめていた。


「クレープに何を巻いてもいいのですね」

「ソーセージや、ハムや、豚肉のキャベツ炒めも、フルーツもどっちも美味しいですよ。イオくんはどっちを食べますか?」


 カマルに聞かれてクレープを焼いていたイオが元気よく答える。


「全部食べるのです!」


 食欲に満ちたイオの言葉すら、セイジにはきらきらと輝いて感じられた。

 世界はこんなにも美しかったのか。世界はこんなにも眩しく輝いていたのか。

 愛を知るとひとはこんなにも変われるのだとセイジは実感していた。

 高く積み重ねられたクレープと具をテーブルに置いて、イオがさっそくお皿に取って巻き始めている。具もたくさん包んでいるのをもしゅもしゅと食べているイオに、カマルがほっぺたに付いたレタスの端切れを取っている。


「イオくん、落ち着いて食べて平気ですよ。いっぱい焼きましたからね」

「カマルさんと二人で焼いたのです! 師匠も食べていいですよ!」


 誇らしげな顔で告げられてセイジも皿にクレープを取った。豚肉のキャベツ炒めを巻いて食べるとクレープのバターの香りがよく合って美味しい。カマルはハムとレタスを巻いて食べている。

 カマルが具を少なめにして三枚食べて、セイジが五枚食べて、残りの山盛りになっているクレープは全部イオが食べ終えた。空っぽになった皿をカマルとイオが片付けて、洗っている姿も親子のようで微笑ましい。


「カマルさん……やっぱり、イオはカマルさんのことを……」

「なんですか、イオくん。何でも言っていいですよ」

「お、『お母さん』って、呼んでもいいですか?」


 一度は断ったカマルを「お母さん」と呼ぶことを、イオは遂に決意したようだった。じっと青い目で見つめてくるイオに、カマルは優しく微笑みかける。


「とても嬉しいです」


 答えるカマルにイオはパッと明るい表情になった。


「お母さん……イオのお母さんなのです」

「イオくんのお母さんですよ」

「俺はどうなんだ?」


 和む光景にセイジが口を挟もうとすると、イオの表情が引き締まった。


「師匠のことは、ときが来たら呼んであげるのです」

「ときが来たら?」

「そうですよ。今は師匠を『お父さん』と呼ぶときではないのです」


 未来視ができるのではないかと思っているイオの言うことは、時々セイジには理解できないことがある。今は違うとイオが言うのならばそうなのだろうとセイジは納得するしかなかった。

 イオに逆らうと面倒くさいし、イオが魔王の腕をもぎ取って帰ってくるくらい恐ろしい弟子であることはセイジにはよく分かっている。


「俺は別にイオになんて呼ばれてても構わないからな」

「そんなことを言って、カマルさんが羨ましい……いや、イオがカマルさんに告白するかと思ってどっきりしたんでしょう?」


 図星を突かれてセイジは口ごもってしまう。

 イオが「カマルさんのことを」と口にしたときに、セイジの頭をそのことが過らなかったわけではなかった。セイジはカマルを愛しているし、カマルもセイジを愛してくれているが、イオが本気になってカマルを奪って行こうとしたら、セイジは勝てる気がしない。

 世界最強の魔術師なのに、セイジは弟子のイオの理解できない能力が怖くて堪らないのだ。

 初めて会った六歳のときから、世界最強の魔術師のセイジにイオは生まれ持った能力だけで勝っていた。魔術と言う分野を限定すればセイジの方が能力も制御力も高いのだが、その他の見抜く目や衝撃波を放つ力に関しては、セイジはイオに勝つことができない。

 セイジが世界最強の魔術師ならば、魔王を退治した今、イオは世界最強の勇者だった。



 魔族とカマルの話し合いが行われたのは、その日の午後のことだった。

 使者として庭に降り立った魔族たちにカマルが議会制の本を手渡して説明をする。


「王政で、一人の魔王という存在に捉われていたからこそ、魔族はずっと圧政に苦しめられてきたのだと思います。本当は人間と争いたくないという魔族の方も、魔王に従いたくないという魔族の方もおられたでしょう?」


 結界を緩めて山に入ることを許された魔族たちは七名ほどで、魔族の中でも力が強く魔王に反発していた者たちが使者としてやってきたのだろう。力が強くなければセイジが結界を緩めた程度ではこの山に入ることはできない。


「退治された魔王も、先代の魔王も、私たちとは相いれぬ存在でした」

「従える魔族の女性に対しても酷い扱いだった……カマル様はそれを見せられて、傷付かれたことでしょう」

「我らは魔王に従いたくなくて、離反していましたが、正面から魔王と戦って勝つだけの力はなかった」


 告げる魔族たちにカマルはセイジから受け取った議会制の書かれた本を差し出した。魔族の一人が受け取って、なんのことか戸惑っているのが分かる。


「議会制という制度を採用している国があるそうなのです。セイジさんに教えていただいたのですが」

「議会制?」

「魔族の中から議員を選んで、選ばれた議員で会議をして国の指針を決めるのです。魔王たった一人の独裁にはなりませんし、色んな意見を持つ魔族がいるでしょう。そのひとたちの意見を取り入れて国を運営することができます」


 魔族が来るまでにカマルは議会制の本を読み、セイジにも質問してよく考えて理解していた。それを口に出して説明している様子に、セイジは見惚れてしまう。

 議会制という初めての単語を聞いて、魔族たちは戸惑っているようだった。


「魔族の中から議員を選ぶ……それはどうやって?」

「我こそはというものが立候補して、魔族の中で投票してもらうのです。票が多かったものを、人数を決めて採用して、議員にして、魔王城を議会に変えて、会議を開くのです」


 これまでやったことがないことを始めるのは、魔族たちにも抵抗があるだろう。このままでは魔族はバラバラになってしまいかねないし、新しい制度に踏み出さなければいけないときだということは、使者の七名も分かっているようだった。


「この本は大事に持ち帰らせていただきます」

「魔族の中で話し合いを行いたいと思っております。カマル様が提案されたことならば、ほとんどの魔族が賛成することでしょう」

「魔王に従わされない国を作りたいとずっと思っていました」


 持ち帰り話し合いをするようだが、魔族の居住区の政治はこれから変わって生きそうな気配がしていた。

 使者たちが帰るとカマルが長く息を吐く。手を握ってセイジはカマルを小屋の中に導いた。

 小屋の中に入ったカマルにミルクティーを淹れてセイジは労った。


「カマルさん立派だったよ。本当に女王みたいだった」

「私は女王なんかじゃないですよ」


 ミルクティーのカップを受け取って両手で包み込むカマルに、セイジが隣りに座ってミルクティーを一口飲む。


「カマルさんは、聖女だったんだなって思ったよ」

「え?」

「今日、起きたら世界が輝いて感じられた。カマルさんといることによって、俺は世界の美しさに気付いた」


 これまでは膜にでも覆われていたかのように、セイジは自分と世界との間に隔たりを感じていた。強い魔力を持って生まれただけに、幼い頃からセイジは他人と距離を置いて生きて来た。強すぎる魔力は他人を傷付けることも、他人から利用されることもある。

 世界から離れて生きて来たセイジの膜を破ったのは、カマルの存在だった。


「ずっと他人と距離を置いてきた俺が、カマルさんには全く距離を取ろうとは思えない。もっと近付きたいと思っている。それが俺の殻を破ったんだろうな」


 自分がずっと殻に閉じこもっていたことすら知らず、セイジは生きて来た。カマルに遭って初めて自分がイオにすら心を許していなかった事実に気付いた。


「私も……多分、ずっと殻に閉じこもって自分を守って来たのだと思います」


 魔王に束縛されて、嫌なものを見せられて、心を閉ざしていたカマルは、セイジとの出会いで解放されたと言ってくれる。

 互いが互いを開放するために出会ったのだったら、これを運命と言わずして何と言えばいいのだろう。

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