第3話

 六年前、セイジが山中に小屋を作るにあたって、一番気にしたのは水だった。綺麗な水が使えなければ生活に支障をきたす。川の水を小屋に引いて、魔術の浄化装置を作って潤沢に水が使えるようにした結果、セイジの小屋は快適に過ごせるようになっている。

 小屋はそこそこに広いのだが、バスルームがそれほど広くないという問題点もあった。最初は自分一人で暮らすため、その後はイオと暮らすために増築はしてきたのだが、バスルームがリビングと直結していて、暖簾で脱衣所を区切っているだけというのが問題だった。

 カマルは気にしないといったが、シャワーを浴びてもらっている間、セイジは二階の部屋にイオと籠っていた。


「ぷるぷるでつるんとしたプリンというお菓子、とても美味しかったのです……。やはり聖女様は違うのです」

「イオ、お前もそろそろひとの話を聞く癖をつけた方がいいと思う。カマルさんはずっと言っているぞ。自分は聖女ではないと。そもそも、聖女が攫われたのは俺が生まれる前の出来事だ。カマルさんが聖女ならば、三十歳のはずはないんだ」

「師匠の話は長いのです。イオは眠くなりました」


 くぁっと欠伸をするイオが全く話を聞いていないことにセイジは頭痛を覚える。どうしてこんなにもひとの話を聞かない弟子に育ってしまったのか、育てたセイジでもよく分からなかった。

 拾われた六歳のときから、イオはやたらと力が強かった。ブラックベアの腕を捩じってしまうほどだったのだ。無意識に肉体強化の魔術を使っていることを見抜いたセイジが制御方法を教えようとしたら、イオは先にそれを覚えてしまった。他のことでも、イオはセイジが魔術を使っているのを見るだけで覚えてしまう。

 世界最強の魔術師の名を冠しているが、世界最強なのはイオではないかとセイジは思っているが、イオは肉体強化の魔術に特化し、万物を見抜く目を持っているだけで、魔術全般が得意というわけではなかった。


「師匠、カマルさんはどこで寝るのですか?」

「どこで……どこでにしよう」


 イオに言われてセイジは気付く。カマルの寝る場所がない。

 貴族の確執や王宮の権力争いに疲れて隠居したセイジの小屋に、客間などあるわけがなかった。ベッドはイオのものとセイジのもの二つだけ。


「イオ、お前が連れて来たんだから、ベッドを譲りなさい」

「師匠が床で寝ればいいのです」

「なんで俺が! 連れて来たのはお前だろう」


 言い争っている間にセイジはカマルが部屋の前に来ていたのに気付いていなかった。膝下丈のネグリジェを来て立ち竦むカマルの姿に気付いたときには遅かった。


「ご迷惑をおかけしているとは分かっています……明日、出て行きますね」

「いや、そういうわけじゃないんだ! あなたは今別の場所に行くと魔王にまた囚われてしまう」

「それでも、ご迷惑をおかけしたままというわけにはいきません」


 思い詰めた表情のカマルに、セイジは部屋から出て階段を降り始めた。イオがカマルを促して一緒に階段を降りてくる。

 キッチンに立つとミルクで紅茶を煮出して、茶こしで濾して、セイジは熱々のミルクティーを作った。

 マグカップに三人分注いで、リビングのテーブルに備え付けてある椅子に座る。テーブルも椅子も素朴な木でできた簡素なものだったが、座り心地は悪くはない。

 同じシャンプーやボディソープを使っているはずなのに、カマルからは甘いいい香りがしている。

 熱々のミルクティーを吹き冷まして飲みながら、カマルの話を聞く。



 カマルの母を連れて来たのは、前魔王だった。

 聖女だったカマルの母を民衆から奪い、穢すことで魔王は世界を絶望に落とそうとした。穢されてカマルを身籠った母親は、カマルを産み落とした後に亡くなった。


「母が自ら命を絶ったのか、産後の肥立ちが悪くて亡くなったのかは分かりません。ですが、私は母の命を奪ったのだと思ってずっと生きてきました」


 カマルが生まれて数か月後に、次の魔王となるカマルの異母弟が他の魔族との間に生まれた。異母弟は小さな頃からカマルのことばかりを気にして、カマル以外を傍に寄せ付けなかった。


「癇癪を起した弟……魔王が部下の魔族を殺す場面も見たことがあります。私たちに面倒を見てくれていたのに、私はそれを助けることもできなかった」


 横暴な弟に支配されて、カマルは大事にされていたものの周囲への対応や、暴力を目の当たりにしてずっと心を痛めていた。弟が魔王になったのは、前魔王が退治された十五年ほど前のこと。若くして魔王となったカマルの異母弟は、魔族たちの中で自分の気に入らない者は粛正するなど、圧政を強いた。


「魔族の中では王様ですが、魔王は精神が幼いのです。部下たちを人間の元にやって冒険者や騎士に撃退されているのを見て笑っているし……」


 部下が人間を襲って戻って来たときには気まぐれにその部下を可愛がり、失敗して撃退される様を笑って見て、帰って来たものは容赦なく処分する。


「魔族の中にも不満が募っています。私も、あんな凄惨な場面を見せられているのは苦痛でした」


 金色に輝くカマルの瞳が潤むのを、セイジはじっと見つめていた。シャワーを浴びた後の濡れ髪が艶っぽくカマルの額にかかっているのを整えてやりたいと手を伸ばしかけて、セイジはぐっと我慢する。カマルの話はまだ終わっていなかった。


「イオ様が来て、私は魔王と共に殺されるのだと思いました。けれど、イオ様は私を殺さずに聖女として連れ帰ってしまったのです。私は半分とはいえ魔族の血が入っているというのに」


 この話を聞けばイオもカマルが聖女ではないということに納得するだろう。そう思ってセイジがイオの方を見ると、ミルクティーを飲み終えたイオはうとうとと座ったまま居眠りをしていた。


「イオ、聞いてたか?」

「もう食べられない……のですか、師匠。それなら、イオが食べてあげるのですよ」

「なんか、食べてる夢を見てるし!?」


 むにゃむにゃと寝言を言うイオにセイジはため息をつく。


「私は大事にされる価値がありません。お世話になりました。服を買っていただいた恩返しもできなくてすみません」


 出て行きますと立ち上がったカマルが言う前に、セイジはカマルの手を握っていた。引き寄せると長身のセイジよりも頭半分小さなカマルは、すっぽりと腕の中に納まってしまう。

 柔らかくていい匂いがして、イオにプリンを作ってくれた心優しいカマル。


「迷惑と思ってない。価値がないなんて言わないでいい。カマルさんはずっとつらかったんだろう? ここにいれば魔王もカマルさんを見つけることはできない。ここには結界が張ってあるからな」


 世界最強の魔術師の作った結界である。魔王如きに破れるはずがない。魔王はもぎ取られた右腕と連れ去られたカマルの行方を探して今頃血眼になっているだろう。今カマルが結界から出てセイジとイオと離れてしまえば、魔王はカマルの居所を突き止めることがセイジにははっきりと分かっていた。


「またつらい場所に戻りたくないだろう。大丈夫だ、俺がいる。イオもいる」

「セイジ様……」


 初めてカマルがセイジの名を呼んだ。涙ぐんでいてくぐもっているその響きは、どこか甘くセイジの心を揺るがす。

 濡れていたカマルの髪からぽたりと雫が落ちてセイジの胸を濡らす。それは涙ぐんでいるだけで必死に堪えているカマルの涙のように思えて、セイジはますますカマルを放っておけない気分になったのだった。


「カマルさん、俺のベッドで寝たらいい。シーツをすぐに取り換えて来るから」

「いえ、私は床で寝ます!」

「カマルさんを床で寝かせられない」


 放してしまうとどこかに行ってしまうかもしれない。不安定なカマルをセイジは話すことができず、手首を握ったまま二階の寝室まで連れてきてしまった。ベッドのシーツを替えるセイジにカマルがおずおずと問いかける。


「い、一緒に、寝ますか?」


 生まれてから三十年、ずっと魔王の元に繋ぎ止められて、カマルは自分の美しさも魅力も知らないのだ。だからそんなことが言えるのだとセイジは動揺を押し隠す。


「それはダメだ。カマルさん、ベッドで寝て」

「は、はい。すみません」


 謝るカマルにセイジが微笑む。


「すみませんより、ありがとうがいいな」

「え……? はい、ありがとうございます」


 涙を拭って微笑んだカマルの胸元にはアメジストのペンデュラムが光っていた。


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