ないりの祝福②
「七菜香のお弁当、いつもマジで可愛い」
柚姫ちゃんが私のお弁当箱を覗き込んで言った。
「それなー。私も思ってたぁ」
甘えたような声で絵麻ちゃんが相槌を打つ。
柚姫ちゃん――東柚姫と、絵麻ちゃん――桜絵麻は、二人ともクラスのリーダー的な存在だ。柚姫ちゃんはギャル系、絵麻ちゃんはお嬢様系の美少女で、はっきりとタイプが違う。しかし、特に対立しているというわけではない。今学期から同じ班になって、どちらが班長か揉めるかと思ったが、二人そろって唐沢君という真面目な男子を指名して終わった。
「だって秋野ちゃんと長いこと話すの、なんかアレじゃん」
「それなー」
担任の秋野佐和子先生はベテランで、優しい先生だと思う。でも確かに二人の言うことは、班長よりもずっと長く先生と接する学級委員をやっているから分かる。
秋野先生の中には「これが正解」という確固たる答えがあって、なんとなく私たちをその方向に誘導するのが得意だ。
学芸会の劇の演目も、合唱祭の曲も、運動会のダンスの衣装も、なんとなく秋野先生が思うようになってしまった。私たちは皆、そのことは分かっていたけれど、一体どうしてこうなったのか、理解はできなかった。
秋野先生は良い人なのだ。先生のおかげで個性的な人の多いこのクラスでも、イジメやからかいを受けている人はいない。嫌いではない。でも、ずっと話していたくない。
「いいなあ、うらやましい。ウチのママ、基本茶色いのしか作らない。味はうまいんだけどね」
柚姫ちゃんの声で、私の思考は中断される。そうだ、今は、お弁当を褒められていたのだ。
絵麻ちゃんがお人形のような目をぱちくりとさせて、
「七菜香のママってインスタとかやってないの? フォローしたい」
「やってないよぉ。でも、ありがとう。可愛い子が二人褒めてたって伝えとく。すっごく喜ぶと思う」
そう言うと、二人とも満更でもなさそうに微笑んだ。
話題はそこから、インスタグラムで見たすごい映像の話に移っていく。
私は自分のお弁当をじっと見つめた。
土曜の授業がある日は給食が出ないので、皆でお弁当を持ってくる。家庭の事情でお弁当が持ってこられない人は、予め申請しておくと学校側が用意してくれたりする。
なんだかんだほとんどの女子はこの日を楽しみにしているような気がする。
可愛いお弁当箱だったり、自分の好きなおかずだったり、話題のきっかけになるからだ。
私のお弁当は確かに可愛い。今回はチーズとカニカマでチェック模様が表現されたご飯部分に、色とりどりのおかずがセンス良く配置されていて、小さな花畑みたいだ。絵麻ちゃんの言う通り、SNSで食事関係の仕事をしている人のものと比べても見劣りしないと思う。味も美味しい。フルタイムで働きながらこんなクオリティのお弁当が作れる人なんて、他にいないと思う。お母さんはなんでもできる。私は恵まれている。
私は帰ったら、お弁当美味しかったです、と伝える。柚姫ちゃんと絵麻ちゃんが褒めていたことも。
そうするとお母さんは、二人のお弁当の内容を聞くだろう。普通のお弁当だった、という答えでは駄目で、茶色かったとか、おにぎりと卵焼きとウィンナーだけだった、とか、冷凍食品が入っていた、とか言う。そうするとお母さんは笑顔になって、私がどんなに七菜香のことを大事に思っているか分かるでしょう? と聞いてくる。
柚姫ちゃんと絵麻ちゃんは無邪気に笑っている。二人とも優しい子だ。ここぞというときにものが強く言えない私を、いつもサポートしてくれる。二人とも大好きだ。
涙が出てくる。二人とも、二人のお母さんに愛されているのに。だから、こんなに優しい子たちなのに。
「ところでさあ、七菜香は誰の名前書いた?」
「えっ」
突然話を振られて、変な声が喉から漏れる。
「もぉー、七菜香って、頭いいのに天然! またぼーっとしてたんでしょ」
「うん、ごめんね。何の話?」
「おまじないの話!」
絵麻ちゃんが顔をぐっと近付けてくる。
「『ふれあいの丘』に木があるでしょ? おっきい穴が開いてて。そこに好きな人の写真入れてお願いすると、両想いになれるんだって!」
『ふれあいの丘』とは、小学校の校庭から少し離れた場所にある本当に小さな丘で、地域の人たちが協力して作ったものらしい。さほど立派ではないがヤマモモの木も植わっている。きっと絵麻ちゃんが言っているのはそのヤマモモの木のことだ。
「あ、今、ガキっぽいって思ったでしょ」
柚姫ちゃんに言われてドキリとする。そんなことないよ、と否定する前に、
「最初はウチもそう思ってたけど、マジで効果あるよ。だって、今のカレシと付き合えたし」
確か柚姫ちゃんのカレシ、というのは、六年生で一番かっこいいと言われている人だ。でも、柚姫ちゃんくらい可愛くて性格がよかったら、断る人なんてほとんどいないと思う。
それよりも、柚姫ちゃんのような子が、おまじないに頼るのは少し面白い。
私がなんとも言えないでいると、
「あっ、もしかして、キリスト教って、そういうのダメだった……?」
不安そうな顔でそんなことを聞いてくる。
やっぱり柚姫ちゃんは優しい。こうやって、気を遣ってくれる。
「ううん、そういうことじゃないの。キリスト教も、おまじないがダメとかはないよ。私、好きな子とか、まだ分からなくて」
ええーっ、と大げさに声を張る柚姫ちゃんの肩を絵麻ちゃんが優しく叩く。
「七菜香はまだ純粋なのよぉ。私たちとは違うって」
そう言って絵麻ちゃんは何に納得したのかうんうんと頷く。
「でもね七菜香、ふれあいの丘のおまじないは本当。だって、私のいとこのお姉ちゃん、それで今度結婚するんだもん」
柚姫ちゃんがまたええーっと大げさな声を上げた。
絵麻ちゃんのいとこの杏子さんという女性は、ふれあいの丘に自分の勤めている会社の先輩の顔写真を入れたら、なんと次の日に彼から告白をされ、付き合うことになり、とんとん拍子に三か月後籍を入れることになったのだという。
杏子さんと男性は元から気持ちが通じ合っていたのではないか、とやんわりと指摘すると、杏子さんというのは(絵麻ちゃん曰く)態度がおどおどとして容姿も冴えない女性で、対して相手の男性は女性なら誰でも付き合いたいと思うようなタイプで、同じ職場と言っても事務的な会話を何度かしただけにすぎない間柄だったというのだ。
それを聞いてもあまり信用する気にはなれなかったが、私は他の子に合わせてすごい! と驚いて見せる。
自分で考えたわけでもないのに、絵麻ちゃんは少し得意げだ。
「七菜香も気になる人ができたら入れるといいよぉ。それで、私にだけ、好きな人教えてね」
「あ、ずるーい。ウチにも教えて」
軽口を叩き合う二人に、うん、好きな人早く欲しいなあ、と言う。
嘘だ。
本当はもういる。
杏子さんという人は幸せだろうな、と思う。でも、どうして平気なんだろう、とも思う。
到底釣り合わない人と付き合って、結婚して、ずっと一緒にいることになる。
私は無理だ。
声を聞くだけで幸せだ。水曜日と日曜日が大好きになった。彼の薄い色の目に、まばらに散っている黒い点を数えて見たりする。
それですぐ、お母さんのことを思い出す。
お母さんに一度、「柚姫ちゃんのカレシ」の話をしたことがある。
「小学生でカレシ? 汚い、いやらしい」
お母さんはそう吐き捨てた。それでそのあと、こんな年で男の子のことを考えたり、まして好きだと思うなんて、どんなに汚らしいことか説明された。確かに「聖書を勉強する会」でも「かんいんをしてはならない」という神様との約束があると習った。いやらしいことをしてはいけない、というような意味だそうだ。
お母さんに何時間も、好きな男の子なんていないよね、と確認されたことを思い出す。
私たちは大人ではないけど、そんなに子供でもない。学校で男と女の体の違いや、生理のことや、妊娠についても勉強したし、年の離れたお姉ちゃんのいるミキちゃんが持ち込んだちょっとエッチな漫画はクラス中で回し読みした。どうやったら赤ちゃんができるか、お母さんが何をいやらしいと言っているのかくらいは分かっている。
「好きな子なんていません」
何度も繰り返した。私はどうしようもない嘘つきだ。
私は聖書に挟まっていた、彼の薄茶色の髪の毛を大事に取ってある。ときどき光にかざして、きらきらと輝いているのを見る。
それから、自分が本当にいやらしい子だな、と思う。
彼は、私のことなんて好きでも何でもない。ただの子供だ。誰にでも優しいだけ。
私はきっと本当に地獄に行く。
どうして杏子さんは平気なんだろう。
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