第17話 オフィーリアの価値

 倒れたイルマはマドックが付き添って寝室へと運ばれていた。談話室サロンにはオフィーリアとカークウッドが残っている。


「イルマがあんなことになってたなんて……」


 オフィーリアはショックを受けているようだった。今まで離宮から出ようとしなかったことが悔やまれる。禁じられていたわけではないが、この国では自分が疎まれいることを理解していたからだ。だから離宮の外に出るのが怖かった。

 だが自分が離宮に引きこもっている間にイルマは苦しんでいたのだ。今ならイルマがオフィーリアに「脳天気に暮らしている」と言いたくなったのも理解できる。

 マドックが戻ってきた。思い詰めたような顔をしている。


「イルマは……いつから?」


 オフィーリアが心配そうにマドックに訊いた。マドックはしばらく黙って何やら考えていたが、意を決したように口を開いた。


「一年半ほど前でしょうか。最初は胸の辺りに拳大の痣が出た程度でした。それ以外はイルマ様も特に変化はないようでした」


 奇妙には思ったが、イルマも周りもそれほど気にしていなかった。剣術の稽古などもしていたため、そこで出来た痣なのだろうと考えていたのだ。

 だがひと月ふた月経つにつれ、痣は大きくなりその存在を主張し始めた。その頃からだろうか、ときおり心臓を掴まれるような痛みがイルマを襲うようになってきた。


「今では微熱が続き、常に息苦しさも感じておられるようです」

「司祭には見せたのですか?」

「はい。しかし何の病気か分からない、と。治癒魔術が効かないのです」


 オフィーリアの言葉に、マドックは辛そうに答えた。何もできない苦しさはマドックも感じているのだろう。その拳は強く握られていた。


「だから殿下のあれは、普通の病気ではなく未知の魔術によるものではないかと。このままでは殿下は……」


 マドックは両手で顔を覆った。最初に会った時に老いを感じさせなかった彼が、いまは随分と老けて見える。


「魔術であるなら、専門家がいるではないですか」カークウッドが言う。

「そうよ。宮廷魔術師がいるじゃない!」


 オフィーリアも肯定する。だがマドックの表情は晴れなかった。


「宮廷魔術師は……駄目なのです」


 王宮に身を置く貴族マドックが、オフィーリアたちと同じことを考えないわけがなかった。だがそれをできない理由があるのだ。


「それはなぜ?」


 カークウッドの発した言葉は疑問系だったが、答えは予想できているようだった。彼の表情は知っている問題の答えを確かめる者のそれだ。


「宮廷魔術師を束ねるユスフにマーコムの息がかかっているからだ」


 マーコム。それが先程会った貴族のことだということはオフィーリアにも分かった。そしてマーコムと一緒にいたのは第二皇子のキーランだ。


「マーコムというのはキーラン皇子派なのですね。そしてイルマ皇子派の貴方と対立していると」


 カークウッドの言葉にマドックは苦々しい表情をして頷いた。


「ちょっと待って。それじゃ……イルマに使われたかもしれない魔術って」

「確証はありません。ですが可能性は限りなく」

「そんなっ。いまの状況は全部キーランの仕業ってこと!?」

「オフィーリア様、声が大きいです。それと素が出てますよ」


 カークウッドが呆れたように言う。オフィーリアは思わず口を手で塞いだ。


「しかしそれならなぜ、オフィーリア様まで狙われたのか分かりませんね。放っておけばイルマ皇子は死んでしまうのに」


 マドックがカークウッドを睨み付けた。たとえそれが本当であっても、執事が気安く「皇子が死ぬ」などと言っていいわけはない。イルマを次期皇帝にと考えている人間の前でなら尚更だ。


「え? あたしを殺そうとしたのはキーラン皇子なの?」

「皇子本人ではなく派閥の人間かもしれませんが……それでも、この状況で他に誰がいるというのですか?」カークウッドがため息を一つついた。「尋問室では穎敏えいびんさを見せたのに、ここでは愚純とは……本当に貴女という方は理解できません」

「おい執事。口に気をつけろ。先程から貴様は不敬が過ぎるぞ!」


 オフィーリアに対して軽口を叩いたことにさすがに怒ったのか、マドックがカークウッドを叱責した。


「失礼しました。つい本音が出てしまいまして」

「貴様ッ、本当に――」

「あー、あたしは気にしていないからっ。大丈夫。大丈夫よ」


 すっかり今の素である〝あたし〟に戻った口調でオフィーリアは言った。皇女本人に宥められ、マドックは怒りをなんとか抑える。そしてカークウッドを睨みつけるようにして口を開いた。


「イルマ皇子派の中には、オフィーリア様を擁立しようという動きがあるのだ」

「あ、あたしを?」予想外の話に、オフィーリアは目を丸くする。

「失礼ですがオフィーリア様は他国に嫁がれるのは難しい。婚礼という形で国を出ることはできないでしょう」


 遠慮がちにマドックは言う。さすがにはっきりと理由までは言わないが、彼の言いたいことはオフィーリアにも理解できた。


「ですが国に留まるなら、婿を迎え皇子を産むことは可能です」


 皇女に帝位の継承権はない。だがもし、そのお腹に子がいたら。それが皇子であったら。そしてそれが〝聖痕〟を持つ皇女の息子ならば、これほど皇帝に相応しい者はいない。

 乱暴な考えだが、イルマ皇子を亡き者とされそうないま、そう考える者もいたのだ。


「いままで腫れ物を扱うかのように避けておいて、随分と虫の良い話ですね」


 カークウッドの口から辛辣な言葉が出た。しかし的を射ているだけにマドックは何も言い返せない。オフィーリアという存在を無いものとして扱って来たのは、イルマ派の貴族達も同じなのだから。


「おかげでオフィーリア様も命を狙われていい迷惑です」


 オフィーリアは思わずカークウッドを睨んだ。自分を殺しに来たくせにどの口が言うのか。そんな彼女の思いを知ってか知らずか、カークウッドは涼しい顔で彼女の視線を受け流す。


「でもこれで、あたしが狙われる理由が分かったわ」


 そうだ。わざわざ王宮にやって来たのは、現在の皇族を取り巻く状況と、今になって自分が狙われる理由を知るためだ。そのどちらも分かったのだから来た甲斐はあるというものだ。


「マドック。今日はあたしの為に時間をとってくれてありがとう。イルマにもありがとうって伝えておいて。離宮に帰るわ」

「イルマ殿下に会っていかれますか? お部屋にはアネット様もおられるはずです」


 母親の名前を聞いて、オフィーリアの表情に翳りが出る。


「……やめておくわ。お母様にはまだ会えない」


 オフィーリアには八年前の事件を境に、自分を遠ざけるようになった母親のイメージしかない。互いに笑顔で会うことはできないだろう。


「ではイルマ様にお言葉だけお伝えしておきます」


 オフィーリアの気持ちを察して、マドックはそれ以上勧めることはしなかった。


「しかし本当に、変わられましたな」


 暗い。無気力。自分の意思を持たず人形のようだ。マドックは八年前に一度会ったきりだが、オフィーリアの噂は知っていた。それがどうだろうか。久しぶりに会った彼女はすっかり変わっていた。

 顔の傷は痛々しいが、それが気にならないほど明るい表情。砕けた口調。そして何より美しく育っている。


「変かな?」

「いいえ、そちらの方がよろしゅうございます」


 マドックの言葉にオフィーリアは照れたような笑みを浮かべた。

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