第2話 雨宿りから始まる
「おねーさんまだー?」
ラブホテルの一室で、いつまでもお風呂から出てこない彼女を、岸辺鈴鹿は遠くから見つめる。
彼女はマジックミラーになってることに気付いてないようで、少し瘦せすぎている体の至るところにムダ毛がないか調べているのか、鏡の前でキョロキョロとして、長い黒髪を上にあげたり下ろしたり、たまにポーズまでしている。
鈴鹿は、そんな仕草が可愛らしすぎて、しばらく見守ってしまったが、それに気付いたらどんな反応をするか知りたくなってしまって、「パチン」マジックミラーの設定をオフにした。人の感情が動くところを見るのが、好きなのだ。
ただのガラスになり、目を丸くして彼女はこちらをみている。「あわわわ」と声は聞こえないのに、唇が震えてまさにそう言っているのがわかって、鈴鹿は白い八重歯を見せて、ニイと笑った。ガラス窓に、露になった肌をぴたりとつけて、お風呂の中の彼女に見せつける。彼女は、かあああッと真っ白い体が全身真っ赤に染まった。
(可愛らしすぎて、かわいそうで、いとおしい)
鈴鹿は、彼女のためにストリップを始めた。おあいこだ。お互い様だと、ガラス越しに伝える。
そして、お互いの全てを見せあったのに、名前も聞かずに別れてしまった。
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「目覚めたらなぜか二万円が置いてあってさー、ホテル代含む?みたいな?」
「だから犯罪だっつってんだろ、いいかげんにしろよ」
「怖いよー萌果!」
からから笑いながら、岸辺鈴鹿は乾萌果の肩を叩く。鈴鹿の高校の制服はブレザー、萌果はジャンスカだ。金髪ギャルと普通の黒髪高校生は、夕暮れのファミレスで席にもたれている。
ドリンクバーだけを頼んで、萌果はオレンジジュース、鈴鹿はコーラだ。
夕暮れが終わり、街灯がついていく。大きな窓が暗闇に閉じ込められる前に、丸いオレンジの光が、窓ガラスを染める。
このふたり、一見なんの接点もないが、萌果にとっては友達の姉で、一度キスはしたことがある関係。
「で、今回の彼女と、純愛成立するかなー?」
鈴鹿は萌果の趣味である、あることないこと集めて純愛を作り出す、純愛メーカーの趣味をいたく気に入っていて、事あるごとに萌果に、自分の情事を話す。
「成立するわけないわ」
萌果は深くため息をついて、鈴鹿を冷たい目で見る。一夜限りの恋はまだ仕方ないとして、なぜお別れが金品で終わるのか。イライラむかむかしてしまう。
「一応聞くけど、出会いは?」
どうせナンパでしょう?と思いながら、萌果は聞いてみる。
「雨が降っててさ、庇の下で、雨宿りしたの。そしたら彼女があとから来て」
「……あら…結構いい出会いっぽいじゃないですか」
乾萌果はすぐにトキメク。頭の中の純愛メーカーが、ポイント制で、甘い砂糖菓子を添付して、それらに純愛要素を加えてくれるおかげで、素敵で美しい出会いの映像がふわああと脳内を駆け巡った。
濡れそぼった、少しやんちゃな褐色美少女と、黒髪で地味目だが、眼鏡をかけた水色の縦ラインが入ったワンピース姿の女子大生が、静かな雨の中、瞳を交わし合う。
「「濡れましたね」って声かけたらまんざらでもなさそうだから、「じゃ~ご休憩でもどうですか?」って」
「はい終了~~~~!!!!」
淡く甘い雨音を消すように、萌果はパンパンと手を叩く。
「なんだよ、もうちょっと聞こうよ?!」
「ナンパなんだなあ…!もうほんと貞操観念ゆるゆる!!!純愛とは程遠い!!」
萌果はぷんぷん怒って、オレンジジュースを一口飲んだ。
ここはファミレス。放課後。店内にふたりの高校の生徒の姿はない。
「萌果の思う純愛ってなに?」
鈴鹿に言われて、萌果は唸る。
「ん……そうだなあ…んんあ」
まだ唸る。ビニールのソファーカバーを、鈴鹿がペシペシとした。
唸った先に、萌果が聞いた。
「その人って眼鏡かけてます??」
「かけてたかも、なに、こわい、超能力?」
「あ~地味目っていってたんで。どうして、雨宿りに賛成したんですか?」
「なんか、本が濡れるとかなんとか言ってた気がする。あとね、たぶん処女!」
「えええ、処女でこんな狂犬に食われたんですか…?可哀想…。ちょっとその人に貰ったモノとかないですか?」
「ええ、こわ、なんでわかんの?本貰ったよ、字がいっぱいだから、読んでないけど…」
ごそごそと、萌果がスクールバッグから、カバーのついた文庫本を出した。
萌果は、雨宿りに賛成したのは、「ぬれたくないもの」を持っていたのではないかと思ったのだ。それは、濡れたらもう元には戻らないもの、本などだろうと仮定していた。
「どれどれ……あ~~、これで多いんですか?!二節しかかいてないページとかあるじゃないですか!?っていうか、名前書いてあるじゃないですか、しかも、またあいたいって言ってるようなもんですよこれ!」
「ええ、うそでしょう?探偵かよ…!」
鈴鹿は、本を見ただけで色々と発見してしまう萌果に、震えた。
「…そうかそうね、うんうん」
顎をしゃくって、スマートフォンで本の題名をスイスイと調べて、萌果は鈴鹿をじっと見つめた。頭の中の純愛メーカーは、今日は和風だ。薄荷の味をした薄い色のゼリーが、ガラスの中にコロンコロンと音を立てて転がっていく。ソーダ味の炭酸が気泡を作り、赤いチェリーも踊る。フルーツたちを丸くくりぬいて、それに彩が加わっていく。
「彼女と、鈴鹿さんの純愛、できるかもしれません」
「おお~~」
パチパチと鈴鹿は拍手する。
「この詩集は、死者に手向ける詩集です。モリノハナエさんは、恋人を失って間もない、大学生です。多分お墓参りの後、鈴鹿さんに出会ったんじゃないかな?」
鈴鹿が、びっくりしたように目を丸めた。
「なにそれ~、確かにお線香の匂いしたから、早くお風呂入っておいで!って言った」
「そういう情報、先にくれません?」
萌果はジトっとした目で、残念な子を見るように鈴鹿を見つめた。
「この本は、ハナエさんの恋人がプレゼントしてくれたものだと思います。死期を悟った恋人が、『自分が死んだ後も、ハナエさんの人生は続くのだから悲観しないで』と思って伝えてくれたのだと思います。そして、恋人のお墓参りの帰り道で、鈴鹿さんに出会った。一見して愛嬌がいいので」
「一見って言うな」
「はなしのこしを、おらないでください!」
コホンと一つ咳をする萌果。
「一見して陽気な、夏の空のような、あなたに出会った。お墓参りの後に、出会ったのだから、恋人が用意してくれた人生のお花だと思ってしまったのかもしれません、ついつい、惹かれるままに、ついて行ってしまった。けれど処女だったので、作法がわからず、お風呂で戸惑っていたのかもしれませんね。そんな彼女に、鈴鹿さんは笑顔をプレゼントしてくれた。きっと、恋人が亡くなって初めて笑ったんでしょう…」
「おお」
「恋人からの詩集を、ヒントに置いて、それで気付いてくれたらきっと逢いに来てくれるって思ったんだと思いますよ。この辺に大学って、三校しかないし、本に名前のヒントも書いてあるし、簡単な本だし、まさか読めないとも思わないので」
「どこにヒントあんの?」
鈴鹿が、本を抱える萌果のそばに近づく。鈴鹿は甘いお菓子のような香りがするし、豊満な胸を放り出すようなシャツの着方をしているので、萌果はお腹がいっぱいになりそうだった。
「ほら、「森」字の下に、”の” 「花」の字の下に、”え” って書いてあるでしょう、鉛筆で、細く。一回消したけど、見えますよね?たぶんこの本をプレゼントしてくれた方じゃないかな。モリノハナエへ、って書いてあります。鈴鹿さんと出会った人は、話を聞く限りでは、雨に濡らしたくないと思っての雨宿りです。本に落書きをするようなタイプでは、なさそうだし」
「はは~ん、すげえな、萌果。じゃあこれは、彼女と彼女の恋人の、思い出の品なんだ」
本をぱらりとめくりながら、小学生男子のような口調で、鈴鹿が言う。
「そう、それが大事なものだとわかれば、届けに来てくれるでしょう?鈴鹿さんを恋人さんの遣いと思ってるなら、もしも届けてくれなかったら相手を忘れろって言われたのかも知れないと賭けて……もういちど、逢えたらいいって願掛けしてくれたんですよ、そんな大事な本を、あなたに預けて…」
「純愛じゃん!?」
「純愛ですね!?」
嬉しそうにふたりで笑い合う。
「あいに行くんですか?」
「あ~~~……だって、逢いに行ったら、さ」
ピンポンと、店員を呼ぶベルを鳴らして、萌果にシーザーサラダチキンプレートをおごってくれる鈴鹿。なんとなく、あんみつだと思っていた鈴鹿は、肩透かしを食らった気持ちで、鈴鹿を見つめた。答えは曖昧だ。しかし、そうだ、鈴鹿が逢いに行ったら、彼女は、亡くなった彼女を忘れて、鈴鹿との恋に踏み出す決意をするだろう。
本に刻まれた、言葉一つに、”彼女”の名前を見つけてしまうような純愛を、奪うような気持ちになった。
──これ以上は、萌果も踏み込まない。
「だから。太るから勝手に頼むなって言ってるんですよ!!」
「いいじゃん♡お夕飯たべてこーぜ!!」
ニコニコ笑顔になる鈴鹿に、深いため息をついて萌果は、親へ夕飯は食べていくメッセージを送る。
「萌果ってえ、あたしのこと、夏の空みたいっておもってるんだな♡」
「あ~ぎらぎらしてほんとうざいってやつです」
「うける…!!!」
ソファに倒れるくらい大笑いして、鈴鹿は楽しそうに足をばたつかせた。
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