未来の行方(仮題)
雪猫なえ
解1「見抜かれた青少年」
心地良い笑い声が、降った気がした。
「……せ、……ら……原……」
「ん……」
「
「うわっ!?」
跳ね起きた僕は、ガタタンという独特の機械音で、電車の中だと認識した。ぼやけている景色にピントを合わせようと目を瞬かせる。少し見上げると、いつも一緒の大親友が焦り顔で立っていた。通学カバンを肩に掛け、両手でその取っ手をぎゅっと握っている。
「う……ん、
「いや、あんたその前に……」
何かを言い淀んでいる様子の宮古。しかし、僕はまだリラックスしていた。枕にしていたカバンの硬さにまだ違和感を覚えないほどには。
「んっ?てか宮古が目の前に……ってことはあれ?えー……僕は今……」
事の重大さに気付き始める。脳が一気にアクセルを踏んだ。僕は全体重を預けきっていた隣人を見上げた。青年だった。
ニコッ。
「うっわあああああ!」
今度は自らガタタンと音を出して飛び退ける。車両内の人々の目線やら視線やらが一斉に僕に集中する。
「す……すみません、でした」
青年に、そして乗客の皆様に謝罪して、よじ登るように座席に戻る。
「宮古、それで……」
焦ってたのか。
そう、宮古に寄りかかっていたのなら、真正面に彼女が見えるはずがないのだった。
言葉もうまく出てこない僕に向かって宮古は言う。
「そうだよっ!まったく原瀬ったら乗ってすぐに眠っちゃってさぁー!隣の人に倒れた時は本当に参ったんだけどぉっ!?」
その大声にも今大分参っていると思いながらも、自分の失態を棚に上げるわけにいかないのでそのまま耐える。他の乗客の皆様本当に申し訳ありません。
宮古は「もうっ!」と再び可愛く怒った。そして、青年に向かって「すみません、本当に」と会釈した。
「いえいえ、全然」
優しい青年で助かった。
(そういえば、朝からずっと眠くて……昨日の夜更かしのせいか)
当の僕はというと、ぼんやりとそんなことを考えていた。そのまま目線を青年に流す。
年上だろうか。大人っぽい、小綺麗な雰囲気が感じられ、きちんとした印象を受けた。彼は、再度僕を見る。何だろうかと身構えてしまう。
「鞄とか、痛くなかった?」
ふわっと優しく笑いかけてきた。カァッと顔が熱くなる。
「う、本当にすみません。でも、その、起こしてくれてよかったのに……」
後ろめたかったから尻切れトンボのような語尾になった。我ながら批難できる立場でもないのに厚かましいとは思ったが、こちらにも思うところはある。
一応宮古の方を見てみると、彼女は目を大きく見開き、眉も吊りあがり気味で、おまけに口をへの字に結んでガンくれていた。
(ひっ!)
そそくさと視線を外す。それ以上見ていたら体の石化が始まる気がした。とんでもないことをやらかしてしまったという焦燥感から急いで青年を見た。彼はというと、んー、と軽く天井を仰ぎ、
「ぐっすり眠ってたし、なんか幼くて可愛かったから。俺へのサービスってことで。高校生を間近で拝めることってないでしょ」
と、若干変態じみたことを口にした。
「おっ、幼っ……くて、か……!?」
文にならない文を飛ばして僕は狼狽えた。裏返った声でそう返すのがやっとだった。彼が「可愛い女子高生」を間近で見たわけではないことは自明の事実だ。それなのにそんな言葉を僕に寄越すとは、どうかしているんじゃないかと彼の頭を疑った。
これは事件だと本気で思いながら宮古を見た。順応スキルの高い宮古ですら、呆気にとられていた。
そんな中、ふと青年の目線が気になった。彼の目は僕の足元に落ちていた。
(足?僕、特別なもの履いてないよね)
なるべく平静を装って、何気ない素振りで膝を見下ろす。いい加減見慣れた、高校指定のチェック柄がいつも通りそこにあった。言うまでもないが、宮古とお揃いだ。
「原瀬!」
耐えかねたように宮古が声を上げた。聞き慣れたその声が僕の意識を引き戻した。口元がククっと微笑み出そうとした。
(『原瀬』にはまだ慣れないな)
結局、青年からはそれ以上何の言葉も発されず、僕も宮古もその後はずっと黙っていた。沈黙が流れる中で電車は走り続け、窓の外に見える景色も巡っていった。狭い箱のような空間は静かだった。
「さて、と」
青年が口を開いた、とわかったが頭で「理解」してはいなかった。だから、次の発言にも反応が遅れた。
「君たち、到着じゃない?」
「……ああっ!」
彼が吹き出す。
「遅っ!」
あははは、と笑っている。さっきの雰囲気とは打って変わって明るい快活な印象を受けた。カラッとした笑い声に押されてようやく歯車のように徐々に頭が動き始めた。おわかり頂けているだろうか、彼の発言の奇妙さに。
「あの、なぜそれを?」
僕も宮古もこの青年と会話らしい会話はしていないはずだ。僕が眠りこけていた間に宮古が話したのかとも思ったが、僕が目覚めたときの宮古の焦りようを思うとその線は薄い。現に宮古も驚いた顔で青年を見ていた。
雰囲気を察したらしい青年が「あ」と言って笑った。やはり笑った顔は無邪気だ。
「そっか、ごめん驚かせたよね。というよりも、気味の悪い思いさせちゃったかな」
「気持ち悪かったよね」ではく「気味の悪い思い」と選んでくる丁寧さに育ちが窺えた気がした。変人というだけかもしれないが。彼は再度小さく「ごめんごめん」と言いながら話し始めた。
「実は、俺いつも君たちと同じ車両に乗ってるんだよね」
「「えっ!」」
僕と宮古の叫びが共鳴した。
「まあ、俺は次の駅なんだけどね」
「あ、私たちのですか?」
「そう、君たちの次の駅」
ニコッと青年が微笑む。多様な笑顔をする人だ。今度のは、静かにゆっくり笑っている、そんな感じだった。
(この人が表情を崩す時って、どんな時で、どんな顔をするんだろう)
そして、崩れ方が悪い方向に振り切った時にこの人を支えてあげられる人も、一体どんな人だろう。
どうしてそんなことを思ったのか、どういう風の吹き回しなのか、それはわからなかった。
「ほら、ドア閉められちゃうよ?早く行きな」
いつの間にか着いていた駅。乗っている箱の扉は開いていた。溢れるように人々が電車から流れていく。宮古は僕のことを待って留まってくれていた。
「わっ、宮古ごめん!!」
幸い間に合いそうだった。汽笛はまだ鳴っていなかったから。
宮古を先頭に、僕らは電車を降りようとした。駆け出そうとして、振り返る。
「あのっ、ありがとうございました!」
青年は虚を突かれたようで、僕の会釈に一瞬固まった。しかしすぐに「こちらこそ」と笑った。
「原瀬降りるよ!」
「うん」
こんな切迫した状況だというのにどういう訳か僕は少し寂しくなっていた。
「じゃあ、また!」
衝動任せに片手を大きく掲げて手を振る。青年は目を見張り、その後口元を手でそっと覆った。か細い声で「うん」と言ってくれた気がした。
(照れてる?)
ぽけっと考えながらも宮古と一緒に電車を降りた、はずだった。
降車の間際、腕を引かれた。そして囁かれた言葉に僕の瞳孔は全開になる。
「えっ」
名前も素性も知らない青年、その真っ直ぐな瞳は僕を
「ははっ、実はずっと気になってたんだ」
僕の驚愕なんてお構いなしに彼の言葉が続く。動かない僕の思考に反して鉄の箱はもうすぐ動くぞと笛が鳴る。その
「どれを」
「強いて言うなら、全部かな」
「僕、僕は」
「ーーーーーー?」
青年はまた僕に尋ねた。至近距離で音波が鼓膜を伝って揺れる、響く、痺れる。
答えは、YESだろうかNOだろうか。わからない。けれど、今の僕は。
「はい」
僕の答えを受けて、青年は一瞬だけ目を見張ったが、すぐに笑った。
「ふふっ、何それ」
そして青年は僕の肩を優しく押した。トンっと地に足が着き、振り返るともう電車は発進し始めていた。窓の内側に彼を見つけることはできなかった。
「原瀬!」
宮古が僕の元に駆けて来た。相当急いで来たようで、額には汗が滲んでいた。
「もおーー、すっごく心配したんだからね!?振り返ったら一緒に降りたはずの原瀬いないし!探したらドアん所であの人に捕まってるし!車掌さんと他のお客さんはものすっごい形相で二人のこと睨んでるし!そりゃそうだよねぇ、超迷惑!邪魔にも程があるって!同じ車両乗れなくなったらどうすんのー!ていうか超乗り
一気にまくし立てて宮古は肩を上下させた。息が軽く上がって、頬はほんのり上気している。そうとう腹に溜め込んでいたんだなとやっと気付く。一緒にその場に居合わせた彼女だってずっと相当気まずかったはずだ。
でも考えみれば、よくあそこまで発車を引き延ばしたものだと思う。まさか通勤・通学ラッシュに恩恵を授かることがあるなんて驚きだ。でも降車が遅かったからおおよそ人が掃けていたかもしれないと考えると、大勢に注目されていた可能性が高くて今更恥ずかしくなった。
「じゃあほら、行くよっ!」
宮古に引っ張られて、僕は歩き始めた。
(手、強)
心なしか、というか本当に強く握れられていた。ちょいと痛いんで緩めてくれないかなーと申し出ようと思った時だった。
「もう二度と、いなくなったら嫌だよ」
宮古がそう呟いたのが聞こえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます