2.日常は砂、あるいは薄氷の上に 2/3

 放課後、部活動のために大学へ向かい、今朝お弁当を受け取った場所へ戻ってきた。

 材料工学棟まで自転車で移動する。

 キャンパス内はなかなか広いため、自転車、キックボード、おそらく乗り物であろう何かが散見される。驚くべきことに、乗り物であろう何かの数が一番多い。 次いで改造キックボード、改造自転車と続く。 ここではノーマルな乗り物は少数派だ。


 棟の受付で認証カードを通し、係員に今日の予定を確認する。


 今日の仕事は焼成関連のみだが、今日は切削系の人手が不足しているため、そちらへ回ってほしいようだ。 係員に焼成の段取りが終わったら切削室へ移動する旨を伝え、別棟の焼成場へ向かう。


 この大学では入学前インターン制度をとっており、毎年、市内の高校の入学時、または毎年行われる夏の試験に受かると、大学の作業の手伝いが高校の部活動として認められる。

 これによって、学生は入試のときに優遇措置を受けることができ、大学側は将来入ってくる学生に基礎的な技術を先んじて身に付けさせることができる。

 ただし、高校生が入試の優遇を受けるには、毎年の試験にパスし続けなければならない。

 特にこの大学は、一回生から研究が始まるので、この制度を受けているかどうかで入学後に作業効率の差ができることになる。

 さらに、この制度への参加者は、専攻についての選択も大学入学前に終わらせている者が大半で、この点でも時短ができていると言える。

 鷹揚は高校入学当初から参加しているので、手伝い人員の中ではベテランとして頼られている……と本人は思っているが、実際は便利に使われている。


 もちろん、鷹揚も研究したい事は絞れてきている。


 鉄。鷹揚は鉄が大好きだ。

 惑星内部での核融合に於いて、最終的に鉄が生成されるのはそれが最も安定した物質だからである。 何かの科学雑誌でその記事を見て、調べ始めてからハマってしまったのだ。

 今では「昭和四十年代の旋盤のレールに使われている鉄が一番好きだ」などどマニアックなことを言うくらいにはハマっている。


 さて、今日のオシゴトは、示されたレシピ通りに素材を混ぜ合わせ、機械にかけるだけの簡単なお仕事だった。

 それでも、色々とコツがあるため、誰でもできるというものではない。

 職員の側もそれを見越したうえで、余るであろう時間に切削のヘルプの依頼を入れたのだろう。

 冷却は朝までかかるため、さすがに片付けは正規の学生がやってくれる。 次は切削室だ。


「たっかのっぶ君! あ~そ~ぼ!」

「……僕、ジンバさんって、一人見かけたら三十人はいるんじゃないかって、最近思うんですよね」

「鷹揚君、時々変なこというよね?」


 挨拶をしながら切削室に入ると、助教授の佐藤先生と話をしていたジンバがからんできた。

 鷹揚はジンバのカラミを適当にあしらいながら、佐藤先生に内容を確認し、コツコツと段取りを済ませていく。


「なんで、ジンバさんがいるんですか?」自動送りをセットしながらジンバに尋ねる。

「えへ、来ちゃった!」

「なんで、ジンバさんがいるんですか?」

「やだなぁ、燈理ちゃんのマネ? もう少しアイソよくできない? 会話を楽しもうよ」

「なんで、ジンバさんがいるんですか?」

「うん、分かった。今回は負けを認めよう! 実は俺がスポンサーになっている研究があるのだよ。今日はその打ち合わせサ」


 そうそう、とジンバがマネークリップから一万円札を数枚取り出し鷹揚のポケットに突っ込んでくる。


「と、いうわけで、俺はこれから先生方と大人の打ち合わせに行くから、夕飯の件は……メンゴ!」

 ジンバが頭を下げ、下げた頭の上で手を合わせる。

「別にお金はいらないですよ。てか、それ、一枚でも多いくらいでしょうよ」

「まあまあ、お願いしたい事もあるから、バイト代だとでも思って受け取ってよ」

「それ、先に僕が受け取ってたら断れなくなってたやつですよね」

「お兄さん、そういうことに気付いちゃう子は好かんな~。簡単なことだよ。俺の代わりに映画のレイトショーを見てきてほしいのサ」


 鷹揚は加工が終わった物を旋盤から外して寸法を確認し、次の材料をセットする。

「……ねえ」

 自動送りの工程に入ったら、先ほど外した物をマシニングセンターにセットし、プログラムの呼び出しと修正を行いスタートする。

「……ヘイ!」

 旋盤の刃を回転させ、次の工程に移る。

「……泣くぞ? 俺が泣いたら気色悪いぞ~?」

 再度、自動送りになったところで、ようやく鷹揚が口を開いた。

「どう考えても、理由がわからないんですが?」


「話せば長くなるよ?」

「やりながら聞いてもいいですか?」

「うむ、昔、世界がドロドロ……」

「簡潔に!」

「姉ちゃんズに怒られるから」

「もう少し詳しくできないですか?」

「姉ちゃんが作った映画を見るように言われてたんだけど、俺が地元くににいないことを理由にブッチしてたら、日本でも同じのやってんじゃん! それが姉ちゃんにバレちゃってサ。 早々に感想を言わないと殺される」

「自分で行ったらどうです? すぐってわけじゃないんでしょう?」

「ジョウエイハ、キョウノレイトショーデ、オワル!」

「今まで何してたんですか? 時間はあったでしょう?」

「寝ちゃうんだよ! 仕方ないだろ! もう癖になっちまってっから、三回目なんて暗くなった瞬間までの記憶しかねーんだよ! いいじゃん! 助けてよ! ねーちゃん、怒らすと怖いんだよ! しかも今回は三人同時だから!」


 なんだか、不憫になってきた……色々な意味で。

 ある意味どうでもよくなった鷹揚が依頼をを了承すると、ジンバは小躍りしながら去っていく。


 あんな大人にはなるまい……あけ放たれたままの入り口を閉めながら、鷹揚の中でジンバの反面教師度がまた一つ上がった。





 研究室の燈理が再起動するまでに、タップリ二分かかった。 原因は手の中にあるメッセージだ。


『アカ姉、今夜暇? 暇なら一緒に夕食とレイトショーへ行かない?』


 ——デートのお誘いだ! 間違いない! そういえば、今朝も燈理のお弁当を作りたいとか、積極的だった気がする。

 しかし、鷹揚の性格上、デートのお誘いなら一週間以上前に予定の確認をしてくるだろう。やはり、デートではない? はっ! そう思わせといて実は……とか。例えば、不意打ちでイニシアティヴを取って、なし崩し的に……とか。


 とりあえず、デートだとしても、そうじゃない事もないとしても、隙を見せるわけにはいかない。 挑戦は受けて立たなければ。


 燈理は気合を入れると、早速戦闘準備を始めるのだった。





 大学の駐車場。鷹揚は燈理のクイックデリバリーに自転車を積み込みながら訊いてもいいものか迷っていた。


 燈理の恰好が登校時のそれとあまりにも違っていたからだ。


 もちろん、登校時と下校時で服が変わることがないとは言い切れない。

 例えば、鷹揚も実験の手伝いで大学に泊まることがある。しかも、そのための着替えも大学内に借りているロッカーに常備している。

 今日だって油臭い状態で映画館へ行くことがためらわれたから、シャワーを浴びて常備していた着替えを着ている。


 それにしたって、変わり過ぎだろう!


 大学一回生のときならともかく、二年目の燈理が着替え用に気合の入ったおしゃれ着を持ってきているとは思えないのだ。


「アカ姉さ……」

「なにかしら」

「髪型変えた?」


 美容院へ行ったの? などとは訊けなかった。


「なんで? いつもどおりよ?」


 ンな訳ないだろ! 鷹揚は出掛かった言葉を飲み込んだ。

 地雷は避けるものだ。 踏みぬくものじゃない。 マインローラーのように構わず踏みぬく人が身近にいるから、一層そのように思える。


 自分を取り巻く世界の平和のために、もう、そのことには触れないことにした。

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