1.綻びつつあった日常 2/2
心地よいまどろみの中からゆったりと浮上する……自分の腹の音で目が覚めた。
見慣れた部屋を照らす光が青いのは、日の出前だからであろう。
六畳ほどの空間。入り口と反対側、南側に窓。
東側の壁にワークデスクと、それにくっつくように反対の壁まで高床が設置されている。
この高床の畳をめくると収納空間になっている。
何かと増え続ける私物を放り込むには大変都合がよろしい。
設置してすぐに気づいたのだが、高床の奥側のワークデスクの下に掃除機が入りにくかった。
まあ、習慣化すればどうという事はなかったが。
それより、机に向かいながらも、立たずに横になれることの利便性の方が大きい。
これで体力の限界までデスクワークができるというものだ。
部屋の中央、東西を横断するようにハンモックが取り付けられている。
天井付近に設置されたハンモックの上には着替えとカバンが置かれている。
ハンモックの向こう側、入り口付近には小さなシンクが置かれており、その周りに個人購入したIHヒーターと湯沸かしポット、電子レンジが鎮座している。
炊飯器は先週壊れた……。。
さてと、すぐに空腹を解消したいが今は普通の朝ごはんが食べたい気分だ。
とにかく、今はしっかりと量を食べたい。
彼は一階に降りると共有リビングに向かう。
この建物は併設された道場の門下生の生活施設だ。門下生の何人かが共同生活をしている。
道場の主人の友人はシェアハウスだと言っているが、正直なところ微妙だと思う。
しかし、寮というのも違う気がする。まあ、共同住宅だろう。
今この建物にいるのは彼一人だけだ。
他の住人は遠征という名の旅行に行っている。
みんな社会人だよね、仕事は大丈夫か?
ここから職場に通っている人もいたはずだ。
まず米を高速モードで炊きながら味噌汁を用意して——などと考えながらリビングを横切りキッチンへ……テレビの電源が入っている?
いや、人が倒れている!
「……まったく……この人は……」
テレビの前に倒れているのはここの家主の友人で自称行商人の男だ。
彼は部屋を持っていないが、入り口の鍵は持っているため、勝手に出入りしている。
褐色の肌に長く伸ばした金髪はおさげで一つにまとめられている。
普段は鋭い印象を与える顔に幸せそうな表情を浮かべ、やり切った感を全身で表現しながら眠っている。
それにしても、カーゴにアロハって、どこに行っていたんだろう?
テレビ画面の右下にはFinの文字、手にはコントローラー。
うん、事件性はない。
まずは飯だ。
手早く支度を整える。おかずの準備が整い鮭の焼ける匂いと米の炊ける匂いが胃袋を刺激する。
「つまみ食いは感心しませんよ? ジンバさん」
「やだなぁ。鷹揚君は……俺を疑ってる?」
「気配を消して近づいておいて、言い訳できると思ってるんですか?」
「でも、俺の分もあるんだろ? 食べても良いじゃん?」
「つまみ食いする気満々じゃないですか」
言いながら鷹揚と呼ばれた青年は二人分の朝食を盛りつける。
「もう少しかかるんで、先に顔洗って来てください」
「ありがとぉ! 君が嫁に来てくれるなら、俺は新たな扉を開いても良いと思っているよ!」
「おかしなこと言ってると、おかわりを禁止しますよ?」
琥珀色の片目を閉じてジンバが戯けながら洗面台へ向かう。
鷹揚は盛り付けの仕上げに取り掛かった。
「で、今回はどんな夢よ?」
大きな手で器用に箸を使いながらジンバが問いかける。
箸で鷹揚を指しながらなのは……まあ文化の違いだろう。
鷹揚も体は大きい方だが、ジンバはそれ以上に大きい。
二メートル近い体格に鋭い目つき。 会った当初は軍人と言われても信じただろう。
対して鷹揚はがっしりと大きな体だが、人畜無害な顔つきをしている。
肩幅が年相応に未発達なせいか大きな小熊のような印象だ。
高校の登校時間まではまだ十分な余裕がある。
もともと鷹揚もジンバに相談しようと思っていたので、そのまま夢のあらましを説明した。
未来の宇宙港のような場所で、女性士官らしき人に親切にされたこと。
トラムで移動中に施設の電源が落ち、緊急連絡も繋がらないので、徒歩で脱出しようとしたこと。
途中で衝突音と悲鳴が聞こえてきたのでそちらへ向かうと、どう見ても軍用機の戦闘場面に遭遇したこと。
劣勢な方の機体と格納庫のスピーカーの接続が切れていないようで、その声が先ほどの女性士官の声に酷似していたため、咄嗟に作業用の重機で戦闘に割って入ったこと。
戦闘終了時に気を抜いたタイミングで自分が取り付いていた機体が倒れ下敷きになって死んだであろうこと。
「ぶはははは! 間抜けー!」
「笑わないでくださいよ! こっちは死んでるんですよ?」
「でも夢ん中じゃん? どうせクリアするまで同じ夢を見るんだろう? お兄さんがアドバイスしてやるよ」
いつからこんな夢を見るようになったのか。最初はビル火災から逃げる途中で一酸化中毒で死んだ夢だったと思う。
普通の夢なら覚えていないか、覚えていたも悪夢を見たで終わってしまうだろう。
しかし、鷹揚の夢は脱出するまで繰り返し続くのだ。
夢の中で死ぬたびに、次の睡眠で夢の出来事を最初からやり直すことになる。
毎日続く悪夢にいい加減うんざりして、医者にかかろうかと思った時、ジンバに声をかけられた。
彼に言わせると「すっげー! 無料の仮想現実ゲームじゃん! 俺も実用化したら是非やりたい!」と根掘り葉掘り聞いてくる。
どうでもいいが、この人日本語ペラペラだ。
それ以来、会う度に内容をしつこく聞いてくるようになった。
内容を聞けば満足するのか自分ならどうするかを勝手に喋った後は絡んでこない。
そこで、最初は適当に内容を伝え、早めにご満足願うことを繰り返していた。
ただ、このジンバの感想が上手く的中することが多く、最近では鷹揚の方からアドバイスを求めることが増えていた。
「うおー! 新型機強奪イベントキター! どんな機体ヨ? 武装は? 変形とかは? しかも、作業用の機体で戦闘とか燃えるー!」
アドバイスの件……今回はダメかもしれない。
「それにしても……」ひとしきり騒いで満足したのか、急に表情を引き締めるジンバ。
「その士官のお姉さん、真木さんだっけ? ちょっと気になるな」
「何かありそうですか?」
ジンバの考え込むような態度に、やにわに期待が高まる。
「夢の前半で美人のお姉さんに昼飯奢ってもらったんだよな?」
「ええ、施設の設備で迷惑をかけたお詫びだって。 休憩中なのにいい人ですよね? 美人は関係なくないですか?」
「昼食の時にお姉さんとシケこんじゃえば、初体験狙えんじゃね?」
「へ?」変な声が出た。
「普通、そんな理由で昼飯奢ってくれないって! ぜってー向こうもお前を狙ってるよ! 良いじゃんいっちゃえよ! ユーいっちゃいなヨ! で、是非どんな具合だったか教えてくれ!」
急激に場の空気が冷えてきた。
うん、学校行こう。
「では、学校に行きますんで、ジンバさん、外出するときは戸締りに気を付けてくださいね。 それから、食器洗っておいてください。 じゃ!」
「え、まだ早いよ? もっと話そうよ。色々せっとkーーじゃなかったアドバイスするよ?」
サッサと身支度を整えて、自転車を準備する。
ドロップハンドルは校則違反だが、直すのは誰かに指摘されてからで良いだろうと思いつつ、すでに一年半が経過している。
「帰ったら続きを話そうぜ? なんか美味いもん作っとくからさ!」
「今日は部活で大学に行くから、いつもより遅いですよ?」
「問題ない。一杯やりながら待ってるよ。 それより、この前の夢で出せるようになった、か◯は◯波は出るようになったか?」
「うるさいですよ」
鷹揚を見送り誰もいなくなった建物で、ジンバの携帯に着信を知らせるアラームが響く。
「ほいほい、ミラクルセクシー、ジンバさんの携帯ですよ〜。……ほっほ~う、そろそろ来るかなっとか思ってたけど早かったね。……コッチ? 順調なんじゃないの? ……もちもちろんろん、こっちも準備したりしなかったり頑張ってるよ? ……そぉりゃジンバさんだって休憩くらいするからね? ずっと準備作業しっぱなしじゃないよ? 準備したり、ごはん食べたり、準備したり、お醤油借りた……切れちゃった。傷つくなぁ」
ジンバが携帯端末を振ると、携帯端末が消失した。
「さて、鷹揚君は生き延びることができるかなぁ? お兄さん楽しみだよ」
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