04:罠
イスターツ帝国において成人とは十八歳以上の事を指すと知ったのは、あれからすぐ後の事だった。
それを聞いたのはイスターツ帝国の宰相を名乗るラースだ。三十台後半の帝国にしては珍しい細身の人。宰相を名乗っているので生粋の文官なのだろう。
「つまり私は十六歳なので、イスターツ帝国では結婚が出来ないと仰るのですね」
「いいえこれは国家間の取り決めですので問題はございません」
「しかし皇帝陛下は私を認めて下さりませんでした」
「今回の和平条例は我が国にも利がございます。それはヘクトール陛下もご理解しておられますからやはり問題はございません」
何度頭の中で考えても和平と結婚には問題がないと言う意味にしか聞こえない。要するに感情はまた別の話と言うことなのだが……
しかしここで、『相手にされていないのならば辞めます』なんて選択肢がある訳もなく、ヘクトールと私の結婚式は予定通り執り行われることが決まった。
きっと一生に一度の結婚式だと言うのに……
それに参加している帝国貴族らの『こんな子供を娶るのか?』と言う失笑と、夫となるヘクトールの仏頂面は夢に見そうなほど酷いものだった。
誓いのキスの時は、「子供に出来るか!」と大声で叫ばれ、それを聞いた帝国貴族からはまた失笑が漏れる。
式の間、私はそれを堪えてグッと我慢した。
ひと際、体の大きいヘクトールと十六歳になりたての私では特に身長差が酷い。
履き慣れないとても歩きにくい高いヒールを履いていると言うのに、それでも私の頭はやっと彼の鳩尾に届くか届かないかと言うところまでしかない。
まあ無理もないかと思わないでもないが、他国に来てまでこんな辱めを受ける覚えはない。
形式だけの結婚式が終わり私は帝国で皇妃の称号を得た。ただし得たのはもちろん称号だけの話で、急に態度が改まる訳はなく、帝国貴族らの向ける瞳は侮蔑、『
そしてその日ヘクトールは私の寝所に来なかった。
しかし落胆は無い。
むしろあれだけ子供扱いしたのだから当たり前かと納得した。
それから三日間、結婚祝いと言う名目で街はお祭りになっていた。
三日目が終わる頃にライヘンベルガー王国の使者は帰っていく。つまりそこがダニエルと逢うことが出来る最後の日と言う事だ。
問題の三日目の朝。
私はダニエルから訪問を受けていた。
きっと最後の別れを言いに来たのだろうと、部屋に入れた。勿論二人きりなどではなく、私の部屋の中にはライヘンベルガー王国から来た護衛や侍女が幾人か居る。
「やあレティ」
「おはようダニエル」
「まだ来ないのかな?」
そう言いながらダニエルは部屋に居る侍女らに視線を向けた。それを受けた侍女らはコクリと頷く。
何を言っているの、などとカマトトぶるつもりは無い。
初日に続いて二日目となる昨日も、ヘクトールは私の寝所を訪ねて来なかったと言う意味だ。
「それは困ったね」
「どうして? ちゃんと約束通り私とヘクトールは結婚をしたわ。
だったら和平条約は結ばれたのでしょう」
つまり祖国ライヘンベルガー王国は安泰でしょうと問うたのだ。
しかしダニエルはそれに答えず、不思議な行動をとった。
人差し指を立てて口元に。
それは子供がやる様な『しぃ~』と言う合図だ。
喋るなと言う事?
ダニエルは胸元から一通の封書を取り出して私に差し出した。もちろんその間も、手の指は『しぃ~』のまま……
私は声を出さずにそれを受け取る。
受け取るとダニエルは読んでと声に出さずに身振りで伝えてきた。ここまでくるとこれが密書であることくらいは予想がつく。
私は慎重に封書を開いて手紙を読み始めた。
『レティーツィアへ
皇帝ヘクトールの子を懐妊せよ。
無事に懐妊した際には、ライヘンベルガー王国に戻ることを許す。
また、どうしても懐妊しない場合は、皇帝ヘクトールと関係を持った後であればライヘンベルガー王国に帰って来ても構わない。ただしその場合は別の男の子供を産むことになると思え』
「なっ!」
思わず声を漏らした所でダニエルが私の口を塞いだ。
もう大丈夫と手を離すように目で訴える。するとダニエルはすっと私から離れた。
その平然とした態度に、彼はこの手紙の内容をすべて知っているのだと解った。
もう一度手紙に目を通す。
書いてある文面の恐ろしさに、私の体が震えた。
これはなんと恐ろしい手紙であろうか……
私がヘクトールの子を懐妊して国に帰れば、ヘクトールは暗殺されるだろう。
暗殺が無事に成功すれば私が生んだ子が次の皇帝だ。
その皇帝の祖父はライヘンベルガー王国国王、都合の良い様に教育するだろうから傀儡政権の出来上がりだ。
暗殺の方法は知れないがこれが一番スマートな策だろう。
問題はその次だ。
私が実際に懐妊する必要が無い事。だが子は産めと言う。
つまり身籠ったフリをして国に帰り、別の男の子を産めば……
その後の流れが同じだとするとこの策を考えた者は狂っている。
私は祖国の平和の為に身を捨てる覚悟を決めてここに嫁いで来たと言うのに、その裏では帝国を奪い取る、この様な浅ましい知恵を働かせていたのかと思えば、役目を忠実に守り真面目にここに来た私が馬鹿ではないか?
ダニエルは私から手紙をピッと奪い取ると、それを暖炉にくべて燃やした。彼は手紙が燃え尽きるのをじっと、無言で見つめていた。
すべてが燃えたのを見終えると、
「昨日までに通りがあったら良かったのに……、レティごめんね」
小さな声だったがハッキリとそう呟いた。
ハッと思い出したのは手紙にあった
もしも昨日までに私がヘクトールに抱かれていたのなら、ダニエルは私をここで抱くつもりだったのだろうか?
まさかこのような立場になってまで、
私は一瞬でもこの悪魔の提案に魔が差したことを恥じた。
逆に思おう。私はまだ生娘だ。
ダニエルに抱かれる資格が無くて良かったのだと……
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