02:イスターツ
事前に北側の山の標高は高いと聞いていた。
しかし聞くと見るとじゃ大違い。おまけに体験するとなればもっと違った。
標高が上がるにつれて寒くなり息苦しくなる。馬も辛そうなので休憩の時間も体感できるほどに増えていた。
護衛の女騎士が私に「大丈夫ですか?」と声を掛けてくれる。不安で一杯だが「大丈夫よ」」と笑って返す。なんせ彼女たちはこれから、私と一緒に隣国のイスターツ帝国で暮らすのだ。
少なくとも彼女たちには、こんな早くに弱音を吐く訳には行かない。
※
二ヶ月前の事。
王宮でお父様たちと夕食を取っていた。ライヘンベルガー王国では家族で食事を取る風習があり、それは王族でも変わらない。
そして夕食が終わってからのひと時はお茶を飲みながら話をする。習い事の事や貴族の話など内容はまちまちだ。
しかしその日はお父様が、何度か言い淀んでから口を開いた。
事前に、そして密かに仕入れていた情報ではイスターツ帝国との外交の話が失敗したと聞いていたから、きっとその話だろうと推測する。
「イスターツ帝国と友好を結ぶ為に、お前たちのうち一人を嫁に出すことになった」
やはりそうだったなと心の中でだけ当たった~とほくそ笑む。
まるで他人事の様な態度だが、これには事情がある。三女の私の年齢は十五歳で、ライヘンベルガー王国の法律ではまだ成人していないのだ。
つまり未成年の私は結婚できないから、必然と候補から外れている。
対して二番目のアニータお姉様は顔が真っ青だった。
一番目のマリアナお姉様は王を娶る義務があるから外に出されることが無いとすれば、選択肢は一つしかない。
きっとすぐに自分の事だと気付いたのだろう。
しかしお父様が次に言った言葉は聞いた私の耳を疑う物だった。
「イスターツ帝国にはレティーツィアをやることに決まった。
よいなレティーツィア」
一瞬、何を言われたのか分からず唖然としたが、お父様の隣に座っていたお
ニヤッというそれ……
どうやら実の子ではない私をこれを機に厄介払いしたいらしい。
公的には第二妃と呼ばれた私の母は、陰では妾と蔑まれて呼ばれていたらしい。
らしいと言うのは、私が物心がつく前に、医者も知らぬ奇病に掛かって亡くなったからだ。だから私はお母様の顔は肖像画でしか知らない。
「お父様のお言葉は判りますが、私はまだ十五歳ですわ。
結婚できない年齢の私をイスターツ帝国に遣わせて問題は有りませんか?」
それを聞きビクッと二番目の姉が体を震わせた。
よほど行きたくないらしいわね。
まぁそれは私も同じことだ。
誰が好き好んで山猿の嫁になりたいものか!
「いいや大丈夫だ。レティーツィアは二ヶ月後に誕生日を迎えるな」
「二ヶ月後、つまりイスターツ帝国にたどり着いた時に私は成人である十六歳になっている。だから問題ないと仰りたいのですか?」
「そうだ。行ってくれるか? レティーツィア」
父親とは言えこれは国王陛下の言葉だ。お継母様が何か言ったにしろ、これは議会で話し合って決まった決定事項なのだからこれ以上はダメだろう。
「了承しました」
私にこれ以外の返事が言える訳はなかった。
私の婚約が決まると、
本当にそう思っているのなら変わってあげるわよ……と、言い掛けて何度言葉を飲み込んだことか。
私の婚約が決まった話はすぐに王宮に知れた。
それからそれほど日にちを開けず、私は幼馴染のダニエルの訪問を受けていた。彼は侯爵家の令息で十九歳だ。
十五歳の私とは少しばかり年は離れているが、お互い憎からず想っていたと思う。
その私に、婚約が決まったと伝わったから、慌てて走って来たのだろう。
「レティ! 君が婚約なんて本当なのか!?」
「ええ残念ながらそうみたい。あの山を超えたら私は山猿の嫁になるらしいわ」
「っ……。きみが十六になったら陛下にお願いするつもりだったのに」
ダニエルは悔しそうに唇を噛みしめながら嬉しい事を言ってくれた。残念なのは、すでに遅いと言う事だろう。
もしも十六歳を待たずにそれを伝えてくれていたなら、私には婚約者ありとして今回の話から外れていたかもしれなかったのに。
いいや、
「ごめんなさい。ダニエル、もうお別れしましょう」
「いやだ!」
「だってどうしようもないじゃない」
「親父に言って僕もイスターツ帝国に行く!」
「ダメよ。あなたは侯爵家の跡取りだわ。私に使って良い時間はもう無いのよ」
再び彼は唇を噛みしめて悔しそうに顔を歪めた。
「イスターツ帝国には行く……
最後の付き添いくらいなら許してくれるよね」
そんな事をしてもお互い辛いだけなのにと、理性では思っているが、感情の方は耳まで真っ赤になるほど嬉しいらしい。
私は結局、強く拒否することは出来なかった。
※
馬車のドアが開いた。
「大丈夫かい?」
ひょこっと幼馴染の男の子が顔を覗かせてきた。
彼はあの日の言葉の通り、私の為に正式な使者として立候補してイスターツ帝国について来てくれた。
それだけでもう胸が一杯なのに、私はまだ欲しがる。
彼にそっと手を出しだす。
ダニエルは私の手をぎゅっと握って、「冷たいね」とはにかむように笑った。
このまま連れ去ってくれればどれほど幸せだろうか……
しかし王女として生を受けた私はその役目を放棄することは出来ない。
「そろそろ出発でしょう?」
今までの経験から、最初は護衛が、そしてダニエルが来る頃には馬車は動き出すと知っている。
「そうだね。ここからは下りだ。
きっとイスターツには
彼は幼い頃に良くやってくれたように、私の頭の上に手を乗せてポンポンと優しく慰めてくれた。
でもねダニエル。私はそんな事は望んでいないわ。
むしろ永遠に着かなくてもいいの……
しかし馬車は、私の意思とは反して、登りの時間の半分で山を下りていった。
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