山猿の皇妃

夏菜しの

01:プロローグ

 ライヘンベルガー王国の北側の高い山の向こう。その高地にはクローデン王国があった。なお両国の国の大きさは同じほどで、さらに両国の間に高い山があったから争いは無かった。


 さてそのクローデン王国の国王が、王太子と共に事故で亡くなったと言う報告が入ったのは半年前の事だ。

 国王がそれも世継ぎと共に亡くなったから政敵の策略か、それとも内乱の始まりか、別段珍しい事ではないと誰もが取るに足らない情報だと聞き流していた。

 何故ならその様な不道徳な事を突き詰めて不興を買うよりも、新たな王の即位を祝い親睦を深める方がよっぽど自国の為になるからだ。

 そして数週を待たず早々に新王が立っても国間の関係は変わらなかったから、やはりあの時の方針は間違っていなかったと確信した。


 しかし新王即位から三ヶ月。隣国クローデン王国の情勢が一気に変わった。

 旧王派と新王派が争い内乱が起きたのだ。

 すぐに旧王派と新王派共に、『我らこそ正義、共闘を願いたい』と言う打診があったが、どちらが勝つとも知れない戦いでもあり、またこの時点では対岸の火事ゆえにライヘンベルガー王国は静観した。



 内乱が三ヶ月目に入った頃、荒れ始めた国に耐えかねた民が山を越えてライヘンベルガー王国に避難してくるようになった。つまり避難民である。

 最初の頃は近隣の領主の裁量で受け入れていたが、すぐに難民の数は一領主の裁量を超える人数に及んだ。

 その後ライヘンベルガー王国が行ったのは、山を越えようとする民を槍で突き返すと言うもっとも非難されるべき行為であった。


 さらに一年。ついに内乱が終わった。

 勝利したのは旧王派だ。

 しかしここでこの内乱の一番の問題が発覚する。彼らは旧王派と言いながら旧王の血族を誰も持っていなかったのだ。

 ただしそれは新王が即位した時に、己の血族を全て殺したから止む無しと言う事情があったからだが……

 内乱が終わって持ち上がった問題が誰が〝新たな王となるか?〟だ。

 もはや旧王族の血族が居ないのだから誰もに権利がある。こうしてクローデン王国は長い歴史を終えてその名を失い、旧クローデン王国の領土は戦乱の時代に入った。


 内乱から戦争に変わって二年ほど経った頃。ライヘンベルガー王国は、隣国を─ただしすでに国と呼べる存在ではなかったが─山猿と呼び馬鹿にするようになっていた。

 やれ山猿がどこを攻めただの、山猿のボス争いが西にも飛び火しただのと、完全に馬鹿にする発言ばかりだった。


 しかしさらに一年。戦上手な傑物が現れると隣国は一気に平定された。そして誕生した新たな国は自らをイスターツ帝国と名乗った。


 新参者のイスターツ帝国は一応は勝利したが、まだクローデン王国の国土を全て掌握してはいない。

 いまならば国力の差は歴然。さらに言うならば歴史あるライヘンベルガー王国が、新参のイスターツ帝国に先に挨拶をするなどあり得ない。

 ゆえにライヘンベルガー王国は、使者でもないただの伝令に『以前と変わらぬ立場を期待する』とだけ書いた手紙を持たせて送った。

 後はお前が訪ねて来いと言う意味を込めて……



 イスターツ帝国を勝利に導いた英傑は、その才覚をさらに発揮する。

 ほんの一年で旧クローデン王国の領土を全て掌握したかと思えば、その西にある隣国にまで攻めのぼった。

 なお戦端を開いた理由は、かの国が新王派に組したからだと言う事であった。

 イスターツ帝国は再び戦争の時代に入ったが、たったの二年で西部の国が二つ滅び、イスターツ帝国と名を変えた。


 さてこの時点でライヘンベルガー王国とイスターツ帝国の国土の差は、ほぼ二倍になっていた。

 ライヘンベルガー王国は即時に会議を開き、今後の国の方針を話し合った。

「イスターツは我が国に攻めてくるであろうか?」

「内乱から戦争、さらに西部へ侵攻。帝国の地は荒れています。これからは国政に力を入れる時でしょう。ですからその可能性は低いと思います」

「しかし明確な条約が結ばれている訳ではなかろう?」

「そうは言うがな、山猿相手に歴史ある我が国が、先に和平の使者を出すと言うのはどうだろう」

「しかし遅れれば奴ら攻めてくるやもしれませんぞ?」

「はははっ山猿は戦争だけは上手いからな。あの山も越えてくるかもしれんな」

「国議の最中に笑うなど真剣みが足りんわ!」

「なにを! お前たちこそ先日まで山猿と言って笑っておったではないか!

 あちらの国土が広がったからとすぐに態度を変えるのか!?」

「おい若いの、血気盛んなのは構わんが建設的な意見を言えないのなら退席せよ」

 年配の貴族から窘められて若い貴族二人は謝罪して浮かせた腰を再び席に戻した。


 五日ほどの白熱した会議の結果、しぶしぶではあるがライヘンベルガー王国はこちらから使者を立てることに決めた。




 ライヘンベルガー王国の使者は、その日初めてイスターツ帝国皇帝ヘクトールを見た。体は一回り大きく頑強で鋭い目に獅子の様な金髪。

 目の前に立つとその威圧感にあてられて体が勝手に震える。まるで本能がこの男には勝てないと言っているような感覚を味わった。

 戦上手と聞いていたがこれほどとは……

「ライヘンベルガー王国の使者であったな。

 戦後の処理で忙しく我の方から打診が出来ずに悪かった」

 その威圧感とは裏腹に、ヘクトールの言葉はとても好意的であった。

 これならば良い条件で終えられそうだなと外交官は密かに胸を撫で下ろした。

「皇帝陛下におきましては、イスターツ帝国の建国をお祝いいたします。

 我が国の国王陛下よりのお言葉をお伝えいたします。皇帝陛下には今後も変わらぬ国交をお願いしたいと申しておりました」

「使者よ。一つ聞いて良いか?」

「はっなんでございましょうか」

「今後も変わらぬと言うが、それは何の話だ?

 我が帝国は建国して間もない。ゆえにそなたの国と国交を交わした覚えがないのだが、俺の間違いだったか?」

「これは大変失礼しました。

 今は亡きクローデン王国と変わらぬと言うのは失礼だと思いまして、その様な言い回しになりました。重ねてお詫びいたします」

「ほおクローデン王国と変わらぬか……

 ライヘンベルガー王国は我らの前身である旧王派に組しなかったと記憶している。つまり困っても手を貸さぬ他人と言う意味であろうか?

 それとも……、逃げる民を槍で突き返す非道な行いの方であろうか?」

 外交官は絶句した。

 眼前の玉座に座るヘクトールの眼が爛々と光り、己を睨みつけていたのだ。

「どうしたなぜ黙る。口が不便ならば使者の役目など果たせまい。

 それとも何か、ライヘンベルガー王国は我が帝国とは話す価値無しとして、そなたの様な口が不便な使者をあえて寄越したのかな?」

「め、滅相もございません。

 祖国に帰り、先ほどの事を間違いなくお伝えします。その後にもう一度改めてお伺いしたいと思っております」

 汗をダラダラと流しながらなんとかそう言った。

 彼は言わなければ殺されると錯覚するほどの殺気に当てられていたのだ。

「ふん良かろう。次はもっと良い話を持ってまいれ」

 外交官は這う這うの体で逃げ帰った。



 再びライヘンベルガー王国の宮廷は紛糾していた。

 なんせ持ち帰ったのは戦争も辞さぬぞと臭わせるような発言だ。山を盾に護れば負けることは無かろうが、それはクローデン王国の頃の話だ。

 そもそも長い間平和にかまけていた我が国と、先日まで戦続きだったイスターツ帝国では兵の質が違うだろう。

 それに加えて相手の国土は二倍。

 その二倍がとても問題で、もう一歩だけ先に進めばライヘンベルガー王国とイスターツ帝国の領土は西部で交わる。

 山があっても怪しいのに、それが無い西部から攻められればきっと国が滅ぶ。


「友好を示す為には贈り物を出すしかありません」

「して贈り物はなんとする?」

「鉄が一番喜ぶでしょう」

 戦争の後は武器に使われた鉄が不足する。送れば間違いなく喜ばれるだろう。

「ハッ馬鹿な事を。鉄を贈ればその鉄で武器を作り、我が国を攻めてくるぞ」

「しかし他に何が贈れましょう?」

 勿論金銀などは贈るつもりだが、かさはなく見栄えが悪い。それよりも数と量で見た目を圧倒する様な物が望ましい。

「ならば食糧でどうだ」

「帝国の国土は二倍ですぞ。いったい如何ほどを贈るのですか?」

 もとより帝国の民の分を出すのは不可能だし、帝都の分でさえも正直怪しかろう。


「どうか陛下におひとつお願いしたいことがございます」

 ここで口を開いたのは、先日ヘクトールと会見した外交官であった。

「申せ」

「皇帝のヘクトールは二十台前半の若者でした。

 玉座に一人座っておりましたので、どうやら結婚はしていない様子。そこで陛下にお願いがございます」

「予の娘を出せと申すか」

「ご明察恐れ入ります」

 ライヘンベルガー王国の国王には三人の娘が居た。

 ヘクトールの年齢を考えれば長女のマリアナが二十歳で最も良い。しかし王には息子が居ないから、マリアナは将来の王を娶る義務があるので出すわけにはいかない。だが次女と三女ならば十分に可能だ。

「二十台前半となれば、次女のアニータであろうな」

 次女のアニータの年齢は十八歳。そして三女のレティーツィアは今年の誕生日を迎えれば成人の十六歳になるが、今は十五歳である。成人女性と未成年、どちらがより釣り合うかなど問うまでもない。

「姫様には申し訳ないのですが、是非ともご決断下さい」

「よい。娘も分かっておろう。我が娘と馬車十両分の食糧とする。よいな」

「ありがとうございます。次こそ必ずまとめて参ります!」

 ライヘンベルガー王国の方針は決まった。


 それから二ヶ月後、ライヘンベルガー王国の姫はイスターツ帝国に嫁いで行った。

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