第25話 お正月
――三都美は純白のドレスを着たまま、夜の街を駆け抜ける。
『昌高が大変なことになっている』と、智樹から連絡を受けたからだ。
三都美は昌高の安否を気遣いながら、町外れの公園へと向かう。
「大丈夫だよね……昌高クン」
その願いも空しく、三都美が到着するなり目にしたのは、ボロ雑巾のような姿で転がる昌高の姿。三都美は両手で顔を覆って泣き崩れた。
「昌高クン、昌高クン……」
すぐそこに昌高がいるというのに、三都美は駆け寄ることができない。なぜなら二十人以上の男たちが、三都美を取り囲んで阻んでいるからだ。
そしてその円陣の一角が開き、一人の男がその輪の中へと入ってくる。
「智樹クン……なの?」
「あいつを助けたいか? 助けたいよなぁ、そのために来たんだもんな」
「どういうこと? キミが昌高クンをこんな目に遭わせたの? 一体どうして?」
智樹に向かって、強い口調で矢継ぎ早に質問をする三都美。
けれども智樹はそれを、鼻を鳴らして一笑に付す。
「ふん、簡単な話だよ。取引するためさ。なぁ三都美、俺の女になれ。そうしたらあいつは助けてやる」
「そんな……」
「ちなみに、返事はイエス以外認めないぜ。お前がイエスっていうまで、あいつはあのままだ。この寒空の下で手当てもなしに、いつまで生きていられるかな?」
「…………ひどい……」
強引に昌高の元へ駆け寄ろうとする三都美。
けれどもその腕を、智樹が掴んで引き戻す。
「まだ返事を聞かせてもらってないぞ。イエスだよな? さぁ、早く言え」
選択肢なんてない。一つしかない返事を、力尽くで言わされるのは屈辱的だ。
けれどもこの状況では、それを甘んじて受けるしかない。三都美は悔しさに唇を噛み締め、そして返事のために口を開いた。
「…………イ……」
「ノーだ!」
三都美の返事をかき消す否定の言葉。と同時に、今まで微動だにしなかった昌高の腕がピクリと動いた。その手のひらを地面につけ、ゆっくりと上体を起こし始める昌高。さらに右足の裏を地面について、片膝を立てる。
けれども、起こした顔は頭から流れる血で真っ赤に染まり、身体中も傷だらけ、意識も朦朧としているようでふらついている。まさに満身創痍だ。
昌高は唇についた血を右腕で拭うと、腑に落ちなかった疑問を智樹にぶつけた。
「ここへの呼び出しの手紙は、お前の謀略か」
「謀略? お前が勝手に引っかかっただけだろう。あの手紙は正真正銘、三都美が書いたものだ。もっとも、俺は字が汚いから代筆を頼むって言って書いてもらったものだけどな」
「あの時の手紙!? あれのせいで、昌高クンはこんな目に……。ごめんなさい、ごめんなさい、あたしのせいだ。昌高クン、ごめんなさい……」
「俺の方こそ許してくれ。ほんの一瞬でも樫井さんに疑いの目を向けちまった。こんなクズの罠に引っかかった俺の方が悪いんだ、ごめんな」
昌高はニヤリと三都美に笑いかけながら、ゆっくりと立ち上がる。けれどもその身体はあまりにも痛々しい。そして、今にも崩れ落ちそうだ。
その姿を見て智樹は、昌高を嘲り笑う。
「ズタボロじゃねーか、昌高よぉ。ここにいる奴らに歯が立たなかったお前が、今さら立ち上がったところで傷が増えるだけだぜ。いや、それだけで済めばいいけどな」
昌高はふらついているが、その目は死んでいない。凍りつくほどの冷たい視線を智樹に突き刺し、怒りを押し殺した震え声を叩きつける。
「歯が立たなかった? そうじゃない。こいつらが、俺を痛めつける理由を知るためさ。そして案の定、真の黒幕がお出ましになったってわけだ。なぁ智樹、この借りをそっくり返しても恨みはしねえよな?」
「つ、強がりもいい加減にしろ。その傷だらけの身体で、二十人以上を相手にして勝てるわけがない。それにこっちには三都美だっているんだぞ」
そう言って、三都美の細い腕を智樹が再び掴む。それを見た昌高は豹変した。
髪の毛は逆立ち、力を籠めることで筋肉が肥大して身体を一回り大きく見せる。
そして今度は、燃え盛るほどに熱い炎をその目に宿すと、昌高は百獣の王のごとく猛々しく吼えた。
「その薄汚い手を放せ、クソ野郎!」
「ふ、ふん。三都美を取り戻したいのなら、こいつらを倒してからもう一度吼えてみやがれってんだ」
昌高は智樹に挑みかかる。しかし二十人以上の人垣が素早く移動して、その前に立ち塞がった。どうやら彼らを倒さないことには、智樹には辿り着けないらしい。
「貴様、他人を盾に使いやがって……。待ってろよ、三都美。すぐに全部片づけてお前を取り戻してやる――」
『前回のクリスマスのお話の続きだね、もう新年だけど。まさかあたしへのクリスマスプレゼントも、ちゃんとお話につながってたなんて思いもしなかったよ』
きっとこの小説の行方は、キミが智樹を倒してあたしと結ばれるんだよね。
ちょっとお話はくさすぎるけど、とにかく主人公が魅力的になったよ。最初の頃に比べたらすっごい進歩だ。
だけど未だにあたしがドレス姿なのは、ちょっと動きにくくて不便かな……。
「ちゃんと内容についてコメントしてくださいよ」
『さすがに展開が熱くなったせいか、文字数多いね。でも、エッチでスケベで変態だっただけの主人公が、だいぶかっこよくなったじゃない』
あたしはこういうお話が大好き。ヒーローに救われるヒロインって憧れるな……。
ちょっと前のあたしだったら、配役にケチをつけたかもしれない。でも今は小説の通りに、キミは智樹に負けないで欲しいって本気で思うよ。
「そりゃどうも。現実の主人公の心の中は、未だにボロ雑巾のままですけどね」
『めげない、めげない。でも、展開がちょっとくさいかなー』
「そうですか。まぁ、推敲は帰ってからやるとして、初詣に行きますよ」
地元の神社は人出もそこそこ。寂しくもなく、かといって参拝する気が失せるほど混雑もしていない。参道には露店が並んで、一年の始まりを楽しく演出する。
この世界のものを食べられないあたしには、まったく意味のないものだけど……。
『なにを願掛けするの?』
(そりゃぁ、樫井さんと結ばれるようにですよ。今さら諦められませんからね)
本殿に向かって参拝。キミは賽銭箱に五円玉を二枚放り込んだ。
『どうして二枚? ひょっとして、重ねてご縁が……とかの縁起担ぎ?』
(いや、一枚はミトンの分ですよ。何か願掛けしたいんじゃないかと思って)
『えっ、あたしの分だったの? そ、そうかぁ、それならせっかくだし、あたしもお祈りさせてもらおうかな、ははは』
さりげなくあたしのことも気遣って、お賽銭を二人分入れてくれたなんて……。キミのその優しさに、あたしはちょっと胸がときめく。
あたしもキミのすぐ横に並んで手を合わせ、二人で年初の祈りを捧げた。
(ミトンは何をお願いしたんです?)
『あ、あたし? あたしは……もちろんキミの恋愛が上手くいくようにだよ』
(本当ですか? 怪しいな)
『キミと三都美が付き合えれば……ほら、それはつまり小説のハッピーエンドってことでしょ。結果的にあたしも幸せになるわけだからね』
あたしは咄嗟にキミに嘘をついてしまった。
だけどプライベートな願い事なんて言えるわけがないじゃない。しつこく聞いてくるなんてデリカシーがなさすぎるよ。
ちょっとだけ後ろめたいあたしは、キミから目を逸らす。
するとその視界の先に、三都美と智樹が一緒にいるところが目に入った。
『それよりもあそこ、見て』
(正月早々デートか……。しかも、樫井さんは振袖まで着てるや)
しばらく遠目で様子をうかがうと、なにやら怪しげな雰囲気になってきた。
軽く口論をしたかと思うと智樹は三都美の手を強く引いて、強引に人気のない方へと分け入っていく。
どうしようかとあたしがキミを見つめると、キミもあたしを見つめてきた。そして二人は、会話も交わさず互いにうなずく。
どうやら考えたことは一緒。コッソリと二人の後をつけることになった。
『神社の裏手まで連れてくるなんて、いったい何が始まっちゃうんだろ。まさか、あんなことやこんなことが……キャー』
(そんな場面を見せつけられたら、一生消えないトラウマになっちゃいますよ)
林の中の少し立派な樹の前に三都美を立たせると、智樹はその樹に手を突いて何か話しかけている様子。壁ドンならぬ樹ドンだ。
そのままドキドキしながらあたしが眺めていると、三都美は顔を伏せてその場を去りかける。けれどその腕を掴んで、智樹は再び三都美を樹に押し付けた。
そのまま智樹は、三都美に顔を寄せていく……。
『ねぇ、どうしよう。あれってキスしようとしてるよね?』
逃げ場のない三都美は、顔を背けて智樹に抗った。
けれどそんなささやかな抵抗なんてなかったように、智樹は三都美の顎を掴んで強引に自分に顔を向けさせる。
『このままだとキスしちゃうよ、あの二人。ねぇ、ねぇってば』
あたしは二人から目を離すことができない。
だけどキミは沈黙したままで、あたしの声に応答なし。
さすがに耐え切れなくなったあたしが振り返ると、そこにキミの姿はなかった。
「――や、やめろよ、嫌がってるじゃないか」
キミのいつもの線の細い声が、あたしの背後から聞こえてくる。
慌てて二人の方を振り返るとそこには、三都美と智樹の間に身体を捻じ込もうと奮闘しているキミがいた。
けれど悲しいことに、キミは非力。キミは三都美から智樹を引き剥がすこともできずに、そのまま払い飛ばされて顔面から地面に身体を滑らせた。
「邪魔すんなよ。いいところなんだから」
キミの存在なんて無かったように、智樹は再び三都美にキスを迫る。
身体を起こしたキミは土まみれの服をはたきもせずに、そのまま智樹に体当たりを食らわせた。
けれど悲しいことに、キミの攻撃は智樹になんのダメージも与えられない。逆に掴みかかったキミの腹に、智樹の容赦ない膝蹴りがめり込んだ。
見事にみぞおちに決まった膝蹴り。キミは息が詰まったらしく、苦しそうに地面に膝を突く。
今度はその背中へ、智樹は両手を握り合わせてハンマーのように振り下ろした。
智樹に激しく背中を打ち付けられたキミは呼吸は戻ったものの、今度はさっき露店で食べたものを全て地面にぶちまけた。
『ちょっとぉ、やめてあげてよ……』
あたしは飛び出して、キミの元に駆け寄る。けれどあたしは、間に入ってかばうことも、キミを介抱してあげることもできない。
何の影響も与えられないあたしは、キミが痛めつけられる様子を黙って見つめることしかできなかった。
「樫井さん……逃げて……」
「でも、あたし……」
なんで逃げてくれないの?
切羽詰まると、思った通りの行動がとれないのはあたしの悪い癖。だけどせっかくキミがチャンスを作ってくれたのに、呆然と立ち尽くしてその場に留まった三都美が、あたしには信じられなかった。
「いい加減にしろよ、昌高。三都美は俺に惚れてんだ。だから、てめえの言うことなんか聞かねえよ」
そう言って智樹は、キミの背中を何度も踏みつける。
キミは四つん這いの体勢でなんとか身体を支えていたけれど、やがて屈するように力尽きる。キミは自らの吐瀉物の中に顔を埋めることとなった。
そんなキミの後頭部に智樹は足をかけ、さらにグリグリと地面に捻じつける。
「ハハハ、汚ったねぇ。こんな奴、放っておいて行こうぜ、三都美」
キミの姿を見下ろして、罵声を浴びせる智樹。キミを充分痛めつけて気が済んだのか、智樹は三都美の腕を掴んで、立ち去ろうとした。
けれど三都美は、足を踏ん張ってそれを拒む。
「いや……。放して……」
「あん? いいから来い!」
とはいえ拒んだところで、三都美と智樹じゃ力の差は歴然。いくら三都美が腕を振りほどこうと試みても、智樹はその手を離さない。
そして智樹が力任せに引き寄せれば、踏ん張る三都美の身体も簡単に引きずられていく。
そんな智樹の足に、何かがまとわりついた。
「その薄汚い手を放せ、クソ野郎……」
それは地べたに這いつくばりながら、智樹の足首を掴むキミの手だった。
智樹は足を振って引き剥がそうとしたけれど、今度は靴紐に指をかけてキミはそれを阻止する。
繰り返し智樹が足を振り回しても、まとわりついて離れないキミの手。智樹が反対の足でその手を踏みつけても、決してキミは離すことはなかった。
険しさを増す智樹の態度に、より一層怯える三都美。その表情には、智樹に対する嫌悪感がハッキリと浮かんでいる。
そんな態度に白けてしまったのか、智樹は掴んでいた三都美の手を離した。
「あぁ、もう、やめた、やめた、こんな面倒くせぇ女。キスどころか、ろくに手も繋がせねえなんて、清純ぶるのもいい加減にしろってんだよ」
とうとう諦めた智樹は、捨て台詞を吐いて立ち去る。
ずっと見守るだけだったあたしは、キミの行動に感動して隣に寄り添った……。
平穏を取り戻した神社の裏手。キミは泥だらけ、吐瀉物まみれのひどい姿でなんとか立ち上がる。そして三都美の無事を確認すると、ホッと安堵のため息を漏らした。
そんなキミに、三都美が恐る恐る声をかける。
「ひょっとして……覗いてたの? あたしたちを」
「いや、誤解。それ誤解……とも言い切れないか」
「ひどい、ひどいよ……」
三都美は一筋の涙を流し、そのままその場を去って行った。
キミは力なく膝を折る。けれどさほど悲壮感はなくて、むしろ満足そうな笑みを浮かべた。
『あたしはあんなこと言ったけど、絶対本心じゃないからね。絶対、絶対、本心じゃないからね』
「どうなんだろ。ひょっとしたら僕は、二人がじゃれ合ってるところを邪魔しただけだったのかもしれないですよ」
そう言ってキミは自嘲気味に笑う。
けれども一部始終を見届けたあたしは、自信を持ってキミを誇りに思う。
そしてキミの無様な姿は、かっこよく立ち回ってみせたキミの小説の主人公より、何十倍も、何百倍もあたしの心を揺り動かした。
『そんなことない! あたしのことを、こんなになりながらも助けてくれてありがとうね。本当にありがとうね。あたしとっても感動したよ。キミは、すごくかっこいいあたしのヒーローだったよ』
あたしは涙で顔をくしゃくしゃにしながら、決して触れることのできないキミの身体にすがりついた……。
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