第17話 文化祭

 ――我が校の文化祭には伝説がある。

 二人で手を繋いで、後夜祭のキャンプファイヤーを見つめると結ばれるという。

 そんなものは迷信だとわかっていながらも、昌高は三都美に手を差し出した。


「あの……手を繋いでもらっても、いいかな?」

「ええ、喜んで」


 嬉しそうな笑みを浮かべて、昌高の手を取る三都美。

 そのまま二人は、いつまでも互いの手を握りしめていた……。




『いつからキミは、そんなロマンチストになったの?』

「こんな噂話は、どこの学校にも転がってますからね」

『でも、伝説とかジンクスとかって憧れますよね。その手を差し出す相手を、私にしませんか? きっと私なら、喜んで握り返してくれると思いますよ、昌高さん』


 すかさず自分を売り込んでくるリコ。油断も隙もない。

 今日はついに文化祭初日。そして文化祭は二日間。早起きしてまで出がけにこんな小説を書くなんて、キミは相当気合が入ってるに違いない。

 今日のキミはジャージに身を包むと、念入りにホコリを払い落とした制服をカバンに詰めて、勇ましい足取りで学校へと向かった。



『せっかく笑い飛ばしてあげようと思ったのに……。思ったよりも違和感がないね』

『特別可愛いとも言えないですし、なんて言ったらいいのか……』

(悪かったね、中途半端で)


 学校に着くなり三都美と制服を交換すると、キミは更衣室でさっそくそれに身を包んだ。その印象は、こんな女子なら居てもおかしくないって感じ。

 しかも、剃ったわけでもないのに脛はツルツル。からかうことも出来ず、かと言って褒めるようなところもなく……。ごめん、感想の言いようがない。


 キミのクラスの男子たちは、恥ずかしい女装姿を見られないようにコッソリと、更衣室から教室へと戻っていく。キミもそこに混ざっていたけれど、待ち構えていた三都美に呼び止められた。

 文化祭では使用しない無人の教室に、三都美に誘われるままに入るキミ。そして椅子に腰掛けさせられると、キミは正面の三都美にじっと見つめられる。


「ねぇ、キミ。ちょっとの間、目を閉じててくれる?」


 あたしにまで鼓動が聞こえてきそうなほど、キミは胸を高鳴らせる。さらに身体は緊張でカチンコチン。そしてキミは、コッソリ薄目を開けていないことを証明するかのように、顔中をシワだらけにしながらきつく目を閉じた。

 伸ばされた三都美の手が、そっとキミの頬にあてがわれる。

 キミは緊張で、さらに表情を強張らせた。

 そんなキミの顔に三都美は顔を寄せると、優しい声でそっと囁く。


「ねぇ……。そんなに怖い顔してたら、メークできないよ」


 そこから先は手際のいい三都美。さすがに女子高生ともなれば、最低限の知識は持ち合わせている。

 最後の仕上げはリップ。かわいいピンク色のリップスティックをひねり出すと、ブラシに取って丁寧に塗り上げていく。


「このメーク道具って、普段樫井さんが使ってる奴です?」

「あー、しゃべったらはみ出しちゃうよ」

「ご、ごめんなさい」

「うん、あたしのだよ。普段ってほどは使ってないけどね。もっとどぎつい色の方が面白かったかな? 持ってなくてごめんね」


 三都美の言葉を聞いたキミは、みるみるうちに浮かれていくのがハッキリとわかる。そして今や、大空を駆け巡りそうなほどに心は羽ばたき始めた。

 まぁ、キミが考えてることなんて、大体想像がつくけどね……。


(こ、これって、アレですよね)

『どれよ……って言いたいところだけど、アレだね。間接キスってやつだね』

(もう死んでもいいかもしれない……)

『死んだらダメですよ。昌高さん』


 メークを終えたキミは、三都美と共に教室へと戻っていく。

 その足取りの軽さは、まるでスキップでもしているかのよう。後ろから見ると、かなり変だよ?

 そして三都美が教室の戸をガラリと開けると、そこには智樹が待ち構えていた。


「ただいま。さっき智樹クンに塗ってあげたリップを、那珂根クンにも塗ってみたんだけど、どうかな?」

『キミの間接キスの相手って、智樹クンだったね……』


 キミの心は有頂天から一転、翼をもがれて奈落の底へと叩きつけられた……。



 初日は何事もなく、文化祭は二日目。午前のシフトはまるで仕組まれたかのように、キミと三都美と智樹が三人揃ってホール担当になっていた。

 まだ時間が早いせいか、出し物の店内は客もまばら。キミはあくびをしながら、スタッフエリアでぼんやりとしている。


(退屈ですね……)

『そう思うなら、あたしの気を引いてきなよ。昨日は何もできなかったでしょ?』

(でも、樫井さんの制服を着てるってだけで、もう感無量で……)

『昌高さんって、無欲なのか貪欲なのかよくわからないですよね』


 そこへ、いかにもガラの悪そうな客が来店した。

 見た感じ二十代中頃、短髪で顔や身体のあちこちにピアスやタトゥも見える。目つきは鋭く、厳つい顔は常に不満げ。そしてクチャクチャとガムを噛んでいる。

 その客は偉そうな態度で席に着くと、三都美を狙ったように呼びつける。そして、注文を取ろうとする三都美に絡んだ。


「へぇ、可愛い店員がいるじゃねえか。ちょっと、そこに座れよ」

「すみませんが、そういうお店じゃないので。ご注文がないのでしたら、お帰りいただけますか?」

「おお、勇ましいな。でもその制服を着てるってこたぁ、男なんだよな? じゃぁ男同士、仲良くしようぜ」


 そう言って立ち上がった客は、馴れ馴れしく三都美の肩を掴む。

 最初は毅然とした態度で接した三都美。けれども体格のいい男に凄まれたら、さすがに太刀打ちできない。

 徐々に怯え始めた三都美は、客を睨んでいた目から力を失っていく。


『ねえ、ひょっとしてあれ、キミが雇ったの? まるでキミの小説じゃない』

(そんなわけないでしょ、本物ですよ。どうしよう、先生を呼びに行った方が……)

『なに言ってんの。むしろキミが憧れてるヒーローになる絶好のチャンスじゃない。小説みたいに、ガツンとやっちゃいなよ』


 こうしてる間も三都美は大声で怒鳴られ、身を縮めている。

 そして三都美が腕を掴まれ、外に連れ出されそうになるのを見て、やっとキミも決心がついたらしい。顔を青ざめさせて少し震えながらも、気合を入れてその足を踏み出した。


(い、行ってきます……)

『がんばれ!』

『気を付けてくださいね、昌高さん』

「おい、コラ! てめえ、うちの店員に何してんだ。怖がってんだろ? 表出ろや」


 胸のすくような、歯切れのいい啖呵。

 勇ましく、頼もしい大声を張り上げて、迷惑な客を恫喝してみせる。

 胸倉を掴んで、その悪人面を睨みつけたのは智樹だった。


(ただいま戻りました)

『ほらぁ、モタモタしてるから、また先を越されちゃったじゃないの』

『でも、怪我がなくて良かったですよ』


 すぐさま踵を返して戻ってきたキミ。せめて智樹と一緒になって、声を荒げておけば良かったのに……。

 一度引き返してしまったキミは、もう傍観者に徹するしかない。

 智樹は女子の制服でスカートを翻しながら、客を掴んだ胸倉を手繰り寄せると、額を押し当てて睨みつける。智樹は三都美のメークが上手だったのか、思った以上に美人。睨みつけられている客が嬉しそうな顔をしているのは、気のせいとは思えない。


「てめぇ、こっち来い!」


 智樹は再度声を張り上げると、客を掴んで教室の外へと連れ出していく。客の方も、智樹に素直に従っているように見えるのは気のせい?

 ひょっとしたらあたしは、目の前でボーイズラブの始まる瞬間を目撃してしまったのかもしれない……。


「カッコよかったね、智樹君」

「すごーい、頼もしかった」

「やっぱ、あいつすげーな」


 智樹と客が教室から姿を消すと、一斉に始まる噂話。もちろん褒め言葉ばかり。

 そして三都美も、智樹が去った教室の出口を眺めたまま、ウットリとした表情を浮かべ続けている。


『完全に惚れ直しちゃったよね、あれ』


 キミはまた一歩、智樹に差をつけられちゃったみたいだね……。



 結局二日間のチャンスがあったキミの文化祭は、三都美との仲を全然進展させられずに終わってしまった。そして日も暮れ果てると、校庭に組み上げられた木材に火が灯されて後夜祭が始まる。


『わぁ、すごい。私、ちょっと見てきますね』


 校庭の中央で、鮮やかに燃え盛るキャンプファイヤー。リコは間近で見るために駆け出して行った。

 失望の余韻に浸ったままのキミは、人目から逃れるように遠く校庭の片隅で、膝を抱えて揺らめく炎を見つめる。

 その視線の先には三都美と智樹の姿。二人は仲良く手をつないでいた。


『まぁ、今日ばかりは仕方ないよね』

(あの小説に書いた後夜祭の伝説って、うちの高校の伝統なんですよ。信憑性が高いって評判なんです)

『でもそれってさ、手をつないでキャンプファイヤーを見たから付き合えるんじゃないと思うよ。そういう伝説があることをお互いに知っていながら、拒むことなく手をつないだ時点でカップルの誕生なんだよ、きっと』

(あの……、全然慰めになってないんですけど……)


 キミはそのまま、自分の膝に顔を埋めてしまった。泣き出しちゃったのかな……。

 心の声までもが震えている。余計なこと言わないで、黙ってた方が良かったね。ごめんね、あたし口下手で。こんな時に気の利いたセリフも言ってあげられない。


『キミはあたしに慰めてもらいたかったのかな? しょうがない、それならあたしがキミと手をつないであげるよ』

(でも……ミトンは、すり抜けちゃうじゃないですか)

『気分だよ、気分。身代わりってわけじゃないけど、気休めぐらいにはなるでしょ。ほら、手を出して』


 あたしは差し出されたキミの手に、そっと自分の手を重ねた……。

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