第6話 俺のラブコメはこれからだ

 ――昌高は……。


 キミは家に帰ると、部屋に閉じこもってパソコンに向かったまま。そのくせ、書かれた小説の続きはたった三文字だけ。母親からの食事の呼びかけも、キミは即座に拒絶した。

 頬杖をついては大きくため息をつくばかりで、キミは目も虚ろ。とてもじゃないけど、あたしが声をかけられる雰囲気じゃない。とはいっても、このまま黙って見ているわけにもいかないよね。

 ここはあたしの方から謝って、会話のきっかけを作ってみるか……。


『今日は……ごめんね。あたしのせいで、あんなに嫌な思いさせちゃって』

「いいですよ、もう」

『良くないよ。だってキミ、こんなに落ち込んでるじゃない』

「そりゃ、落ち込みますよ。よし、やるぞって決心したのに、ちゃっかり美味しいところを智樹に持っていかれたみたいで……」


 あたしの方を向かずに言い放ったキミの言葉は、やっぱり他人のせい。

 けしかけた罪悪感はあるけれど、キミの後ろ向きな態度に我慢ができなかったあたしは、きっぱりと言ってやることにした。


『でもそれを言ったら、キミがもっと早く決断していれば即決だったんだよ?』

「どうですかね? ひょっとしたら智樹は、僕が手を上げたのを見て立候補したのかもしれませんよ」

『どうしてそう思うの? 何か思い当たる節でもあるの?』

「言ったじゃないですか、あいつは事あるたびに嫌がらせをしてくるって。きっと今回も、僕がクラス委員に立候補したのを見て邪魔したんですよ。そうに決まってる」


 キミはまたそんなこと言うけど、あたしにはどう見ても被害妄想としか思えない。

 だって、智樹クンがキミに嫌がらせする意味なんてなくない?

 あたしから見れば智樹クンとキミとじゃ、第一印象は雲泥の差。身も蓋もない言い方になっちゃうけど、キミが彼に構ってもらえるのが不思議なぐらいだよ。

 だけどそんなことよりも、今一番大事なのはキミを立ち直らせること。キミが筆を進めてくれないことには、いつまで経ってもあたしの未来が開けない。

 だけど、どう励ましていいものやら……。


『でも……残念だったよね。もう少しで、彼女と一緒にクラス委員ができたのに』

「残念っていうのは、惜しかったときの言葉ですよ」

『でも、立候補しただけでも立派だったと思うよ。うん、大きな進歩だ』

「その結果が、一票しかもらえない現実を突きつけられただけでしたね。結局、僕がクラス委員なんてやっても、誰もついてこなかったってことですよ。智樹の方が適任なんです」


 あー、もう! ほんとにイライラする。あたしの必死の励ましの言葉を、次から次へと即座に握り潰してしまうキミに。

 言葉選びが下手くそなのは認めるけど、あたしだって気を遣ったのに……。

 まったく、キミのネガティブすぎる思考にはうんざりだよ。


『あのね、キミ。そんな考えじゃ――』

「でも僕、思ったんです。僕に入ったあの一票は、ひょっとしたら樫井さんだったんじゃないかって……。そう考えてみたら、ちょっと元気が出てきました」


 そう言ってキミは笑顔を、というよりニヤケ顔を自分で勝手に取り戻した。

 あらまぁ、思ったよりもポジティブ思考。確かにそれぐらいの妄想力がなくちゃ、小説なんて書けないか……。

 でもあの時あたしは見ちゃったんだよね、三都美が智樹クンに投票をするのを。でもやっと立ち直りかけたキミに、それを告げるわけにはいかないね。

 しばらく妄想にふけっていたキミは、突然椅子をクルリと回転させて向き直ると、あたしの目をじっと見つめながら、思い詰めた様子で話しかけてきた。


「それで、あの……聞きたいことがあるんです。大事な話です」


 キミの目は真剣そのもの。その威圧感に、あたしは初めて気押された。

 普段のキミは人の目を見て話さない、たとえ相手があたしでも。そんなキミが、あたしとジッと目を合わせて向き合っているだけで、その深刻さがハッキリわかる。

 冗談でかわせる雰囲気じゃない。あたしはゴクリとつばを飲み込むと、キミの気迫に負けないように身構えた。


『何かな? 聞きたいことって』

「ミトンは、僕のことをどう思いますか?」

『どう……って?』

「だから。好意とか、そういうのですよ」


 必死な表情のキミ。ここは適当な言葉でごまかすわけにはいかない。

 あたしも真剣にキミと向かい合って、嘘偽りのない言葉を返すことにした。


『スケベ、変態、鬼畜、自己中。それから、女の敵――』

「そこまでひどい……ですか」


 キミは勝手にあたしの言葉を遮って、勝手にへこみ始めた。まだ話は終わってないんだけどな……。

 意気消沈していくキミを見てたら、あたしは同情心が湧いちゃったらしい。そっと微笑みかけながら、あたしはキミの言葉を上書きするように話を続けた。


『って、最初は思ってたけどね。今は応援してあげたい気持ちでいっぱいだよ』

「でもそれって、小説のためですよね?」

『うーん、それもあるけどね。なにより、キミの彼女への想いは本物っぽいくせに、イジイジと不器用なところが見てられなくてね。そんなところが、ちょっと可愛くも思えちゃったり?』


 ちょっとズルい気もするけれど、あたしは若干はぐらかしてキミの質問に答えた。

 キミから付き合ってくれと告白されても、即答でごめんなさいとお断りする。

 けれど、キミから恋愛相談を持ち掛けられたなら親身になって応援する……そんな感じ。だから嘘はついてない。

 するとキミは決意の表情で、あたしの目を見つめたまま顔をズイッと寄せる。あたしは思わず、息を飲んで顔を強張らせた。

 ちょっと、近いって……。

 でも、キミの表情は真面目そのもの。避けていいものか戸惑ったあたしは、結局キミとの距離に緊張感を高めたまま逃げ遅れてしまった……。


「僕は今、はっきりと実感しました!」

『実感したって、な、なにを?』

「やっぱり近くで見て、そして会話してわかったんです。ミトンは最高に可愛くて、僕が今まで出会った中でも最高の女性なんだって」

『やだなぁ……そこまで言われると、あたしだってちょっと照れちゃうよ』


 両頬に手を添えてみると、紅潮してるのがわかる。そんなに褒められたら、相手がキミでもやっぱり嬉しい。もちろん智樹クンならもっと嬉しいけど……。

 今キミに告白されたら、ちょっと考えた振りをしてからお断りするに違いない。

 即答からはずいぶんと進歩したと思う。


「なにを言ってるんですか、本物の樫井さんの話ですよ? 君は樫井さんもどきでしょ?」

『もう、紛らわしいな! あたしのことをミトンって呼ぶなら、本物の方は三都美とでも呼びなよ、まったく』

「いや、さすがに三都美は照れ臭いんで、樫井さんで」


 もどきとか言われた……。確かに本物じゃないけど。それにしたって、持ち上げておいて落とすとかひどいよ。

 そんなデリカシーのないキミは、ショックを受けたあたしに目もくれず、三都美への賛辞を語り始める。あたしだって三都美なんだけどな……。


「樫井さんは僕が思ってた通りの、とっても優しい人でした」

『え、あの二言三言だけでわかるの? 今日はあれ以外に絡んでないよね?』

「わかりますよ。僕は名乗ってないのに、樫井さんは名前で呼んでくれました。それに彼女の友達と同じように接してくれたし、とってもいい匂いがしました」

『匂いと優しさは関係ないよね? そしたらトイレの芳香剤も優しくなっちゃうよ』


 キミはあのわずかな会話で三都美の内面までを鋭く見抜いたのか、それともただの恋は盲目っていうやつなのか……。まぁ、後者だろうね。

 そしてキミはあたしの言葉なんて聞こえてない様子で、鼻息を荒げて決意表明を始めた。


「だから僕は決めました! 僕は絶対に樫井さんと付き合いたいです。ミトンは僕みたいなタイプは好きにならないって言ったけど、どんなことをしてでも振り向かせたいんです。ミトン、僕に力を貸してください」

『お願いしますは?』

「お願いします!」

『よし、よし、いい子、いい子』


 やっとキミの本気の言葉を聞くことができたよ。

 あたしへの冷遇は不愉快だけど、キミの心境の変化は素直に大歓迎だ。ちょっと嬉しくなったあたしは、キミの頭を撫で回す。実際には触れないけど……。


「そこでさっそく、相談なんですけど」

『なにかな?』

「これを言えば僕のことを好きになってくれて、あわよくば彼女になってくれるような言葉を教えてください」

『だから、そういうところやぞ!』


 思わずあたしはキミの頭をはたく。しかしその手はキミの身体をすり抜けて、ただの素振りに終わった。久しぶり。

 やっぱりキミに告白されても、即断即決でごめんなさいだ。呆れたあたしは、さっそく説教を始める。ついさっきキミに向けた、喜ばしい気持ちを返してよ……。


『あたしはキミの中で、どんだけチョロい女だと思われてるのかな? そんな都合のいい言葉があるわけないでしょ』

「でも、ミトンならわかりますよね? 樫井さんと思考が一緒だって言ってたし」

『あのね……。いくらあたしが彼女をモデルに生まれた存在だからって、心が連動してるわけじゃないの。それに同じ言葉だって、言われた時の気分で反応は変わるでしょ? だから、そんな魔法の呪文なんて存在しないの』

「役立たず……」


 ぼそりと一言、キミの辛辣な言葉。あたしは一気に頭に血が上る。


『ムキー! 人の心がそんなに簡単に掴めるわけないでしょ。キミはとびっきりのイケメンでもなんでもないんだよ?』

「それぐらい自覚してますよ」

『だから少しずつ、コツコツと好印象を与えていくしかないの。その代わり、あたしもキミの隣でしっかりアドバイスしてあげるから、一緒に頑張ろ?』

「わかりました。よろしくお願いします」


 憎まれ口を叩いたかと思えば、今度は殊勝にぺこりと頭を下げてみせる。

 まったく、キミのせいであたしの感情は振り回されっぱなしだよ……。

 気が弱いキミにはイライラさせられまくりだけど、三都美への想いも一途で本物みたいだし、実はとってもいい人なのかもね……。

 あたしがそう思った矢先、キミは気の早い願望をつぶやく。


「僕がもしも彼氏になれたなら、樫井さんは見せてくれるかなぁ……」

『ん? 何を?』

「言えるわけないじゃないですか、そんなこと」


 そう言って照れ臭そうにニヤニヤするキミ。前言撤回かな、またしても。

 大丈夫だよね? いやらしい意味じゃないよね……?

 そう信じつつも、あたしは反射的に両腕を胸の前で交差して、裸でもないのに身体を隠す。本能が訴えている、警戒しろと……。


 けれどキミがその気になってくれたおかげで、ようやくあたしの物語も始まった。

 キミは作者、あたしはヒロイン。あたしの命運はキミの綴る小説次第。

 となればあたしも上手く立ち回って、この物語をより一層良い物にしなきゃ。あたし自身の幸せのために……。

 そう思うとあたしの感情も、いやが上にも昂り始める。


『さぁ、最高のハッピーエンドに向けて、物語を紡いでいこうじゃないか!』

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