40 自己犠牲的な彼ら
「よかったな、綾小路の件、なんとかなって」
放課後、学校近くの公園のブランコで、俺は鬼塚とコンビニで買ったジュースを飲んでいた。
「そうだな」
鬼塚はペットボトルから口を離して、頷いた。
綾小路のお見合い後の話だが。
綾小路は両親に自分の夢を打ち明けることができたのだと言う──結果として、婚約は破談になった。涙ながらに、彼女は俺に感謝をしていた。
鬼塚のネックレスは、結局、探す暇がなかった──庭園で探してから帰ろうと思ったが、騒ぎを聞きつけた料亭に勤める大人たちの手によって、あれよあれよという間につまみ出されてしまった。
そして現在──俺は悩んでいた。
綾小路に告白されたときも考えたが──綾小路と付き合うことで、俺の今の恋物語はハッピーエンドに向かうのではないか?
俺にとって超タイプの綾小路が、同性でも気にしないで、恋に落ちたと言ってくれている。これ以上のチャンスはきっとない。だと言うのに、俺が彼女の愛を受け入れることへ、足踏みをしている理由はただ一つ──中身が男であることだ。
きっと、根っからの『良い人』である綾小路は、性別なんて関係なく『俺』だから好きになったと言ってくれるだろう──でも、彼女の恋愛対象が女性だけだったら?
綾小路を裏切ることになってしまう。
たとえ、『俺には前世の記憶があって、中身は男なんだ』と説明したとて──両手をあげて信じられるような話ではない。
不用意に彼女を傷つけたり、気を遣わせるようでは、彼女の両親やその婚約者とやっていることが同じじゃないか。
俺はこの世界で、誰とも付き合わずに過ごしていくしかないんだ。
──そのためにはまず、伊集院と鬼塚の関係性の回復を狙う。
だから、俺は放課後に鬼塚を捕まえて、こうして直談判を挑んでいるというわけだ──伊集院の誤解を解いてダメなら、鬼塚のほうをどうにかしようという魂胆だ。
「なぁ、鬼塚」
「ん?」
俺はできるだけ不自然にならないように、話を切り出した。
「伊集院と仲が悪くなったのは、誤解だったんだろ? どうして訂正しないんだ?」
「……どうしてそれをお前が知っているんだ」
「……綾小路が見てたんだ。葬式の日、お前が伊集院のお父さんに、門前払いされてたとこ」
「あぁ……」
なるほど、と鬼塚は小さくつぶやいて黙り込んだ。
俺は鬼塚が話すまで、彼のつり目を見て待っていた──鬼塚はしばらく俯いたままだったが、俺をチラリと見やると、ため息とともに口を開いた。
「……俺は、伊集院の親父さんに嫌われてたんだ」
「……うん」
「俺も、自分の親父が嫌いだったから、伊集院の親父さんの気持ちを否定できなかった──それを、わざわざ伊集院に伝えることもないと思ったんだ」
自分の父親が親友を嫌ってるなんて知ったら、俺だったらどう思うだろうか──おそらく、罪悪感でいっぱいになるだろう。鬼塚は、そういう相手の気持ちを予想できるタイプなんだ。
不良のくせに、優しくて、損ばかりするタイプ。
「色んな習い事に無理矢理通わされて、俺自身、よく家を抜け出してたよ。近所の教会で、気が済むまで泣かせてもらってた」
鬼塚の口から教会という単語を聞くのは二度目だ──雨の日に拾った野良猫たちの里親を探してくれたのも、鬼塚の知り合いだという神父さんだったはずだ。
幼い頃から、お世話になってきた心優しい神父さんに、もしかしたら鬼塚は影響されたのかもしれないな。
「鬼塚……」
「だから、いいんだ、俺は別に」
鬼塚はブランコから降り立ち、端に置いてあったゴミ箱に向かって、空になったペットボトルを投げた──ペットボトルはすんなりゴールイン。ゴミ箱の中に溜まっていたゴミたちに紛れて、がしゃんと音を鳴らした。
「伊集院に誤解されてたって、嫌われていたって──誰も悪くないし、誰も傷つかなくて済むだろ」
「誰もって……」
傷ついてるじゃないか、お前が。
伊集院のために、親のために、自分を犠牲にして嫌われ者を買って出て──親友に恨まれてんだぞ?
傷つかないわけ、ないじゃないか。
俺も、ブランコから立ち上がる。こっちを向かない鬼塚の背中に呼びかけた。
「今からでも、伊集院に言いに行こう!」
「なんて?」
「なんてって……、お前がお葬式に行けなかったのは、理由があるんだって」
「その様子じゃ、もうお前が俺の代わりに言ったんだろ?」
図星だ。
相手の気持ちが予想できるタイプっていうのは、観察眼が鋭いってことだ──鬼塚は既に、伊集院との関係修繕を断念しているようだった。
まるで、自分の人生を諦めた綾小路のように。
「……っ、俺が言っても伝わらなかっただけだ! お前が──鬼塚の口から伝えれば、きっと伊集院だって……!」
「誰が言ったって、変わんねぇよ」
届かない。
伊集院にも、鬼塚にも。
綾小路や亜矢瀬に背中を押してもらったが、俺じゃあ役不足だ。
「なぁ、お前は何がしたいんだ?」
「え」
気づいたら、鬼塚が俺に振り返っていた。夕方の春風に、赤髪がなびく。鬼塚の長いまつ毛が、ゆっくりと瞬きした。
「さっきから、俺と伊集院の仲をどうこうしようとして、何が目的なんだ? 俺たちが仲良くなることが、お前にとっていったい何のメリットになる?」
「……それは、」
言い淀んだ。答えは決まっていたはずなのに──お前らが俺のことを好きにならないようにするためだって。
……でも、本当にそれだけか?
俺がこの二人を仲直りさせたいのは、本当に──少女漫画の正規ルートを回避したいだけだったか?
「俺が、お前らに仲直りして欲しいのは……」
伊集院と鬼塚の、それぞれの良いところを知ってしまった。複雑な家庭環境を知ってしまった──二人が、仲違いしないはずだった未来を、俺も見たくなってしまった。
だって、伊集院の親が、鬼塚の親と不仲でなければ。伊集院のお母さんが亡くなっていなければ──鬼塚とこうして犬猿の仲になる必要もなかったのだ。
綾小路にしても、亜矢瀬にしても──どうしてこの世界の登場人物たちは、自分の親に人生を振り回されているんだ。
みんながみんな、幸せになったって良いじゃないか。
お前ら全員が笑顔になる──そんな未来を、いつの間にか俺は望んでいたんだ。
「……おい、お前、なんで泣いてるんだ?」
「……え」
鬼塚に指摘されて、俺は自分の両目から涙が溢れていることに気づいた。
「あ、あれ……? おかしいな、なんでだろ……?」
「おい、そんな強く擦るな……」
ごしごしとセーラー服の袖で、乱暴に涙を拭う俺の腕を、鬼塚が掴んだ──鬼塚の、綺麗なつり目と、目が合う。
髪の毛と同じ、燃えるような、赤い瞳。
少しだけ細められた瞳が、迫ってくる。
お互いの呼吸が、頬をくすぐった。
鬼塚の、硬そうな薄い唇まで、あと数センチ──
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