18 だって、僕の彼女だもんね?

 ──鬼塚のファンクラブ?

「それって、どういう……」

 バァン!

 俺が聞き返すのと、屋上の扉が勢いよく開かれたのは同時だった。バタバタと勢いよく複数の足音が近づいてくる。

「こんなところにいた」

 見知らぬ三人の女子生徒が、敵意に塗れた目つきで俺を睨みつけてきた。

「えっと……、どちら様でしょうか……」

 おっかなびっくり尋ねてみるが、相手は鼻を鳴らしただけだった。

「あんた、この前、鬼塚くんの家から出てきたらしいじゃない」

「鬼塚くんと、どういう関係?」

 この前、鬼塚の家から出てきた……?

 彼女たちの主張を脳内で反復し、自身の記憶を掘り起こす。何を言われているのか、すぐに思い当たった。

 捨て猫を鬼塚の家まで連れてって、洗ってやったときのことだ──鬼塚の家から出てきたところを誰かに見られていたのか!?

「いや、あれは、そういう関係じゃなくて……」

「そういう関係ってなによ。どういう関係か聞いてんのよ」

 怒った女子ほど怖いものもなかなかない──彼女たちの怒りようからして、正直に釈明したとて、信じてくれるとも思えない。

「捨て猫を一緒に拾って……」

 それでも一か八か、経緯を説明しようと試みるが、

「そんな嘘、信じるわけないでしょ」

「不良が雨の中猫を拾うって、どこの少女漫画の世界よ」

 だよなぁ、俺もそう思う。

 でも、ここがその少女漫画の世界なんだよ──なんて、少女漫画の住人たる彼女たちに伝えても、頭のおかしいやつとして一蹴されて終わるだろう。

 なんと言い訳したらいいやら──もはや真実を語るよりも、彼女たちが引き下がってくれそうな嘘をでっち上げる方向に脳をシフトさせていると、

「本当だよ。鬼塚くんとは、捨て猫を一緒に拾ってただけ。僕、鬼塚くんからそう聞いたよ」

 思わぬ助け舟が出た──亜矢瀬が、嘘をついてまで、俺を庇ってくれた。

 第三者の証人の出現に、さすがの彼女たちも一瞬引いたが、ほんの一瞬に過ぎなかった。

「だとしても、家に転がり込んだのは事実でしょ! 猫を利用して、鬼塚くんに色仕掛けでもしたんじゃない? 最低」

 それこそ事実無根だ。

 しかし、彼女たちの予想も半分当たっている──色仕掛けはしていないが、やつの前で下着になったのは事実であるため、なんとも言い返しにくい。

「確かに鬼塚の家にはお邪魔したけど……、きみたちが想像しているようなことは、本当に、何もないんだって」

「もっとマシな嘘つきなさいよ!」

 どん! と肩を強く押されて、俺は二、三歩よろめいた。

 どうしよう、聞く耳を持ってくれない。取り合ってもくれない。

 三人の女子に囲まれて、俺の心はもう折れかけていた。

 ……誤解を解くより、嘘をでっち上げるより、俺が謝ってしまったほうが手っ取り早い気がしてきた。

 無関係な亜矢瀬も庇ってくれたけれど、この状況をとりあえず収束させるには、それが一番いいかもしれない──これ以上、亜矢瀬を、俺と鬼塚のしょうもない誤解に付き合わせるのも悪い。

「……ご、ごめ」

「だから違うって言ってるじゃん」

 俺の謝罪に被せるように、亜矢瀬が珍しく声を張った──亜矢瀬のほうを見ると、眠そうな目が微笑むように半円を描いて、俺を見つめていた。

「だって乙女ちゃん……僕の彼女だもん、ね?」

 は?

 俺が言い返す前に、亜矢瀬の顔面がすぐそこまで近づいていて──

 ちゅっ。

 右頬に、柔らかい感触。小さなリップ音──頬にキスをされたと認識するのに、時間を要した。

 な、なんで……!?

 俺はキスされた右頬を押さえて、亜矢瀬を凝視する──亜矢瀬は俺ではなく、女子たちに好戦的な笑みをぶつけていた。

「ほら、僕の彼女が、鬼塚くんに色仕掛けする必要ないでしょ?」

 亜矢瀬が彼女たちを睨みつける。

「……っ!」

「早くそう言いなさいよ!」

 三人組の女子は、捨て台詞を残して屋上から去ってしまった。

「……ふぅ」

「お、おおお、お前! 恋愛したくないんじゃなかったのかよ!」

 一件落着かのように一息つく亜矢瀬の胸ぐらに、俺は掴みかかった。亜矢瀬はキョトンとした表情でされるがままだ。

「うん。だから、別に付き合ってないじゃん」

「お……? おう……?」

 そ、そうか……、ほっぺたにキスされたとはいえ、亜矢瀬に告白されたわけではない──あの場を乗り切るための方便だったのか。

 やっと理解して、胸ぐらを掴む手から力を抜く。

「あ、ありがとな」

 ……なんだ、良いやつじゃないか。

 大して親しい仲でもないのに、ここまでして庇ってくれた亜矢瀬に感謝を述べる──亜矢瀬の口角が怪しくニンマリと上がった。

「助けたお礼とか、ないの?」

「え?」

「助けてあげた、お、れ、い」

 同じ台詞を二回言われたとて、現実を受け止めきれないのは変わらない。

 良いやつかと思った途端、見返りを要求されるとは……、こいつ、大した根性してんな。

「自販機のジュース奢る、とか……」

 お礼しろ、なんて言われても、高校生の頭ではそれくらいしか思いつかない。

「そんなんじゃなくてさぁ……」

 俺の案を最初から聞く気はなかったようだ──考えるふりをする亜矢瀬の口から飛び出たのは、予想をはるかに上回る要求だった。


「僕のご主人様になってよ」

 

 ──ご主人様?

 何を言っているんだ? こいつは。

 ご主人様、というワードに対して、具体的に亜矢瀬が何を求めているのか、さっぱりわからない。

 唖然とした俺の顔を見て、馬鹿にしたような、いたずらっ子のような笑みを浮かべながら、亜矢瀬は続けた。

「ご主人様は、ペットのお世話をちゃんとしなくちゃね?」

 そういうことか……!

 その一言で、ようやく俺は察した。

 ペットだとかご主人様だとか、インパクトのある単語こそ遣ってはいるが──要は、パシリだ。

 亜矢瀬の良きタイミングで、亜矢瀬が欲したものを用意しろ、という半ば命令。

「そんなん、嫌に決まって──」

「そういえば、そのネックレス……鬼塚くんも前に同じのしてたよね? どうして今は早乙女さんがしているのかなぁ?」

 ゆっくり伸びてきた亜矢瀬の手が、俺のネックレスをチャリ、と触る。

 鋭い──俺は内心舌打ちをついた。

 このネックレスを以前鬼塚が首から下げていたことも、それを俺が今身につけていることも──全部把握しているなんて。情報網が広いだけじゃなく、亜矢瀬本人の観察眼も大したものだ。みくびっていた。

 ご主人様になるのを断ったら、鬼塚のファンクラブという女子たちに、余計なことを告げ口されるんだろう。本当は亜矢瀬とは付き合ってなかったとか、鬼塚の家に入って色仕掛けをしただとか──鬼塚と俺が付き合っているんだとか。

 そんな未来を想像するだけで、頭が痛くなりそうだ。

 俺は観念して、警察に囲まれた強盗犯さながら両手を上げた。

「……わかった。お前のご主人様に、なるよ」

「やったぁ。これからよろしくね、乙女ちゃん?」

 穏やかに笑いかける亜矢瀬の目が、笑っていない気がした。

 ペットならペットらしく、ご主人様の言うことを聞いてくれればいいのに──。

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