第16話・救援列車
車輪を締めたブレーキシューが鳴いている。
レールに撒いた砂の音が、俺の脳内に渦巻いている。
小さかった領主の館が、フロントガラスを覆い尽くす。
停まれ! 停まれ! 停まれ! 停まれ! 停まれ!
ブレーキハンドルを握りしめる力だけを残し、俺はガックリと弛緩した。異世界転移したときのように首を垂らして、ガニ股に開いた俺の脚だけが視界に映る。荒い呼吸が収まらず、少しの言葉も発することが出来ない。
……停ま……った……ギリッッッッッギリで。
息継ぎでもするように顔を上げた。
開け放たれた館の扉は、腰を抜かして這いずり回る衛兵の姿をみっともなく晒している。
よかった……人を跳ねることも、館に激突することもなく、停まれた。
俺が長いため息をつくと、まるでそれを合図にしたように、騎士団長がコンテナを次々と開けていった。
そして中からラトゥルスの兵士が……。
……ぼろぼろと崩れ落ちている。
そう、コンテナの中身はラトゥルス兵だ。電気機関車運転士として、はじめて人を運んだ。これが緊張し続けた理由だ。
空気ばね台車を履いていても貨車は貨車、人を運ぶように作っていない。その乗り心地は、凄まじかったことだろう。
生鮮食品用の通風コンテナだから、窒息することはない、多分。ただ、中は板が張ってあるだけだから、内張りにもたれて座るか寝っ転がるしかない。
屋根のパンタと彼らを思って、生卵でキャッチボールするような運転をしていたが、祈祷師様の再力行と、俺の非常ブレーキですべてがパーだ。
真っ暗なコンテナで兵士たちはシェイクされたのだろう、目を回して突っ伏すのも無理はない。
「貴様ら、何をしておる! 立て、立つんだ!」
騎士団長に無理を言われて尻を叩かれ、兵士たちが剣を抜いてフラフラしながら散らばって、へっぴり腰で逃げ回るヴァルツース兵を追いかけている。
何と情けない戦闘シーン……まるでコントじゃないか。
そうだ、パンタだ、屋根の上のパンタ。列車は停止したから、もう電気は必要ない。
運転台後方、機器室脇の通路に仕舞った梯子を引き出し、ディスコン棒を掴み取る。
「サガ、棍棒で戦うのですか?」
「違います、戦いません。これは電気を通さない棒です、パンタを屋根から降ろしに行きます」
もう周りにはヴァルツースの兵士はいないか、ラトゥルス兵に捕まって降参している。これなら外に出ても安全だ。
掛けた梯子を昇り、パンタカバーをディスコン棒で突っついた。
「パンタ、もういいぞ。お疲れ様」
パンタカバーがパタパタと開き、パンタグラフに座ったパンタが誇らしげなため息を「ふぅっ」とついた。
しかし何だか、紛らわしいな。
「パンタ、大丈夫だったか? ずっとお祈りしていたから、疲れただろう」
「へっちゃらだよ! 同じ強さの雷をずーっとだから、ちょっと飽きてきちゃったけど」
「あとパンタ。お前のもうひとつの名前は、何ていうんだ?」
「グラーフだよ、パンタ・グラーフ!」
うん、ダメだ。諦めてパンタと呼ぼう。
パンタを屋根から降ろしたところで、騎士団長が満面の笑みで駆け寄って、運転台の祈祷師様に軍人らしい所作で
「ご報告申し上げます! ヴァルツース兵を全員捕縛致しました!」
「ご苦労様です。ただし、私たちは解放するために進軍しています。ヴァルツース兵を丁重に扱うよう、隅々にまで言い聞かせなさい」
ハッ! と首を折った騎士団長は、捕えられたヴァルツース兵の元へと走っていった。
「さあ、今度は私の務めを果たさなければ……」
機関車から舞い降りる祈祷師様は天女のように麗しかった。ピグミスブルクは水を打ったような静寂に包まれている。
「私はラトゥルスの祈祷師、テレーゼア! 我々は貴方たちをヴァルツースから解放するために、この双頭の赤龍に乗って来たのです! 貴方たちは、自治を取り戻したのです!」
ピグミスブルクの住民が、家々の隙間から顔を覗かせた。警戒心は薄らいでいるし、祈祷師様にメロメロになっている野郎までいる。
これは、伝説に残るやつだ。
地を這い現れた双頭の赤龍から見目麗しい天女が舞い降り、侵略支配されていた我々を解放してくださったのじゃ、とか何とか。
『ええー!? そんなの嘘だよー!!』
嘘ではない。それが証拠に、これを見よ。天女は自由のみならず、これをもたらしてくださったのじゃ。ほぅれ、お前たちも大好きじゃろう?
「我々を恐れることは、ありません。ラトゥルスは、ヴァルツースに対抗するための同盟を結びに来たのです。その証としてピグミスブルクに食糧を……この、ジャガイモを差し上げましょう!」
兵士がコンテナを開け、ジャガイモが詰まったダンボール箱を配りはじめると、息が詰まりそうなほどの高揚にピグミスブルクが沸騰した。
これぞまさに救援列車!
本来の意味とは違うけど……。
俺としては食い物で、しかも荷主から預かった荷物で釣るのは複雑な気分だが……我々が立てた作戦は計画どおりに成功した。
ラトゥルスは、まずは1勝を納めたのだ。
さて……俺の方には課題が残っていた。
列車は館のギリギリで停まっているが、次の町へは後退させるか、館を解体してピグミスブルクを貫通しなければ進めない。
やっぱり後退するのがいいのだが、急ブレーキで停まったので連結器の遊びがない。いくら力のある機関車でも、コンテナ貨車20両をいっぺんに押すのは無理な話だ。
それなら、ちょっと前に出すか。機関車の頭が館の中に突っ込むけど、玄関扉がデカいから多分大丈夫だ。
「パンタ。悪いんだけど屋根に乗ってお祈りしてくれないか? ちょっとだけ前に出したいんだ」
「いいよ」
架線電圧計が跳ね上がる。
屋根の上のパンタに気を遣いながら力行して、連結器が伸びる音を聞いたら、すぐさまブレーキを1段投入……っと。
ミシミシミシミシミシ……。
俺は目測を誤った。電気機関車のおでこが玄関の鴨居を押し潰していた。
やっぱり、列車は急に停まれないんだ。
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