第14話・出発進行
数日にわたる入念な話し合いの末、俺たちは旅立ちの日を迎えた。話し合いの中心にいたのは、成り立て男爵の俺だ。
城門をくぐり、向かった先は貨物列車。
先頭には俺が立ち、祈祷師様、パンタ、兵士が続く。最後尾には騎士団長、ただし馬には乗っていない。
せっかくの行軍なのに、愛馬に乗れない騎士団はみんな不服そうだ。留守番してくれても、いいのに。
「祈祷師様……やはり我らは……」
「赤龍の
たしなめられた騎士団長は、
「今は、そのときではないのです。いずれ、貴方たちの愛馬が役に立つときが訪れます。そして、私が貴方に求めているのは、馬ではありません。貴方の統率力なのです」
と、おだてられて騎士団長は天狗になった。何て扱いやすい奴なんだ。
「兵士たちは騎士団長に託します。さぁ、サガ! 双頭の赤龍を目覚めさせるのです!」
祈祷師様の勇ましい指示に従って、騎士団長が兵士を動かし、俺は機関車に梯子を掛けてパンタを屋根へと上げる。
「パンタ……危ないと思ったら、すぐ逃げろよ」
気を揉む俺に、パンタは自信たっぷりの笑顔を返した。ついこの間までとは、まるで別人だ。
「大丈夫だよ! ラトゥルスで一番強い盾が、僕を守ってくれるんだ!」
そう言ってパンタグラフの上に座ると、あらかじめ屋根に上げていた台形の盾を四面に立てて、その中にスッポリと収まった。
鉄板とダンボールを何層も重ねた、軽くて丈夫なパンタカバーだ。
「サガ男爵、こっちの準備は整ったぞ」
騎士団長はそう告げてから、連結面側の運転台に向かっていった。俺も屋根を降りて前方運転台に乗り込むと、祈祷師様も後に続く。
架線電圧……直流1500ボルト!
焦るな、落ち着け、慌てるな、指差確認喚呼の励行だ。
そう自分に言い聞かせながら、異世界転移してから3回目の出庫点検を慎重に行っていく。
すべてのスイッチを投入し、ATSを除外する。パンタグラフ上昇……は、しないんだ。屋根のパンタが飛んでいってしまう。
運転台表示灯、点灯。
空気だめ、圧力よし。
ブレーキ試験……圧力よし。
「祈祷師様、こっちの準備も整いました。お願いします」
助手席の祈祷師様は両手を組んで、神に祈りを捧げはじめた。固く閉ざされたまぶたから、その真剣さが伝わってくる。
次の瞬間、ラトゥルスを守っていた氷のドームが音を立てて砕け散り、俺たちは光のシャワーに包まれた。
しかし、その美しさに見とれている暇はない。
俺たちの前方に氷の線路が現れて、どこまでもどこまでも、大地の果てまで伸びていった。
「サガ、参りましょう。この世界を救うために」
祈祷師様の強い意志が、俺の両手に伝わった。ブレーキを緩解させて、マスターコントローラーを握りしめる。
──が、何故か力行させられない。
車両に異常があったわけではない、俺の身体が動いてくれないのだ。
どうしたんだ、俺。右手を引いて加速させろ。ボヤボヤしていると、氷の線路が溶けてしまう。
「……サガ?」
祈祷師様の不安が滲むか細い声が、俺を運転席から立ち上がらせた。乗務員鞄から本を取り出して、目当てのページを必死に探す。
その本は、運転取扱実施基準。
……あった、これだ、俺に足りなかったのは。
開いたページを祈祷師様に見せて、懇願する。
「線路脇に、これを出してください。これがないと、ダメなんです」
「わかりました、やってみます」
祈祷師様が再び祈りを捧げると、俺が願っていたものがその姿を現した。
宙に浮かぶ、黒い楕円状の板。そこには、緑色の光が灯っている。そして、その下には白い長方形の板に「出発」の黒い文字。
そうだ、これがないと走り出せる気がしない。ちょっと動かす起動試験とは、わけが違う。これから本線を運転するんだ。
マスターコントローラーから離した右手を耳のそばまで持っていき、進路と信号のG現示を目視で確認。曲げた肘を真っ直ぐ伸ばして、信号現示を指差確認喚呼する。
「出発進行」
再びマスターコントローラーを握りしめて力行1段投入……ノッチオフ。
電気機関車は、歩くような速さで走り出した。
肝心なのは、これからだ。積んでいるのは荷物だけじゃないからだ。
ギャコ……
後方から重々しい金属音と、微かな衝動が伝わった。機関車と貨車を繋ぐ連結器が伸びたのだ。
焦るな、まだだ、全神経を研ぎ澄ませろ。
次第に遠のき小さくなる金属音と衝動を、俺は全身で感じるように集中する。
ギャコ……
ギャコ……
ガシャ……
ガシャ……
俺の集中力に、祈祷師は息を呑む。
ゴン……
ゴン……
コツ……
コツ……
…………
すべての連結器が伸び切った!
再力行、1段投入!
制御装置が甲高い電子音を抑揚なく奏でると、電動機が低く野太い轟音を上げる。
列車はゆっくりと加速を続け、迫る景色が次第に速さを増していく。
神様にお願いして作った線路には、一切の狂いがない。凄いぞ、こんな重量級の機関車を支えるなんて。
「サガ! 双頭の赤龍が走っています!」
「祈祷師様、これから先が肝心です」
「サガの言うとおりですね。行軍は、着いた先にこそ目的があるのですから」
それもそうだが徐々に溶ける氷の線路、屋根上のパンタ、そして少しの衝撃を与えられない貨車の中身。この状況下でのブレーキ操作は、メチャメチャ気を使うことが目に見えている。
停めるのが怖い……滑って城に突っ込んだら、どうしよう……。
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