第21話 二人の時間


「午前の分の診察は終わったよ、少し休憩にしよう」

「はい、……あなた」


 オフィールオはぴくっと反応し、ソワソワと近くのソファに勢いよく座った。かと思えば勢いよく立ち上がってリリーシアを抱えて座り直す。

「もう……っ」

 膝の上で横抱きにされたまま、リリーシアはオフィールオの胸にそっと頭をもたげさせた。


 三ヶ月前に、二人はささやかな式を挙げて婚姻を結んだ。

 沢山の祝福を受けてリリーシアは幸せな花嫁になれた。


 目を閉じればオフィールオの胸からどきどきと大きな音が耳に響く。

 自分のとどちらの方が大きいだろうと、くすりと笑みが漏れた。


「許してあげて下さいね」

 そう呟けばオフィールオは驚いたように身体を強張らせた。

 彼らがリリーシアに隠れて何かしている事は気付いていた。自分に隠す必要なんて、祖国に関する事しか思いつかない。悪い顔で笑い合う姉弟はリリーシアが近くにいる事に気付くと慌てて纏う空気を変えていたけれど……


「……どうして?」

 訝しげに呟くオフィールオに視線を合わせる。


「私が今、幸せ一杯だからです。祖国にわだかまりを残したままでは気に病んで仕方がありません」


 ぐっと詰まるオフィールオは前髪をくしゃりと握り、分かったと口にした。




 ──この一年、カーフィ国は贖罪に問われ、汚名を雪ぐべく懸命に努力してきた。アレクシオはその贖罪の一貫としてエアラを娶るつもりでいるようだが、彼女はたった一年の妃教育で憔悴しきり、今後王妃として政務を全う出来るとは思えない。

 ……妥当なところで帝国から王配を降嫁させ、完全な属国とするべきだろう。


 今のカーフィ国の王は良い塩梅で凡庸だった。

 そしてアレクシオがそこそこ使えると分かった今、帝国として出る杭を打つ良い機会となっただけだ。

 王族であるレナジーラの命を覆せるのは、同じ王族の者だというのも話が通しやすい。


「……また悪いお顔をしてますよ?」

 指摘すればオフィールオは気まずそうに身を竦めた。


「君がたった一人で受けた傷は、あんなものじゃ無かったのに」

 そっとリリーシアの髪を撫でるオフィールオに笑顔を向ける。

「いいんです、もう。……あなたがいるから」

 そう言って愛しい人の頬を撫でた。

「……ずるい」

 オフィールオはリリーシアの瞳を覗き込んだ。



 ◇



『いくら何でもやりすぎだ』


 そう声を掛けて来たのは、カーフィ国への降嫁が内定しているエリーシャ第四王女だ。


 王宮の廊下で、オフィールオは声の方へと振り返り王族への礼をとった。

『君たち獣族は本能に従順すぎるきらいがある』


 この国の王は五人の子に恵まれたが、男子は第一子である王太子のみだ。

 予備を望んだ周囲は、特にエリーシャへの失望を強く持った。リンゼルが立太子した今となってはその傾向は弱くなったけれど。

 ただ、だからだろうか。彼女は強くしなやかな女性へと成長した。



 この国も転機がくる。

 王太子であるリンゼルが、かつて虐げられた種族を妃に据えた。そしてレナジーラが産む子が王政を担っていく……


 数年前まで冷徹で人間味の無かったリンゼルに、未来の王として確固たる地位と信頼を齎したのは、間違いなくレナジーラだ。

 リンゼルは冷たい人間だった。

 あの頃は表情を取り繕う事も下らないと、他者に無関心な奴だった。


 どれ程リンゼルの執政が優れていても、一欠片の情もない王政では、出来上がるのは歪な箱庭。そんなリンゼルの変化を知る者は、レナジーラの存在を否定する事はしない。


(子供の頃は天敵だったあの二人を思えば、今の状況は信じられなくもあるが……)


 そんなリンゼルに似た面差しの少女が静かに口を開く。



『カーフィ国のこの一年の努力を嘲笑うような采配だ。……同盟国に眉を顰められる恐れもある。一度失った信用を取り戻すのは大変な事は、よく分かっているだろうに』

『……しかし帝国が関わりながら手ぬるい断罪では他に示しがつきません』

『情報に制限を掛けたのは我らだろう』

『原因を作ったのは彼らです』

『……卵が先か鶏が先か』


 つまらぬ問答とでも言いたげに吐息を漏らすエリーシャに、オフィールオもまた同じ感想を抱く。

 オフィールオとしては、エリーシャが降嫁する事で、アレクシオたちに「お前たちの努力など何の意味も無かった」と含みを持たせればそれで良かった。

 リリーシアと同じ苦しみを味わわせたかった。


 

『君の愛しい人は、きっと望まぬ事だろうにな』


 そう言われ頬が強張る。


『好き嫌いの激しい、あの義姉上が気に入っていらっしゃるのだ。きっと良い方なのだろう。大事な人を煩わせるものではないよ』


 そう諭すように言われれば苛立ちしか湧かないが。


『……俺は所詮、臨時の宮勤めでしかありせん。他国への干渉など、あなたが考える程思い通りになどできませんよ』


 オフィールオはもう後の事などもう知った事ではないのだ。


『……そうか』

『ええ……』


 失敗してもやり直す機会は誰でも平等に与えられるべきだろう。

 傷つけられたのが自分の大事な人でないのなら、オフィールオもその考えに異はない。

 

『じゃあ私はこれで。奥方と末長く』

『ありがとうございます、殿下もお達者で』


 そう背を向け歩くエリーシャを見送り、オフィールオも踵を返した。


(変わりたいなら変わればいい……)

 いずれにしても変革には力がいる。

 その為の志気はオフィールオが散々砕いてきた。それをどこから捻り出すのかなど、オフィールオにはもう関わりが無いのだから。


 一石を投じた者の役割は、これで終わりだ。


 

 ◇



 澄んだ瞳が見つめ返してくる。

 全てはもう終わった事。


 オフィールオはリリーシアの顎を掬い上げ、優しく口付けた。

 リリーシアの顔が喜びに綻ぶ。

 

「愛しています、あなた」

「俺も愛してる、シア」


 見つめ合って嬉しくなって、もう一度二人で目を閉じて。


 これからは、二人の時間を歩み始めるのだ。





本編完結です。

お読みいただきありがとうございました!

おまけと番外編がありますので、引き続きお付き合い頂けますと嬉しいです!

 

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