第20話 一年後
緑に囲まれた穏やかな領地で、リリーシアは第二の人生を歩み始めていた。
帝国に来て沢山の書物を読み、無知に気付いては落ち込むを繰り返していた。ここの人たちはそんなリリーシアを優しく見守り、沢山甘やかしてくれる。
獣族の習性というものに、リリーシアは大事に大事に囲われていた。
あれから一年が経ち、日々の暮らしもすっかり落ち着いた。
ラーシャは意外と首都の情報に詳しいんだな、なんて思っていたら、侯爵夫人だというのだから目玉が飛び出すかと思ったものだ。
本人は田舎貴族だと笑っていたが、帝国の侯爵位に比べたら、カーフィ国の公爵令嬢など吐息で飛ばされるくらい小粒なのに……
亡命についても親身になってもらい、感謝しかない。
やはりリリーシアの元の身分が災いし、国籍を簡単に変える事は出来なかったから。ラーシャやオフィールオが骨を折ってくれ、王太子妃のレナジーラと縁付かせてくれたのは本当に有り難い事だった。
レナジーラは親切だけど照れ屋で、とても可愛らしい人だ。最初に指導をして貰ったのが縁で、今でも気に掛けてくれているのだから本当に懐の広い方だと思う。
今も時折王都へと招かれる。そんな時はラーシャと共に顔を出し、レナジーラの気分転換に付き合っている。
どこの国も王太子妃は大変なんだな、なんて。過去に背負う筈だった負担を知り、この領地にきて得た安寧を知ってからは、こっそりと安堵している。
……今なら自分にはそんな資質は無かったのだと理解できるから。次期王妃としての信頼を勝ち得なかったのが、何よりの証拠だ。
そしてカーフィ国では王太子の新しい婚約者が婚姻式の際怪我をして頓挫してしていたものが、いよいよ今年、仕切り直しとなるそうだ。
カーフィ国の話は全て人伝でしか聞いていない。
けれど今回の制限されていた状況により、一国が笑い者になる程の無知を、広く知られる事となった。
帝国は今回の事を重く見て、対応策に追われていた。
オフィールオが王宮に出仕し始めたのもその為だそうだ。
自分の身元引き受けを買って出たが為にと、リリーシアは申し訳なく思った。オフィールオは自分に血の契約で結ばれた絆で、家族に等しい感情を抱いているから。
これくらい何でもないと笑う彼に、出来る事は何でも返していきたい。
『今回の事は、緊急救命措置と認識されているけれど、本来双方に合意の無い契約は違反だからね。君の今後の振る舞いは大事だよ』
王太子リンゼルの言葉もよく理解しなくてはならない。リリーシアの言動一つで、自分を庇ってくれた彼らに不名誉を背負わせてしまう事となるのだから。
彼を助ける為、貴族令嬢しかやってこなかったリリーシアには覚える事が沢山ある。大変だけど人の為になり、その一つ一つに価値を見出せる今の役割はリリーシアにとても合っていて、毎日がとても充実していた。
オフィールオは、リリーシアを診療所に案内する時、躊躇いながら爵位を継いでいれば良かった、なんて口にしたけれど。
『私はもう貴族は嫌なので、もしオフィールオ様が侯爵位を継いでいたらお側にはいられませんでした』
そう言えばとても驚いていて。
リリーシアがもう華やかな生活は必要ないと告げれば、安堵したように笑ってくれた。
だからカーフィ国の事も、祖国が平和ならそれでいいと思っている。
リリーシアは今、幸せだから。
自分が受け入れられる事が嬉しくて、今はリリーシアも思いも好意も精一杯返している。毎日忙しくて幸せなのだ。
「シア」
「ルオ様」
二人だけの呼び名に頬が緩む。
そして思い出すのは、血の契約で縛られた感情だから彼は自分に優しいのだと胸が苦しくなった時。オフィールオへの気持ちに気付いたのは、この国に来てから半年が経った頃だった。
申し訳なくて切なくて、ごめんなさいと口にした時、オフィールオから、何の感情も無かったら命を諦めていたと言われて首を傾げた。
『俺は医師だから、その役割を果たすべく全力で努力をする。……けれど、人生を掛けてでも助けたいと思わなければ契約なんて結ばなかった。一生傍に置きたいと思ってしまって……手放せなくなってしまってすまない。俺たちの習性を知れば君がここから離れられないと、ちゃんと分かっていた。それを知った上で助けた俺を、君は詰っていいんだ』
言葉の通り繋いだ手に力を込めて、真っ直ぐに見つめるオフィールオの気持ちに嬉しくて堪らなかった。
『私、あなたの傍にいていいの?』
『俺はそれしか望んでいない』
オフィールオの胸に飛び込んで、嬉しくて幸せで……そうやって泣いたのは初めてだったと、満たされた気持ちになった。
受け入れられて最も嬉しい人が一番近くにいる。
けれど彼があれ程酷かった無精髭も、伸ばし放題だった髪もバッサリと切って、今は際立った美形が顕になってしまったのが密かな不満なのはリリーシアだけの秘密だ。
『人目を引くのが嫌だったから』
そんな理由で隠していたというのも納得の、彫刻のような顔が現れて、最初は誰だか分からなかったくらいなのだから。
確かにこの容姿でカーフィの城にいたら貴族たちだって放っておかなかっただろう。一緒に歩けば必ず会う、女性たちのうっとりとした眼差しを眺めながら、リリーシアは小さな嫉妬に苛まれていた。
『周りを牽制するのに必要なんだ』
バツが悪そうにそう言うけれど、よく分からないしヤキモキするだけで……
けれどそんな気を揉む必要は無いと、ラーシャは笑いながら手を振った。
『リリーちゃんはもうオフィールオの匂いに満ちているからねえ。オフィールオもそうだよ。獣族の多いこの国じゃ余計なちょっかいは出されないから安心していいよ』
獣族のように鋭い感覚を持ってない自分には理解できなくて心細さを感じたものだけれど。
そっと両手を取られて告げられる。
『私たちにとって、見かけより身分より、リリーちゃん自身が何よりも好きって事なのよ』
どきりと胸が鳴った。
つい先程まで唇を尖らせていたのに……今はもうドレスや宝石で着飾るよりも、オフィールオの匂いを纏って歩く方がずっと心強く感じるのだから。自分はなんて単純なんだろう……
祖国で誰もがリリーシアから目を背けた時、オフィールオだけは叱り、生きろと手を差し伸べてくれた。
頑張っていると顔を歪めて励ましてくれた。
叱咤してくれた。
オフィールオがリリーシアに生きる糧をくれたから。
だからリリーシアは返したい。
リリーシアには既にオフィールオが必要で、もう離れられないのだから。
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