第16話 アレクシオの不安


 帝国からの使者が王族の訪問を知らせた時、カーフィ国は上へ下への大騒ぎだった。

 彼の国を囲む小国の中で、ここ最近に帝国が腰を上げた国があっただろうか。しかも王族だ。何事かと騒ぐ声の中には、確かに期待と野望が込められた声も上がっていた。国王夫婦ですら、栄誉を賜るだの浮かれ喜んでいるのだから、なんともおめでたい。

 

(……聖女の騒動で国内はまだ落ち着かない状況にあるというのに)

 あれからまだ三ヵ月しか経っていないのだ。


 それでも帝国からの要請を撥ね付ける力など我が国には無い。

 アレクシオは疲弊する身体に鞭打ち、彼らの分まで公務と騒動の収縮、貴賓を迎える手配に奔走していた。

 

 結論から言うとエアラの髪と目の色は三日程で元に戻った。その間エアラは治療療養を兼ね、貴族用の牢に入れられていたのだが、短い期間でアレクシオは彼女の荒れた様をしっかりと目にし、理解した。


 怒りにギラギラと身をたぎらせ、リリーシアを罵倒し、ユニコーンを裏切者と罵る様は、聖女という名を冠するに値しない人物だと。


 人は追い詰められれば普通、ああいう反応を示すものなのだろう。

 そんな思考が頭を掠める度、あんな状況でも最後まで毅然としていたリリーシアがアレクシオの胸を締めた。


 リリーシアが今自分の隣にいたならば、どれ程心強かっただろう。

 聖女が偽りだったとしても、彼女となら不安も葛藤も共に並んで立ち向かい、アレクシオを助けてくれただろうに……


 数日後、エアラは取り戻した自分にようやく落ち着きを取り戻したが、あの状態を見た後で同じように接するのはもう無理だった。

 屈託のない笑顔も、上辺だけの労いも、今は煩わしいだけだ。

 アレクシオの心が自分から離れているのを感じるのだろう。最近ではあからさまな媚びへつらいが増え、すっかり辟易としている。


 たった一度、自分に向けて泣いたリリーシアを、今では愛おしいと思っているというのに。


「リリーシアはまだ見つからないか……」


 ぽつりと零せば侍従は僅かに顔を強張らせた。

「はい……ですが、いずれにせよ軽症では無かったと聞いております。生きているとは思えません……」


 アレクシオはペンを握る手に力を込めた。

「生きているさ。死んでいるなら死体が上がる。我が国では死者の埋葬には申請が必要だ。誰かが匿って治療を施している可能性が高い」


 あの黒馬がユニコーンと同一種なら尚更。リリーシアは無事でいると考える方が健全だ。

 ユニコーンは果実や野菜を好んだ。……少なくとも食事にされている事は無い。


「殿下、本当にリリーシア様を再びお迎えするおつもりなのですか?」

「そうしたい、リリーシアが望んでくれたら……」


 リリーシアは怒っていたけれど……

 子供の頃からずっと自分たちは一緒だったのだ。

 きっと関係は修復できる。

 許して、受け入れてくれる筈だ。


「その為にも彼女の一早い救出を」

「……は、畏まりました」


 綺麗な所作で腰を折り、退出する従者の背中を見送る。アレクシオは溜まった書類を見上げて溜息を吐き、仕事を再開した。



 ◇



 謁見の間では国王夫妻は玉座を降り、帝国からの訪問者を待った。

 やがて緊張した衛士の声が帝国からの客人を告げ、アレクシオは宰相と並び立ち、歓迎の意を示し頭を下げた。


「やあ、嬉しいね。王族自らの歓迎とは痛み入る」


 朗らかな声に柔らかな表情を浮かべるのは、帝国の王太子リンゼルだ。一見人懐こそうな顔ながら、その瞳の奥には油断ならない光が灯っている。


「リンゼル王太子、ようこそおいで下さいました!」

「我が国へ足をお運び頂いてありがとうございます!」

「ああ、こちらこそ」

 歓迎を口にする重鎮たちを見回し、リンゼルはアレクシオに目を留めた。

「やあ、君がアレクシオ殿下かな? 初めまして、リンゼル・ウィレ・オールディだよ」


「──は、殿下。アレクシオ・ゼレ=バルス・カーフィです」

 友好的な帝国王太子の挨拶を、アレクシオは丁寧に腰を折りに返す。

 それを見てリンゼルは驚いたように目を見開いた。

「なんだか意外だな、聞いてた印象と随分違う。……ああ失礼、こちらの話だよ。ねえ?」


 そう振り向いた先リンゼルの先にはまるで闇を纏ったような男が立っていた。

 黒髪に黒い衣装、銀糸で塗った刺繍は眩いが、本人から放たれる気配が禍々しい……更に言うなら真っ直ぐこちらに向けられる深い青の瞳は、刺すように鋭く、炎のように熱い。


「まあ……そのようですね」

 そっけなく答える声もどこか冷めていて、王太子の側近とは思えない態度に見える。

(……ただ容姿だけは恐ろしく整っているから、そういう意味では相応しいともいえるかもしれないけれど)

 王太子と視線を交わした彼は、僅かに顎を引きそのように首肯した。


 アレクシオが黒い男に気を取られている間に、周囲は自国の王太子がリンゼルの関心を買ったようだと、何故か期待したようだ。

 もしや二人は知り合いなのかと、視線で訴える両親や宰相に、そんな筈が無いとアレクシオは首を横に振る。

 彼が持つただの事前情報の一つに過ぎない。……それもどうやら好意的なものでないだろうとは、発言から読み取れるというのに。

 浮ついたままの重鎮に内心で溜息を零し、アレクシオは取り繕った笑顔を向ける。

 


「……ところで婚約者様はどちら?」

 そんなアレクシオの意識の横から涼やかな声が響いた。

 リンゼルのエスコートを受けていた王太子妃が切長の目元を細めて首を傾げている。

 ぎくりと強張るカーフィ国の重鎮の空気を察し、リンゼルが口を挟んだ。

「いけないよレナジーラ、挨拶が先だろう」

「あら失礼、レナジーラ・フェンダ・オールディですわ」

 ツンと顎を上げて話す姿はこちらを見下していて鼻につく。王太子と違い、彼女は好んで来た訳でないようだ。


「初めまして王太子妃殿下」

 卒なく礼を取るアレクシオの頭上から、ふんと不快気な溜息が降りかかる。込み上げる嫌悪をやり込めるべく、アレクシオは固く目を閉じた。


「……すまないね、レナは人見知りなんだ」

「いえ、お気になさらず」

 そう口にするのも確かに本心だ。

 そして気にならないのはリリーシアの方が洗練されているからでもある。


 彼女なら感情を外に出さずに外交をこなす。

 美しい所作に多様な会話、教養高い我が国の次期王太子妃を、是非この女性に見せつけてやりたかったと残念に思う。

 そんなリリーシアを内心で誇らしく思えば、自然と笑みが零れるものだ。

 

「ああ、そういえば婚約破棄されたのですよね。ごめんあそばせ」

 そんな思惑を断ち切られ、アレクシオの身体はぎくりと強張った。

 無関心な小国の事情とはいえ、流石に王族の婚約くらいは把握しているようだ。


「いえ、行き違いがありまして……その件については近いうちに収拾させるつもりですので、ご心配には及びません」

「収拾?」

 リンゼルとその背後に控える従者の眉がぴくりと動いた。従者に関しては剣呑さが増していて、どうにも居心地が悪くなる。


「やれやれ、やはり早めに動いて正解だったようだ。実はこちらに訪問したのはその件で貴殿に話があったからなのだよ」

「えっ」

 アレクシオは純粋に驚いた。

 帝国の王族が自分に話がある事に。

 しかも恐らく先にレナジーラが口にした内容から、リリーシアに関する事らしい。


 一方周囲からは、めでたい空気が増していた。断じて自分に良縁の紹介があるとか、そう言った内容ではないと察せるのに。


「直ぐにお席をご用意致します!」

「歓迎の宴とかはいらないわ」

 張り切る宰相にレナジーラはぴしゃりと告げる。残念な空気を払拭するようにリンゼルが申し訳無さそうに口を開いた。

「……そうだね、申し訳無いけれど次の予定が決まっているんだ。君と、国王夫妻に宰相閣下……あとレイジェラ公爵閣下が相席して頂ければ事足りる話なんだけれど?」


 名指しされた者は皆、顔に喜色を浮かべているが、アレクシオの胸には嫌な予感が過ぎる。レイジェラ公爵はリリーシアの実父でエアラの義父だ。確かに国内の有力貴族ではあるが、他にもいる公爵家からは何故彼がという嫉妬の目が向けられている。


 そんなアレクシオの疑惑を見透かしたように、リンゼルが口を開いた。

「やはり君は思っていたより、上等な者のようだな」


 先導を切り歩き始めた宰相に続いて、リンゼルはすれ違い様にアレクシオの肩に手を置く。

 それを横目で見ていた従者は蔑みの一瞥を向け、レナジーラは変わらず不愉快そうな表情を崩さない。


 それだけで──

 嫌な予感は増していく。

 まだ聞いてもいないリリーシアが関わるという話に、アレクシオの胸は不安に掻きたてらた。

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