酸素欠乏症

にゃー

ネタバレ:キスによる酸素欠乏症での百合心中こそ、この世で最も尊い死に様である


「ねぇ、らん。あんたのキス、ちょっと長過ぎるんじゃない?」


 薄暗い部屋の中、恋人の鈴蘭すずらん――らんに向かって、そう言わずにはいられなかった。


「……そう?」


 私たちは今ベッドの上で素っ裸、シーツに包まるようにして寝っ転がってて――要するに、まぁ、事後・・……なわけなんだけど。


 腕を絡め、こちらにぴったりとくっ付いていたらんは、私の言葉に、すっとぼけたような声を出す。


「別に、普通」


 小さく囁くその表情は、いつも通りの澄ましたそれだ。

 さっきまで、盛った獣みたいな顔してたくせに。


「いや、絶対普通じゃないって。長過ぎるって。さっきも酸欠になっちゃいそうだったし」


 めちゃくちゃ激しいとか、舌使いがヤバいとか、そういうワケじゃ無いんだけど。

 この子のキスは、とにかく長い。


 唇をぴったりと、隙間なく合わせてきて、ずっと、ずーっとそのまんま。

 気持ちいいし、嫌いじゃないけど。そんな事されたら息なんて続くわけないし、だんだん苦しくなってきてしまう。

 口が塞がれてるなら鼻呼吸で、だなんて言わないでよ。

 鼻息ふんすふんすさせながらキスするって、なんか、格好付かないじゃん。


 そりゃぁ、この子が興奮して、私に夢中になって、息を荒げてるっていうのは、まぁ。中々クる・・ものがあるけど。

 それはそれ、これはこれ。


「死因がキス中の酸欠だなんて、流石にダサすぎるから」


 だから、私がそんな苦言を呈するもの、至極当然の事だと思う。

 でも、どうにもこの子的には、納得がいかないらしい。


「……酸素とキス、どっちが大事なの?」


「いや酸素に決まってるでしょうが」


 無表情に限りなく近い不満顔でアホな事を言うらんに、ノータイムで突っ込む。


「……むぅ」


「ぅわっ、ちょっとっ」


 すると、ますます機嫌を悪くした彼女は、いやに機敏な動きで起き上がって、私の上に乗っかってきた。


「な、なに、そんなに怒ることだった……?」


 ああ、まただ。

 私はこれに弱いんだ。


 自分よりも小さいこの子に、組み敷かれて。

 抑えつけるみたいに、両手をぎゅっと握られて。

 何も着てない肌どうしは、むにゅーって密着するし。

 長くてふわふわな黒髪が垂れ下がってきて、彼女の顔以外、何も見えなくなっちゃうし。

 良い香りと、汗の臭いもするし。


 そんなことされると、もう、すぐ、ドキドキしてきちゃう。

 我ながらちょろい女。


 しかもこのドキドキ、伝わっちゃってるし。

 だって、胸と胸が、ぴったりくっついちゃってるんだもん。

 しょうがないじゃん。


「ねぇこは、酸素とわたしとのキス、どっちが大事なの……?」


 らんが、もう一度聞いてきた。

 ねぇこ、ねぇこって、ちょっと間延びした声で寧子ねいこって、私の名前を呼びながら。

 反射的に、屈服するみたいに、キス、って言いそうになって。


「っ、ぁぅ、さ、酸素に決まってるでしょ……」


 でもどうにか、そう返せた。

 今日こそ私は、ちょろい女を脱却するのだ。

 ……さっきも、同じ流れで押し倒されちゃったんだけど。


「むぅぅ……」


 そうしたら、らんは、ますます不機嫌になってしまって。

 なんか、私が悪いみたいで、ますますドキドキしてきちゃう。


「……あのね、別に私は、キスしたくないって言ってるわけじゃ――」


 思わず、言い訳みたいなのが、出そうになったんだけど。


「んっ」


 ちゅって、塞がれちゃった。


 あったかくて柔らかいぷにぷにが、私の唇に触れる。

 啄むように、なんていうのは最初の数秒だけ。すぐにらんは、その桜色のふにふにをむぎゅっと押し付けてきた。


 これ、これだ。

 この子はいっつもこうやって、唇を隙間なく重ね合わせようとする。

 こういうキスしか知らないのか、それともこういうキスが好きなのか。分かんないけど、とにかく、唇同士を密着させてきて。それに合わせるようにして、火照った身体も押し付けてくるもんだから、もう、全身をらんに抑えつけられちゃってるみたい。


「んむ、ん、ん、んぅ……」


 やがて、小さくて熱くて濡れてる舌が、入ってきた。

 動き自体は緩慢で、控えめで、むしろ可愛らしくすら感じる。

 私の舌を見つけると、嬉しそうにくっ付いてきて。らん自身と同じように、すりすりって、その身をこすり合わせてくる。

 くすぐったくて、可愛くて、キモチいい。


 でも、これは罠だ。

 ずーっと、キスし続けるための、罠。


 私をキス中毒にしようとする、らんの巧妙な手口なんだ。


 だから私は、そのトラップから逃れようとして、舌を奥の方へと引っ込める。

 そしたら、まるで迷子の子供みたいに、彼女は私を探しだす。

 私が奥の方に逃げたんだって気付いたら、それを追いかけようとして。ますます深く、唇を押し付けてくる。隙間なく、ぴったり、ぎゅーって。


 結局、逃げ切れなかった私の舌先が、また、彼女のそれに捕まっちゃう。


「ん、ふぅ、んぅ……」


 もうほんとに、空気の通り道なんて少しも無いくらい密着しちゃった口の中で、舌を絡めあう。


 ……なんでこうなっちゃったんだっけ。まぁいいか、キモチいいし。


 頭が、ちょっとだけぼーっとしてきて、うなじの辺りがチリチリと心地良い。

 ずーっとこうしていたくなっちゃうけど、や、だめだめ、私はちょろい女を脱却するんだ。でもキモチいいから、もうちょっとだけ、もうちょっとだけ。


 ああ、でもやっぱり、息が苦しくなってきちゃった。


「ふっ、んー、ふぅ……」


 口は完全に塞がれて呼吸なんて出来っこないから、どうしたってその分、鼻から酸素を取り込むしかなくなっちゃう。

 でも、火照っておかしくなっちゃってる身体は、鼻呼吸だけじゃ足りないみたいで。


「ふーっ、ふーっ……!」


「ん、ふっ、ふっ……!」


 段々と、鼻息が大きくなってきてしまう。ダサいし、カッコ悪いし、可愛くない。

 ああ、でもなんで、同じように息を荒げてるらんは、こんなにも可愛く見えてしまうんだろう。

 どうして、彼女の鼻息が当たる度に、こんなにも興奮しちゃうんだろう。


 手足の先が、ピリピリ痺れてきた。

 動悸ばっかり荒くなって、酸素は足りないもんだから、身体が危険信号を出し始めてるのかな?なんて考えながら、でもやっぱりキモチいいし、もうちょっとだけ。

 私はちょろくないから、もう少しだけ、あと少ししたら、やめてって言うんだ。


 もう少し、苦しいけど、でも、もうすこし、あと十秒だけ――



「――ぷはっ」


「――ぇあ?」



 あ、なんで、まだ、やめてって言ってないのに、なんで。


「はーっ、はぁーっ、っ、」


「はぁ、はぁ、はっ、ぁあっ」


 口が勝手に、はぁはぁ言いながら空気を取り込みだす。でも、違う。私が欲しいのは。そんなのじゃなくって。


「ねぇこっ、っ、はぁっ、はーっ……!」


「っ、らんっ、はぁ、なんでっ」


 顔を真っ赤にして、息も絶え絶えならんが、もう一度聞いてくる。

 


「キスとっ、はぁ、酸素っ、……どっちが、っ、大事……?」



 そんなの、だって。

 酸素はどこにだってあるけど、らんの唇は一つしかないんだから。

 だから、仕方ないことだもん。



「……っ、き、キスっ、きすのが大事っ……!」


 

 私はちょろくない。

 らんの唇が悪いんだ。



「ふふっ、はぁっ、はっ」


 にぃって、らんが笑う。獲物を捕まえたときの獣みたいに。

 私の動悸がもう一拍、速くなって。酸素なんかよりらんが必要だって、訴えかけてくる。


「らん、早くっ、ねぇ、っ、早くぅっ」


 こっちからは出来ない。

 上から抑えつけられて、手もぎゅうって握られて、その手もまだ、ぴりぴり痺れちゃってて。私からは、したくてもキス出来ない。


 だから、おねだりするしかないんだ。

 恥ずかしくてもっと息が上がっちゃうけど、でも、だって、キスして欲しいし。


「らんぅっ、はっ、っ、お願い、キス――」


「――はむっ」


 ああ、きす、らんのくちびる。やわらかい。


 キスする直前、らんがぺろって、自分の唇を舐めてて。そしたら、まるで唾液が接着剤になったみたいに、唇どうしがむにゅってくっ付いて。


「ん、んむぅ、んー……!」


 やば、嬉しすぎて涙出てきた。

 どうしよう、らんに変な奴だって思われちゃうかな。

 あ、でも、らんも目尻のとこ濡れてる。


 あぁ、きもちいい。

 離れなくなっちゃった唇も、その中で優しくイジメられてる舌も。

 どんどん痺れが広がっていく手足も。


 きもちいい。ふわふわ浮いてるみたい。

 自分の鼻息も聞こえないくらい。や、もう、鼻呼吸もめちゃってるんだ。そんなことしてる場合じゃないし。


 手足、指先、頭の後ろ、全部が、ぴりぴりふわふわ。

 でも、らんがぎゅってしてくれてるのは分かる。肌がじんじんしてて、どこまでが私で、どこからがらんか、よく分かんないけど。


「ん、ぇへ、んふぅ……」


 らんは、私から酸素を奪って、きっと代わりに、毒を流し込んできたんだ。


 ぴりぴりして、じんじんして、ふわふわして、余計なこと全部、考えられなくなっちゃう毒。

 だからこんなに頭がぼーっとして、きもちよくなっちゃうんだ。

 らん以外何にも、考えられなくなっちゃうんだ。


 らんだけ、いればいいや。

 らんだけがずーっと、私の唇を塞いでいてくれれば、もう、それでいいや。


「……、……っ、……」


 らんの身体から、くたぁって力が抜けた。唇みたいにふにゃふにゃになっちゃって、流石に重たい、気がする。

 でも私もう、重たいとか、苦しいとか、そういうのはよく分かんないし。


 ただ、視界がぼやけちゃうくらいきもちよくて、らんも、気持ちよさそうな顔してるから、まぁいいや。



 ――酸素とキス、どっちが大事?



 唇は塞がってるのに、どうやってか知らないけど、らんがそう聞いてきた。

 唇は塞がってるけど、すぐ答えられるよ。

 だって、さんそなんて、あってもなくても変わらないもん。



「……っ、……、……」



 あ、あ、なんか、すごい、あたま、ちりちりする。



 からだ、かってに、びくんびくんって



 らん、ねぇ、らん、すごい、きもちいいよ



 らんは、きもちいい?きもちいいよね?



 だって、らんも、びくびくってしてる



 らん、いっしょ、わたしたち、いっしょに




「「……っ!……、……っ……――――――

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酸素欠乏症 にゃー @nyannnyannnyann

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