エッセイと小説(ソラニン)
今日は、引っ越した友人に手紙を書きました。
文章を書く、と言っても色々あるなあとそのことに日々集中するようになって改めて考えさせられています。
会社で依頼や報告をするために
書くのも文章、
小説も文章、
エッセイも文章、
歌詞も文章、
キャッチコピーも文章、
手紙も文章。
まだまだある気がしますが、
全部全部文章でその全てはいまさらながら
生み出され方が違うな、と。
私は今、小説とエッセイをメインに
書いています。
時々、キャッチコピーを考えたり、タップノベルというゲーム小説を作ったりもしていますがメインはこの2つです。
そして、カクヨムではエッセイを多く書き、
小説は公募に出す、というように活動を組み立てています。
この方法でどちらかから芽が出たらいいなあ、なんて思っていたのですが……。
とにかく長編が厳しい。
10万字って、どういうこと……?
公募用の小説は話がまとまらなすぎて焦る。
結局、何が言いたいの?私…と
自分で突っ込む始末。
すると禁断の考えがよぎってしまうのです。
あれ、私、もしかして
「小説書くの、向いてない……?」と。
エッセイは結構すらすらと書けるんです。
しかも楽しい。
どうしたもんかなあ、とお得意の熟考モード。
この間、5/10必着の作品は中途半端に止まっています。はあ。
そして、ひとまず出した答え。
エッセイはすでに起きたことを
自分の視点から書く日記のようなものだと勝手に捉えているから気楽だということ。
対して、小説は起きたことや想像したこと、聞いたことをもとに膨らませて、自分ではなくキャラクターたちを動かしていって
オチやつじつまを合わせければならないから
難しいのだと。
ほほーん、と
とりあえず納得したら、少し作品も進みました。
こんな風に自分が一体何をしようとしているのか、立ち止まって考えるのってちょっと面白いですね。
ただ、私の小説は自分でも不思議なものが多いです。鍛錬ですかね……。
ギターを弾きながら歌詞を考えているときも
メンバーに曲つけにくいね、とにっこりされてました笑
懐かしい思い出です。
そんなことも小説にすらすらできたら
魔法使いなのかもしれません。
……なりたいものです。
では、そんな今日の1曲。
ASIAN KUNG-FU GENERATIONで
『ソラニン』
よくカバーしました。
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