神絵師、契約を結びました。

「先ほどは大変お見苦しいところをお見せしました…」

「いえ、慣れてますので大丈夫です」

 あれから誤解が誤解を生み、お互い―――というか赤月さんが殆どだが―――が落ち着けたのは近くの24時間営業のファミレスに移動してからだ。

 トイレに入るなり身なりを整えてから戻ってきた。まるでこれから商談に臨むキャリアウーマンが如く。しかし…なんか同じ雰囲気というか…大学生のようなフレッシュさがみえる気が。あ、イエナンデモナイデス。

 しかしそんな外見はぴっしりと整えている赤月さんだが、おそらくテンパるとポンコツ化するタイプだ。

 そして好感が持てるタイプのポンコツ。うらやまけしからん。

「それで契約の話に戻るのですが…」

 おっと、今は真面目モードらしい。

「覚えてます、赤月さんの会社でイラストを、という契約ですよね?」

「はい、具体的な書類などは後日お送りさせて頂きますが、鍵谷様にご相談させていただきたいのは専属絵師としての契約でございます」

 ふむ…。

「内情としましても、基本的には固定給ではありますが、鍵谷様の希望する額に沿えられればと思っておりますし、そのうえで仕事をしやすい環境づくりにも一役を買えると思います」

 まぁ…大事よね、給料。それに劣悪な環境だとやる気なんてものはあっという間に鎮火してしまうだろうし。

「しかし鍵谷様は大学生…なので、原則としては学業を優先で問題ございません。確かに逼迫しておりますが、他人の人生を疎かにしてよいというわけではありませんから」

 今の言葉はあの社長に言わせてやりたいね。

「また、弊社スタッフも鍵谷様のことはすでに認知しておりますから、コミュニケーションに関しても難は起きづらいとも思われます」

 それは流石に恥ずかしい。

 というか他社でネタにあがる取引相手ってなんだろうな? 予想付かない。

「もちろん鍵谷様のことですから、他社様からの引き抜きも話があったかもしれませんし、弊社が一番だというつもりはありません。話は矛盾してしまうかと思いますが、我々は鍵谷様を要しております。事情などは考慮もしておりますが、弊社としましても契約の話は早い方がよいとは思いまして」

 ……ふむ。

 …………よし、決めた。

「ではお引き受けいたします」

「ぜひとも鍵谷様には弊社の…………えっ?」

「いえ、ですから専属絵師の件です。その、本当に私でよければ…」

 即答だがこれには俺にもメリットがかなりある。

 自分でいうのもアレになるけど、業界歴だけでいえば一応長いから理解もできるし、絵はそこそこ描けるつもりだし、それを仕事にできるならこだわりがない。

 それと今…じゃなくて前の会社よりも給料が倍近く変わるのだ。

 あとはまぁ…ほかにも数社は引き抜きの話はあったが仕事のしやすさだけで言えばらくがきそふとさんが一番よかった、というのもある。

 それと赤月さんが美人だからだ。美人だからだ。それはメリットのちょっとしか入っていない。ほんとだよ。

「是非もございません! こちらこそ!!!」

 興奮気味に赤月さんが乗り出してくる。というか近い…。

「赤月さん! ち、近いです」

「あっ…す、すみません…つい興奮してしまいまして…」

 そそくさと顔を赤くしながら着席する赤月さん。

「その…この時間まで連れ回してしまったこともそうですが、これからお世話にもなりますし…なんでも頼んでください」

 その提案はありがたい。俺としても困ってたところだったから…。

 ……くうきを変えてくれたことにだよ。

「……そうですね、ではごちそうになります」

「えぇ! 遠慮なく」

 ほんとうだよ! 決して疚しいことなんて考えてないからね!

「あ、それと私のことは下の名前で呼んでくださってもいいですよ?」

「下の名前…ですか…。…わかりました…ななみさん」

 あっぶね。名前忘れるところだった…。

 毎度指示書にも書かれてたから忘れてはいないけど…。

 というか赤月さん、悲しそうな演技とかしないでください! めっちゃ心臓に悪いですから! ホントに頼みます!!

「はい♪ よろしくお願いしますね? 康太君」

 パーッと表情が華やかになった赤月さん…じゃなくてななみさん。

 あのはい、笑顔がとっても眩しいです。でも目元のクマがとってもお邪魔…。きっと元は良い笑顔なんだろうなぁ。


 ☆★☆★☆★


 食事も終わって互いにコーヒーを飲んでいる、食休み(?)の時間。

 なんとななみさん、俺と同じ年らしい。そして同じ大学なんだって。びっくりだ。それなのにコーヒーを飲む姿がすっごく似合う。同じ年齢とは思えない。

「ななみさんってこの業界ってどうやって入ってきたんですか?」

「私は…そうですね、親と友人の伝手ですかね?」

「親…」

 え、親が子供…それも年頃の娘にゲームを見せてたの?

「なんでも、不健全なことこそコソコソやるのはよろしくないのだ! ということらしく…」

「ご愉快な両親ですこと…いや、ある意味健全なのか」

 言ってることは間違いじゃないんだけど、やってることは間違いだと思う。

「えっと、友人の伝手ってことはお友達も業界に?」

 コクンと頷かれる。

「私の自慢の友達なんです♪ 直接なことは初めて行った夏コミ…でしょうか。数年前に友人が夏コミに行くと言っていたので、興味本位で同伴したのですが…世界が違いましたね」

 夏コミか~。

 たぶん同人の方かな、世界が違うってことならそっちだろうし。

 まだ俺がいたのは企業ブースだったからよかったけど。一般向けといえばこっちか。たまにTE〇GAの販促で来ていた企業もあったけど。

 そう言えば…今年はアイツも参戦してたみたいだけど…大丈夫なのか?

「夏コミは戦場ですから。…西と東はどちらに?」

「私は東ブースですね。流石にあの熱狂には届かないですし、それよりも挨拶もありましたので…」

「社長業だもんね」

 東の企業ブースってことはブラックにも来てたのかな?

 そもそもウチに来たところでななみさんにも得があるとは思えないけど。

「夏コミまできて挨拶って、まさに社長って感じだね。ななみさんはすごいな…」

「えっ、そ、そぉでしょうか?///」

「うん、すごいよ。少なくともそうやって相手に売り込みに行けるだけでも尊敬するよ。俺にはできないから」

 うん、無理。

 話するよりも絵を描いてる方が楽しいわ。

「ぁ…ありがとうございます…/// ぇへへ…///」

 …目は死んでるけど頬が赤く染まって破顔しているという不思議。

 それでも元の素材がよすぎるからか、美人は何をしても映えるのだろう。めっちゃ可愛い。

 ……。

 いま何か引っかかったような……。

 友人…? 友人がなんで引っ掛かったんだ……?

 ……あっ。

「あの…ななみさん、1つ質問してもいいですか?」

 恐る恐ると切り出してみよう…。

「はい♪ 何なりと!」

 テンションが高いなぁ…。これ、気づいてるのかな。取り越し苦労ならいんだけど。

「お仕事の方は…大丈夫…なのですか?」

「……あっ!」

 あっ。

 そしてタイミングよくななみさんのスマホが鳴り響く。

 恐る恐る、という言葉の通り、ゆっくりとした動きでスマホを手に取り、通話ボタンを押した。

「はい…赤つ―――」

「いつまでほっつき歩いてるんですか!」

「ひぃぃぃ!!!?」

 開口一番、電話口からこちらまで聞こえる声量で説教の声が飛んできた。

 同僚さんだろうか。

 ななみさん、社長でも従業員みたいなものって言ってたしな。従業員が時間外でほっつき歩いていたら…そりゃ怒られるよね。

「すみませんすみません! すぐに戻ります! ので本当にごめんなさぁぃぃ!!」

 口元を隠しながら蚊が泣くくらいの小さくて情けない謝罪が聞こえてくる。そして物凄く情けない…。

 今のうちにお手洗いだけでも…。あ、あとこれも。

 それから数分して戻ってきたがななみさんはまだ電話を続けていた。少しして通話を切ると気まずそうにしている。

「ななみさん、大丈夫ですよ」

 とりあえず励ましておくか。

 そこ、お前のせいだとか言うんじゃないよ。誰か知らんけど。

「自分のことは気にせずに…あ、そうでした。一つ相談なのですが…」

「えっと…なんでしょうか?」

「自分に依頼いただいた案件ですが、あちらの提出は最悪明後日でも大丈夫ですか?」

「えっ?」

「俺あの会社に戻る気はないですけど、らくがきそふとさんと懇意にしている何社かだけは作業だけ納品したいので…」

「…確かに康太君ならそう言っても不思議ではないですね。明後日なら恐らく大丈夫…だと思います」

「一応最優先で取り掛かりますので…」

 2枚のうち片方は残り着彩だけだし…残りもラフはできているから明後日までならワンチャン…、…かなり怪しいけど。

 ただ…途中で逃げたことで迷惑が掛かるのはNGだろう。

 密に連絡を取っていた直近の企業だけは最低でも終わらせる…って伝えちゃったしな。絵描きのプライドにかけて辞めての影響は無視することはできない。

 って、もう5時か…。始発が動き始めるかな。

「それじゃあ時間も時間ですから、外に出ましょうか」

「えぇ。貴重な時間をありがとうございました。鍵谷様」

「こちらこそ、機会を設けて頂けて感謝します、赤月代表」

 にこやかに握手を交わす。

 きっと彼女はこれから地獄に行くのだろうが、会った時よりはかなり持ち直している。だからもう大丈夫だろう。

 ポケットに財布とスマホを入れてから席を立った。

「あ、ここの会計はもう済んでますので」

「えっ?」

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