見目麗しい人

かおりさん

第1話

『見目麗しい人』


 私は昼寝が好きで、時間があれば寝ている。

私は時々、見る、というか会う。不思議な人達に。いわゆる霊の御魂に。


 その日もソファーに横になり昼寝をしていた。金縛りもなく目を開けると、3段の木製のラックの2段目に、これまでに見たこともない、見目麗しい僧侶のお顔があった。目は伏し目がちに、まつげが長くて細長いお顔だった。


 あまりの眉目秀麗なご尊顔に、ずっと見ていたいと思い静かに眺めていた。そして、私は目の前に立ちその僧侶を正面から見ると、まつげの長さに心奪われた。


 こんなに長いまつげは見たことがない。

いつまでもその僧侶が消えるまで見ていた。


 僧侶が消えて、その木製のラックの2段目にお香を焚いて合掌をして祈った。


 数日間、ずっと忘れられずに、その僧侶がまた来るかもしれない、と時間があれば昼寝をしていたが、再び現れることはなかった。


 その日の前後に、どこかへ行ったのかもしれないが忘れて思い出せない。時々、美術館やデパートで開催される佛教美術展へ行く前に、昼寝していて木製のタンスに佛様の像が現れたりする時がある。古い歴史的な建物庭園に行けば、会ったりすることもある。


 佛さまの佛像は佛さまであり、ありがたい気持ちになる。だけと、高僧の木像は中に人がいるのではないか?と思いずっと見ることがある。あまりに見過ぎてその像が分からなくなる時がある。木に彫られた人の形の像。私が分からないと思うそこには、人の魂や彫り手の魂が入っているのではないだろうか。私などが今生に分かることはないだろう。


 昔むかし、お坊さまはとても人気があった。


『小倉百人一首』89番式子内親王の詠んだ和歌

 玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば

忍ぶることの よわりもぞする


〈現代訳〉

 私の命よ、絶えてしまうならば絶えてしまえ。生き長らえれば、胸に忍ぶ想いが、弱まり秘めてはいられなくなってしまう。


 歌人の与謝野晶子は、『小扇』に

 したしむは 定家が撰りし 歌の御代

式子の内親王(みこ)は古りしおん姉


と内親王を詠んでいる。2人は共に情熱的な歌を詠む。


 式子内親王の、その和歌は『小倉百人一首』の撰者である藤原定家か、または浄土宗の開祖である法然上人を想って詠んだ和歌とも言われている。


 藤原定家には、二人の妻がいるので、私は、式子内親王のこの和歌は、法然上人を想って詠んだ和歌ではないかと思う。


 法然上人は当時、眉目秀麗だったに違いない。


 現代とは違い、昔はテレビもスマホもない。物語は紙に書かれて詠まれ、身分の高い人は、ありがたい法話を御簾越しにご本人から聞いたであろう。


 内親王の高僧への秘めた想い。それが現代ではあの有名な『小倉百人一首』に、内親王の代表作とされている。


 人はそんな風に人を想って、時には時空を越えても会いに行くことがあると思う。平安後期の時代から現代に内親王の想いに出会った。あのまつげの長い僧侶の御魂も私に会いに来てくれた。


 生きている人だって、そういう不思議な事が現象としてある。


 人を想い、毎日胸に想い、想いは念じるようになっていく。いつしかうたた寝の中に会いに行く。


 私はそうして会いに行った人に、その十数年後にお会いする機会があり、その話をした。その人は「あの時の」と言いはっとした表情になり、遠き日を見つめるように私の顔を見た。


 そういう不思議なことが、あるとか、ないとか言うことはできない。でもその現象としてはあるのだと思う。夢だったのか、現実だったのかは分からなかった。だけど、十数年後にお会いした、そのお坊さまに私は本当に会いに行ったのだと知る。

 

 そして、あのまつげの長い見目麗しい僧侶は、遠く熊本のお坊さまだった。私の人生の中で、まるで一大事の時に祖父の家系を数百年を辿り、それを知った。私のご先祖さまだった。この話しは、また別の機会に書きたいと思う。


 見目麗しい人にいつか私は会いにいく。




 




 






 



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見目麗しい人 かおりさん @kaorisan

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