12話 魔術しかないの

 ロヴィーナ王妃が開いた魔界の本には、説明に違わず魔界の『古代史』が書かれていた。


 びっちりと敷き詰められた異界の文字。時には図形や文字を組み合わせた特殊なページを何枚も挟んで、神話のごとき『古代史』は構成されている。


 ロヴィーナ王妃に意味を問うてみると、どうやら魔術に関する項目 のようだ。おそらくは〈簡易魔術式〉――魔力を通すだけで簡易な魔術へと繋げる式――か、あるいはそれに準ずるものであろう。


 人間界に住まう者として人間界の『常識』に通ずるよう、適宜かみ砕きながら王妃の言葉を脳に刻んでいく。


 それにしても、とプランダはあごに手を当てる。


「人間界の古代文字と形が似ていますね。さすがに読むことはできませんけど」


「人間界と魔界、それから神界は、もともと一つだったの。今は〈三界〉と呼ばれて深い霧に隔たれているけれど、ずっと昔、それこそ神話の時代には地繋ぎで自由に行き来ができたというのだから、驚きよね」


「三界を隔てる霧って、どういう原理でできているんですか? 自然現象みたいに、熱やら水蒸気やらの関係でできあがるわけじゃないですよね」


「おそらくね」


 頷く王妃。


「わたくしたちが人間界へ向かう時は、〈三界の門〉というものを開くの。霧の中に扉を作るような――そんな『想像イデア』ね。逆に言えば、それがないと人間界に来ることはできないの」


「〈三界の門〉を作らないと……どうなるんです?」


「運がよくて、元の場所に戻ってくる」


「……悪いと?」


「戻らない、二度と」


 霧の中を永遠と彷徨さまようことになるのか、それとも進み続けた先にどこか別の場所に辿り着くのか。


 それは王妃も、博識と噂される彼女の夫にも分からないのだという。


「霧は多分、魔力や魔術と何か関係があると思うの。エリオットが言っていたわ。だからこそ魔術、ひいては魔力で『穴』を作ることができる。うふふ、機会があったら見てみて。あの光景は圧巻なの」


(噂は本当だったんだ)


 異界同士を繋げる〈希代の才〉、エリオット・バーンステン。普段は繋がっていない場所を無理矢理、しかも物理的に接続するだなんて、もはや人智を超えている。


 一応人間界にもヒトや物を移動させる〈空間転移の魔術〉が存在するが、失敗する確率が高く、さらに膨大な人手と魔力が必要となるため、実用には向かないとされている。


 それなのに同じ空間――いや、『世界』にない魔界と人間界を容易に繋げ、かつ己と妻と部下の安全性を確保した上で成功させるだなんて。


 仮に練習でうまくいったとしても、本番を乗り切る保証はないというのに。


「ひと苦労ですね、外交をするにしても」


「ふふ、けれど苦労をしたおかげでお友達ができたわ」


 能天気に笑う王妃。


 失敗への不安など、微塵も感じられなかった。夫への信頼、それがひしひしと伝わってくる。


 しかし王も生き物だ。いずれ限界が訪れる。


 万が一にも限界が訪れようものなら、人間界との交流はどうするのだろうか。いかにして〈三界の門〉を開くのだろうか。


「もしも――もしもこの先、三界同士を自由に行き来することができるようになったら、どうしますか」


「まあ、そんなことができるの!?」


 ロヴィーナ王妃は素直に驚いたようで、長い睫毛まつげに縁どられた目を大きく開いていた。


「すごいわ、自由に行き来できるようになるだなんて。魔界の食糧問題もきっと解決する! 素敵な話ね。ねえ、エリオットに教えてもいい? 支援するよう頼んでみるわ」


「そっ、それはやめてください!」


 あくまで空想の話。


 けれどいずれは成功する。


 何となく、そう思えてならなかった。


 もともと地続きであったならば、今も地続きである可能性が高い。得体の知れない『霧』によって阻まれているにすぎず、壁を払いさえすれば、きっと。


「ふふ、いい話を聞いちゃった。けれど、本当に人間族って想像力が豊かね。竜をウマみたいに使ったり魔術を学問にしたり。この先、もっとたくさんの驚きを提供してくれるのでしょうね」


 見てみたい。そう呟く少女の瞳は、きらきらと輝いていた。


「……ねえ、プランダさんは、どんな支援があると嬉しい?」


「えっ」


 まだ諦めていなかったのか。思わず身構えたが、詳しく話を聞いてみるとどうやら違うようだ。


「魔界は……魔術がなの。『魔術』という呼称すら昔はなかったくらいに。魔術を使うことは手足を動かすことのように当たり前で、その――『魔術士』とか『魔術研究室』とか、そういう特別な職業のヒトは、実はいないのよ」


「……なんだか想像がつきませんね」


 人間界における魔術とは、努力をして身に着けるものだ。天賦の才が決めるものだ。そんな『前提』すら存在しない世界が存在するだなんて。


 夢のような、しかし一方で地獄のような世界である。


「それで……えっと、どうして支援の話を?」


「参考にしたくて。魔術士は特別ではないけれど、ここで言うところの魔術研究室を作る動きがあるの。『ある』というか、もう既に稼働し始めていて。けれどね、その……実際に研究室に所属するヒトの声を直接聞ける機会ってほとんどないの」


(なるほどね。それで平研究員に)


 もじもじと肩を縮めて、ちらちらとこちらを窺う少女。


 民の希望を担う者。政治に直接関与していなくても頂点に立つ者として、いや、頂点に立つ者に最も近しい者として、平民のことは知っておきたいのかもしれない。


 王妃が直接政治に関わるのかは定かではないが、不器用ながらも実直に意見を請うヒトを一蹴する趣味をプランダは持ち合わせていない。


 じっくりと考えに考えて、ようやく言葉を絞り出す。


 それから、どれだけの時間を話していただろうか。朝早くから続いていた王妃との会談は、室長が割り込んでくるまで続いた。


 気づけば時刻は昼をまわり、王妃すらも腹の虫を鳴らしていたほどだ。


 国王妃の腹の音を聞いた者が、はたしてこの世にどれだけいるだろうか。ひょっとすればプランダは貴重な経験をしたのかもしれない。


 ドッと疲れがあふれる。食事のことなど忘れて今すぐにでも寝台に潜りたい気分になったが、プランダの頭には一本――たった一本、楔のようなものが残っていた。


「あのね、プランダさん。一つ覚えていてほしいことがあるの」


 それは喉が疲れた頃、お茶を用意しようとお湯を沸かしている時のことだった。


「魔族も神族も魔術に長けているわ。だけど逆を言えば、の。もしもこの先、『何か』があったら。その時はあなたたちにしかできないことをして。この地はあなたに祝福を授けてくれるわ」


 この時のプランダは、妄言ともいえるそれを受け流すことしかできなかった。


 彼女の言葉、その真意に気づくのは、もうしばらく後のことである。

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