神の試練の始まりです。

citrus

第一部 奈落編

第一章 目覚め

第1話 崩れる日常

 電車の窓から断続的に入ってくる日光は、寝起きの頭を打ち鳴らすようだった。

 外を見れば無数のビルが朝日に照らされ、先ほどまで並走していた電車が離れていく。

 通勤通学時間ということもあり、車内はすし詰め状態になっていた。周囲にはこれから仕事で憂鬱そうにしている社会人がほとんどで、数名の女子高生が立ちながら駄弁っているのが余計に目立った。


(......眠い)


 そんな中社会人でなくとも、そんなことを考えている人がいた。それが間宮空まみやそらである。

 身長は174cm、手ぐしで申し訳程度にとかした黒髪と黒目。無地のYシャツにズボンと、特にオシャレに気を使っている様子もない普通の男子大学生。いつものようにイヤホンを身に着け、流行りの曲をぼんやりと聴きながら今日の講義について考えていた。


(今日は英語のレポートか......めんどくさいなぁ)


などと学生であれば誰もが考えそうなことを思いつつ、いつもと変わらない日常へと臨もうとしていた。

 電車は揺れながら走り続け、大学への最寄り駅が少しずつ近づいて見えてくる。降りる頃には、大学の講義への面倒くささへも諦めをつけていた。

 最寄り駅である新宿駅で降り、ビルと人の群れの間を分け入りながら歩く。左右を見れば俯きながら足早に歩いていく社会人ばかりで、自分の将来が少し心配になったりもする。これももはやルーティンの一つだ。一緒に通う友達などもいないので、登校時は基本一人、余計に考え込む原因になっている。


 少しするとレンガ調の大きな建物が見えてきた。間宮が通っている「都市科学大学」である。こんな都心に置かれている割には敷地も広く、校舎自体もそれなりに綺麗に保たれている。現在の東京の地価を考えれば、運営がどれだけ大変なのかは想像もつかない。

 それからはいつものように学生証を提示して入館し、いつものように講義を受け、いつものように一人で昼食をとり、いつものように帰ろうとしていた。今日の講義は午前中までである。


(さっさと帰るか)


 いつものように帰る列車に乗る。スマホを取り出して音楽再生アプリを起動、無線イヤホンを耳に差し、聴き慣れた曲をまた聴き直す。

 何も変わらない日常。特に代わり映えのない、いつものような日。


 この瞬間までは。







【これより、神の試練の始まりです】








 それは、13時頃に間宮が新宿駅で列車を待っていた時だった。その機械的な音声は頭の中に響き渡り、間宮をひどく混乱させた。特に持病を抱えているというわけでもなく、耳が悪いこともなかった。


(ん、なんだ?幻聴か?)


 間抜けな表情を浮かべていると、どうやら周囲の人々も聞こえていたようである。辺りをキョロキョロと見回しながら、互いの様子を伺っている人が多い。駅の無機質なアナウンスだけが平常運転だった。


(俺だけじゃないってことか?)


 いまだに情報が飲み込めないでいると、今度は足元が少しずつ揺れていくのを感じた。地震大国である日本に住んでいる者としていつもなら何とも無かったが、奇妙な出来事が起こった後の地震である。嫌な予感がした。


(今度は地震か......何が起こってるんだよ)


 その地震は刻一刻と大きくなるばかりで、全く止む気配は無かった。今まで経験したことのないほどの揺れ、震度6や7と言われても納得しそうになるほどである。周囲の人々も全員が異常事態を感じ、一部ではパニック状態に陥るものまで出てきた。

 そうこうしているうちに、ついに駅のホームの地面が割れ始めた。目の前で起こっている複数の現象に、さすがに間宮の頭もついていかなくなってきた。電光掲示板はとうに落下し、ホームの天井から砂や破片が次々と落ちてくる。けたたましい警報音が、間宮に危険信号を知らせ続けていた。

 そして遂に、間宮の目の前に明らかな異常現象が飛び込んでくる。


(地割れ、なのか?)


 割れた地表が、まるでブラックホールが発生したかのように地中に吸い込まれていく。見た目はさながらアリジゴクの巣であり、コンクリートや電車の一部を飲み込みながら拡大していた。

 その中央はまさに奈落。何も見えない暗闇があった。その裂け目はあらゆる体積を無視しながら物体を飲み込み続けていた。


(やばい、逃げないと!)


 なんとか思考停止せず逃走という選択肢を取れた間宮だったが、動き始めた時には拡大し続けている裂け目が足元まで来ていた。

 全力で駅のホームを走る間宮だが、彼の運動神経は並み程度、拡大する裂け目にすぐに追いつかれてしまった。


(まずい、落ち―――)


 最後に見たのは、無数のひびが入ったホームの天井だった。






 間宮を飲み込んだ後も、裂け目の拡大は続いていた。人々だけでなく建造物までも消えていく様は、人々を恐慌状態にするのには十分すぎた。逃げ惑う者、絶望する者、発狂する者と三者三様の反応を見せていた。


「もうだめだ......」

「なに突っ立ってんだ!逃げるぞ!」


 しかし、もう終わりだと誰もが考えたとき、突如裂け目の拡大が止まった。地震も止まり、あたりに静寂が訪れる。


「終わった......のか?」


 命知らずが先ほどまで広がっていた裂け目をのぞき込むと、出来上がっていたのは底がまるでみえない円柱型の大穴であった。風が吹き抜け、声は反響を繰り返す。

 人々が立ち上がり、なんとか一息付けたと思ったのもつかの間、先ほどよりは小さい地震が発生した。今度は何かと皆が騒ぐ中、裂け目を覗いていた人は何が起こっているのかを確認できた。


「なんだこれは......」


 そこでは、円柱の内側の側面に張り付くように螺旋状の階段が造られていた。底の見えない奈落に、人々を歓迎するように。

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