第17話 阿呆らしい議会
伝書鳩は相変わらずの暴れっぷりで、議席の紙を風で飛ばしたり、議長のはげかかった頭をかすめたりして、たちまち議場を混乱に陥れた。
シュテルマーは混乱する議場の中で立ち尽くし、一見呆然としているように見える。
しかし実際のところは、耳から頬まで真っ赤にして細かく震えていた。
ヘレナの「部屋」と違って議場は広く、なかなか鳩は捕まらない。
議場を低空飛行でぐるぐる回るせいで、議員のほぼ全員が何かしらの迷惑を被っている。
しかし今回も鳩がヘレナの体に衝突することによって何とか捕獲することに成功した。
この前の伝書鳩は足に細い管をつけていたが、今回は胸に袋をかけている。
ヘレナは慣れた手つきで鳩の胸の袋をあけ、封蝋がされた文書を取り出した。
「シュテルマー委員長の時間稼ぎをしているんじゃないか、という読みはある意味当たっています。ヴルカーンハウゼンへの援軍である、フォルカー・エドラー大隊第2中隊の報告書の到着を待ってたんです」
ヴルカーンハウゼンを出る日の早朝、イーナはバウメルト大尉に、密かにヴルカーンハウゼンに関する報告書を書き送ることを依頼していた。
バウメルトは「どうせ大隊長にも書きますから」と言って快く承諾してくれたのである。
イーナはヘレナの伝書鳩をバウメルトに渡して、伝書鳩を使って届けるようにしてもらった。
「ほ、本物か?君らのような者が提出する書類は信じられない」
シュテルマーは喉から言葉をひねり出すようにして質問を投げかける。
「それなら、封蝋の印章があります。ご覧になりますか?きっとお仕事をするときに何度も見たことがあると思いますけど」
ヘレナはシュテルマーに向かって言い放つ。
そもそも軍方針決定委員会とは、帝国直属の部隊の管理や、貴族や傭兵が率いる帝国とは別の指揮命令系統下にある軍と帝国直属の部隊との連携調整のためにある組織である。
委員長であるシュテルマーはさまざまな軍の印章を見る機会が当然多いはずだ。
ヘレナは報告書をシュテルマーにまわす。
シュテルマーは黙って報告書を受け取ると、印章をじっと見つめる。
「少なくとも封蝋はフォルカーの大隊のものだ。少なくとも封蝋は」
シュテルマーは認めたくない雰囲気を全面に押し出しながらそういうと、書類をヘレナの方にぶっきらぼうに返した。
ヘレナは書類を受け取ると、封を切って中身を取り出し、イーナに渡した。
イーナは報告書を軽く確認する。
バウメルトは急いで書いたのだろう、枚数はさほど多くはない。
あらかたの内容を把握した後、イーナは報告書を要約して読み上げた。
枚数こそ少ないものの、ヴルカーンハウゼン到着時の街の周囲の状況、戦線への影響、被害の大きさなどが事細かに記されている。
ありがたいことにイーナの戦闘のことも記述されていて、わざわざイーナの能力で作った灰の円錐を一つ証拠品として同封し、そのうえヴルカーンハウゼンが陥落した際のフォルカー・エドラー大隊の孤立の危険性などに触れて、イーナの功績をそこはかとなく示すことまでしていた。
読み上げている途中、シュテルマーの赤い顔はどんどん色が引いて、逆に青白くなっていくのがイーナにも見てとれた。
「人間はあそこまで顔の色を変えられるんだなあ」と思う自分をイーナは再び阿呆らしく思う。
自分もヘレナと大して変わらない阿呆具合かもしれない。
イーナが一通り報告書を読み上げ終わると、議長が質問の有無を議員に問う。
手を挙げるものは誰もいなかった。
シュテルマーも顔を白くして、眉間に皺を寄せたまま微動だにしない。
もう何も返す言葉がないようだ。
(今日のところはなんとかなったかな…)
イーナはほっと胸を撫で下ろした。
少なくとも囚人大隊送りで不自由な生活を送ることになることは避けられたわけだ。
「では、召喚における質問もないということでよろしいな?」
イーナが議会に乱入したから、召喚における質問も何もない。
召喚時にする予定だった質問は、全てイーナの報告のあとに済んでいるだろう。
案の定、ここでも異議を唱える者はいなかった。
「それでは、今日の召喚のための会議を閉会する」
議長は席を立って議場から出て行く。
後ろから議員もまばらに続いて出ていった。
シュテルマーも席を立って、議席を後にする。
すれ違いざま、ヘレナとイーナにシュテルマーはぼそりと言い置いた。
「次回はもっと君たちに時間を多くとって置くことにする。正直、君たちを甘く見過ぎていたようだ」
シュテルマーの口調は普段と変わらないものの、彼の背中からは疲れの気が溢れているようにイーナには見えた。
2回目がある、ということだろうか。
確かにシュテルマーはしつこい人間だが、利害感覚にはかなり優れているはずだ。
どうしてそこまでイーナの排除にこだわるのだろうか。
イーナがぼんやりと考えていると、ヘレナがいきなり声をかけてきた。
「運が良かったですね!あのタイミングで伝書鳩が来なかったら、あそこまでシュテルマーの意表は突けなかったですよ」
「逆になんで建物の中にいる飼い主を鳩が見つけられるかってことを私は知りたいよ」
普通の伝書鳩は帰巣本能と視覚で自らの巣を発見するはず。帰巣本能も視覚も使えないのにどうしてヘレナの元に帰れるというのだ。
「それはですね、エドラー家の訓練法に関わるので秘密ってことで。知られたところで真似できるようなものでもありませんけどね」
ヘレナは無邪気に笑う。
「それじゃ、叔父さんの家に帰りましょう、やっぱり冷たい官庁街とか行政議員はイーナには似合いません」
「えっ?」
「やっぱりイーナにはイーナの『部屋』が似合います。あそこの雰囲気が一番いいですよ」
議場の扉に向かってヘレナは歩いて行く。
扉の前まで行くと、ヘレナは振り返って、「部屋」が似合うのは大体の四ツ窓に当てはまりますけどね、とヘレナは付け加えた。
「――ありがとう」
好きではない場所で得意ではないことを強いられて、知らず知らずのうちに気が張っていたのかもしれない。
イーナは少し肩の重みがすっと降りたような気がした。
そのあとはたわいのない会話が続いたような気がする。
今日の議会の議事録を作るのに、議院の書記官は随分苦労するだろうとか、そんな話だ。
最後まで阿呆らしい話をしながら、その日は帰った。
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