第2話 ヴルカーンハウゼン

 右足のふくらはぎがうずくように痛む。

 ナトゥアの「舌」に鋭く削り取られた部分は、肉の代わりに赤く熱された金属の棒を差し込まれたような熱さがあり、思わずうめき声をあげる。


 (連隊、全滅したのかな...)


 正直なところ、助けは期待していなかった。

 それはたった数分前まで聞こえていた喧騒が全く聞こえなくなったことからも明らかだった。

 数百人が所属する後方の連隊の壊滅。

 前線の部隊の補給が途絶えるかもしれないし、さらに敵が奥深くまで浸透されるかもしれない。

 どっちにしても深刻なことだ。

 初任務にしてまともに戦闘を行うことなく無力化されるなんて考えてすらいなかった。

 (このまま死ぬのかな…)

 薄らぐ意識の中でぼんやりとそんなことを思った。

 



 「しっかりして、ほかに怪我は?」


 どれくらいかの時間がたったか、目の前で声が聞こえたような気がした。

 痛みでかすむ目を上げると、自分の右足の状態を確認する、声を発した主が見えた。

 背中には四ツ窓貴族家の象徴、そして武器でもある額縁を背負っており、口を開けた額縁を覆う革製のカバーは臨戦態勢に入っていることを意味していた。


 「ううっ...」


 彼女の額縁を見ていると、ふと、彼女の肩越しに何か黒いうごめくものが見えた。

 瞬時に、なぜ右足を貫かれるだけで済んだのか理解した。

 なぜほかの広場の者たちのように黙らせなかったのか。

 顔を上げると彼女と目が合う。


 (!)

 もたれかけた背を起こそうとしたが、再び痛みが走ってうめくことしかできなかった。


 完全に待ち伏せされていたのである。自分は目の前の人間をおびき寄せるためのいわば生餌で、時々に出すうめき声で獲物を呼んでいたのだ。


 彼女の目を再び見る。しかし、すでに彼女の目は後方に意識を向けていた。

 彼女の手が背中の額縁へと伸び、しっかりと掴む。彼女はすでに振り向いて、その目を敵に向けていた。

 四つ足で全身が限りなく黒く、すっぱりと切り落とされたかのように頭部がない「ナトゥア」が廃墟の廊下の陰から姿を現し、首の切り口を大きく開いて飛びかかろうとしようとしたとき、彼女の背中が一瞬光を帯びたかのように見え、床が割れ、人の背より大きい棘が現れ、ナトゥアを貫いたかのように見えた。

 ナトゥアは空中で胴体を深く突き抜かれ、次の瞬間には動かなくなっていた。


 (ヴルカーンハウゼン家...⁈)


 四ツ窓の中で最も予想外だった。

 かつてこの地を領地とし、帝都への絶大な影響力、特に秀でるとされる物体変形の額縁能力を持った家柄。

 10年前にすべてを失い、消えつつつある家柄。


 額縁を取り出した彼女は手早く右足の処置を行ったあと、自分を背負って、背後の壁の前に立つ。敵は一体だけではないようで、廊下から迫る気配を感じた。


 「いこう、少尉。ここは少し不利だから」


 彼女の額縁が淡く光った途端、厚い壁は微細なヒビがいくつも入り、瞬く間に砂のようになって地に沈む。

 厚い壁の向こうにいくつもあったであろう複雑に立つ廃墟は一筋に分断され、まっすぐな道が目の前に通る。

 両脇の廃墟の奥には、中央広場と通りが見える。自分を背負った彼女はすぐさま走り始めた。

 

 左右の廃墟はまるで断面図のように切り開かれており、かつて建物群の建材であったであろう砂状のものが舞う、幅5メートルほどの切り通しである。

 

 敵はやはり多かった。これでは足を止めざるを得ない。

 中央広場の乱立したテントの間からざっと数十ほどのナトゥアがゆっくりと現れる。背後からも追いついてきたのを気配で感じ取る。


 「一体広場のどこに隠れていたんだか…」


 彼女は小さなため息をつき、俯いて額縁を構える。

 彼女がこの広場を通ったときはナトゥアなど一体たりともいなかったのだろう。

 通常集団戦を行うナトゥアがおとりや奇襲を用いている。

 やはり今回の襲撃は異常性を感じる。少なくとも今まではなかったことだ。

 

 徐々に額縁が光り始める。

 光の強弱は周期的で、木製でシンプルながらも丁寧な彫りに沿ってだんだんと光は強まっていく。

 彼女の背後のいくつもの箇所で、廃墟の残滓がゆっくりと舞い上がって意図をもった形へと成形されていく。

 やがてそれは細長い小さな円錐形のような形となって無数に浮き上がる。

 額縁が一瞬大きく輝いて、彼女は顔を上げる。

 周囲の無数の円錐が消えると同時に、広場のテントがひらめいて、無数の穴が開き、ナトゥアがすべて、ゆっくりと倒れた。





「…無力化確認。」


 ナトゥアがゆっくりと地に飲まれていく。

 こいつらはいつも亡骸を残さない。「切り口」から飲み込むだけ飲み込んで、自らがいた痕跡までもを消し去って、地に消える。

 おかげで何もわからない、生き物であるかも怪しい奇妙な物体だ。


 「故郷で後方勤務って話だったけど、この様子じゃ前線と変わらないよね」


 彼女は額縁を革製のケースにしまいながら、地面に座っている自分のほうを向く。階級章は少佐を示していた。


 「少尉が四ツ窓なのはわかるんだけど、どちらの家?」

 彼女が自分を背負いあげる。


 「ヘレナ、ヘレナ・エドラーです、ありがとうございます」

 ヘレナは軽く震えた声で答えた。あまりに急な戦闘すぎる。


 「イーナ・ヴルカーンハウゼンだよ、戦闘ご苦労さま、ほかに生存者はいない?」


 「ええと、わかりませんが、少なくとも自分の知る限りは...」


 襲撃当時、物資の収納に手ごろな部屋を調査していたヘレナには詳しいことはわからなかった。それに、自分は戦闘らしいことはしていない。大体イーナが解決してしまった。


 とりあえず夕食にしようとイーナは話して歩き出す。幸いなことに食料は連隊のものが大量にある。


 遠景の高い山を明るく照らす日は、もう傾き始めていた。

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