ヴルカーンハウゼン
第1話 連隊消失
(不得意な前線指揮を執るよりはよかったかな)
都落ちだ、左遷だ、などと世間は言うが、実際のところそう甘いものではない。
帝都から赴任先へ馬を進めながらイーナは思案する。
大叔父が亡くなってからはや1ヶ月。
イーナは行政議員の任期満了と同時に籍だけ置いていた軍に復帰させられた。
バックを失った落ち目の貴族のお手本のような典型例である。
赴任先はヴルカーンハウゼン。
最近ようやく奪還された自分の故郷だが、今となっては見る影もないだろう。
人工物は一つとして残らず、地形すらも原型をとどめているか怪しいところだ。「ヴルカーンハウゼン」に行くというよりかは、「ヴルカーンハウゼンと呼ばれていた地域」に行くということに近いかもしれない。
イーナはもちろん行きたくなかった。
10年前のヴルカーンハウゼン戦で両親は死んでいる。故郷に関するあらゆることは必ずそれに結びついてしまう。
イーナにとって故郷の記憶は悪夢を呼び起こすトリガーのようなものだった。
だからといって、任務を拒否することもまた難しい。
そんなことをすれば最前線激戦区への命令が下って死地へと追い込まれるだけだ。
初めて顔を合わせた上官は、丁寧な言葉とともに命令書を渡し、さも「故郷への帰還おめでとう」といった表情で話しかけてきたのを覚えている。多分皮肉だ。
戦勲のあった大叔父がいなくなれば、自分の扱いなどみんなそんなもんである。
つまるところ、中央である帝都は、流刑も同然の措置を、縁ある地への任命という断れない形で行ったまでなのだ。
帝都からヴルカーンハウゼンまでは2日ほど。
1日目は平野、2日目の今日は森の中を進んでいる。
現地には軍の連隊の一つが設営を進めていて、そこからさらに奥へと進軍を計画しており、イーナの初仕事は補給拠点の整備とヴルカーンハウゼン防衛だった。
「灰色の森」と呼ばれていたこの森は、長らく我々が足を踏み入れられない土地だったため、森の中は道がわからないほど荒れている。
本来なら森に入る前に迎えの兵と落ち合うはずだったのだが、いくら待てども来ることはなかった。
帝都からヴルカーンハウゼンまでの道は一本しかないから、兵は森で迷った可能性が高いとみて、古い記憶を頼りに森へと入ることにしたのだった。
おぼろげな記憶が役に立ったのだろうか、「灰色の森」に入って数時間もすると遠くに森の端が見えてきた。
案外迷うことはなかったようである。
迎えの兵とは落ち合うことができなかったが、ヴルカーンハウゼンへ着いてから報告して捜索を願い出た方が早いと判断し、そのまま森を抜けることとした。
森を抜けたイーナは違和感を抱いた。
跡形もなくなっているはずであろう街が廃墟として残っている。
前例で言えば、奪還したものは、都市に限らず、集落、井戸、道に至るまで、すべて破壊され、跡形もなくなっているのが常だった。
しかし、このヴルカーンハウゼンは徐々に崩れつつも建物の多くがその形を留めている。
彼女は街の端へとたどり着き、ところどころ雑草が顔を出す石畳の上へと足を踏み出す。
下草を踏み分けて進んだために、少し泥がついたブーツが硬い石畳に触れてコツンと音を出した。
にわかに古い記憶がよみがえってくる。
街の入り口の雑踏、人々の喧騒、行きかう馬車といった、街の活気である。
ヴルカーンハウゼンは交通の要所で、商業が発達した街で、活気のある場所だった。
しかし、今はもうその活気は失われ、静かな廃墟のみが立ち並んでいる。
イーナは少し胸が締め付けられるような感覚を覚えた。街がまっさらなのと面影が残っているのと、どちらが自分にとって良かったのだろうか。
街からは人気を一切感じられない。
設営を予定する軍は数百人以上が所属する連隊であったはずで、街の防衛のために哨戒をする兵士がいるはずだ。
いくら廃墟の街といえど、ここまで静かであるのはあり得ない。
確かな異常事態を感じながら、イーナは馬を連れて通りを歩く。
馬のひづめの音もまた、左右の建物に反響する。本当にだれもいない。
イーナは単独行動による少しの不安と、部隊間の情報が全く共有されていないことへの苛立ちを覚えた。
一人で行けと命令しておいて任務内容しか説明を受けられないのは理不尽であるといえる。
こうした情報の共有の不足は戦場において死に限りなく近づくことであり、現にイーナはそんな状況に片足を突っ込んでいるような気がした。
まずは連隊と合流しなければならない。
(ここまで原形をとどめているなら、設営は中央広場かな)
中央広場は文字通りこの街の中心部にあり、街の建設者の像が載った塔型のオブジェがある。
テントを多く設営するだけの広いスペースを確保するならそこだろう。
連隊がいる可能性はイーナの中ではあまり大きくなかったが、いた痕跡があるのであればそこだと考えていた。
今進む通りはもうすぐ広場へと辿り着く。
イーナは警戒感をより一層強めて、背中に背負う武器――革製のケースに収めた「額縁」へと手をかけた。
中央広場には、連隊がいた痕跡が確かに残っていた。
張られた多くのテントに物資、冷めているものの炊事の跡すら見られた。
少なくとも連隊はここに到着していて、予定通り設営を進めようとしていた。
しかし、どこかへ行ってしまった。
設営の途中で兵たちが全員蒸発してしまったような、不気味な雰囲気を感じる。
本当に誰もいないのだろうか。
馬を手近な場所につなぎ、広い中央広場をイーナはぐるりと、耳を澄ませながら歩く。
半周ほど歩いていくと、遠くに微かな、うめくような音が聞こえるような気がした。
音は広場からさらに奥へと進んだ場所、廃墟群の奥から聞こえたように思えた。
イーナは断続的で、足音にすら消されそうな音を辛うじて捉えながら、ゆっくりと廃墟の間の小道を進んだ。
声の源は、ある廃墟の1番奥まった部屋からだった。
この街がここまで静まり返っていたからこそ、気づくことができたかすかな音である。
瓦礫が散乱した石造りの廊下を進み、角を曲がって突き当たり。この街で最初の人間を発見した。
負傷した彼女はイーナよりも少し年下と思われ、連隊所属と思われた。
階級章を見ると同じ貴族階級、しかも彼女の武器――背中の額縁を見るに、またも自分と同じ
彼女は厚い石造りの壁にもたれる形で座っていて、俯いた姿でうめいていた。
負傷した足首は幸いにして出血はないものの、かかとの上からすっぱりと肉が削がれ、まるで側面から円筒形のようなもので貫通されたかのような傷口となっている。
イーナは即座に「ナトゥア」によるものだと判断できた。そうであれば、連隊が消えたのも理由がつく。しかし、それは到底有り得ない理由ではあるが。
「しっかりして、他に怪我は?」
彼女は声をかけられたことに気づいたのか、俯いた顔を少しあげ、焦点の合わない目でこちらを見やる。おぼろげな視線が自分の目とあった途端、彼女は目を見開いて、何かを訴えかけるように強い声でうめいた。
彼女の視線はもう自分の目にはない。
イーナの背後に注がれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます